1971年サンレモ音楽祭に非公式ながらマウリツィオとファブリツィオともにラ・ビオンダ兄弟は舞台に上がっています。ラ・ビオンダとしてはサンレモ音楽祭に出場したことがないので、この場で彼らを紹介いたします。
 
☆ ラ・ビオンダ兄弟 (duo, compl) La Bionda
 ラ・ビオンダは、1970年代初頭にカルメロ・ラ・ビオンダとアンジェロ・ラ・ビオンダ兄弟により結成、イタロ・ディスコのスタイルを作った音楽デュオ。歌手、作詞・作曲家、映画音楽作曲家、音楽プロデューサー。D..サウンド等、他のミュージシャンを加えた複数のプロジェクトを作った。
 
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所属レコード会社Ricordi, Baby Records(La BiondaおよびD.D.Soundとして), Durium (The Oceansとして),  CGD (On Airとして), Blond Records, LetIt Beat Records [La Bionda Music] (La BiondaおよびMad Boxとして)
サンレモ音楽祭出場1971年マルリツィオファブリツィオのバックとして非公式
サンレモ音楽祭出品1曲:1986年15位“君が愛しすぎて(Innamoratissimo (tu che fai battere forte il miocuore))
 
・カルメロ・ラ・ビオンダ(Carmelo La Bionda)1949 2 2 日、シチリアの州都カターニアの郊外ラマッカ(a Ramacca)生、歌手、ギタリスト、作詞家、作・編曲家、映画音楽作曲家、音楽プロデューサー。
 
・アンジェロ・ビオンダ(Angelo La Bionda)本名ミケランジェロ・ラ・ビオンダ(Michelangelo LaBionda) 1952 8 25 日シチリアの州都カターニアの郊外ラマッカ(aRamacca)生、歌手、ギタリスト、作詞家、作・編曲家、映画音楽作曲家、音楽プロデューサー。
 
 
 
 デビューしたアコースティックなフォークでは成功せず、作曲に励みます。ブルーノ・ラウツィやバルダン・ベンボとミア・マルティーニに曲を提供しています。
 アルバム「NEL MONDO, UNA COSA (カンツォーネのプリマドンナ)」では3曲“白い雪(NEVE BIANCA)”、“もうひとりの男(UN UOMO IN PIÙ)”、“いとしいあなた(Piccolo)”を提供。特に“いとしいあなたは72年年間ヒット・ランク15位のメガ・ヒットになりました。
 
SRL-10669(1972Ricordi - Dischi Ricordi) Piccolo Uomo/Madre (Mother- John Lennon)
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 その後、“あなたに夢中(Mi Piace)”、“あなたが望むなら(Gentile Se Vuoi)”、“女友達(Amica)”とコンスタントに曲を提供。オルネラ・ヴァノーニにはアルバム「DETTAGLI(1973)に“夏のふたり(Come L'Estate)”、ロザンナ・フラテルロのアルバム「カンツォーネの新しいバラ(...SonoNata In Un Paese Molto Lontano...)(1973) に“夜のめぐり逢い(StaseraTu Ed Io)”、“水車小屋(Il Mulino)”を、ジョヴァンナ(Giovanna)に“QUANTO AMORE(1973)、先輩ブルーノ・ラウツィのアルバム「LAUZIOGGI(1974)に2曲“Passa Il Tempo”、“Photograph Man”提供、ライターとしての実力が認められます。
 
 75年リコルディで2枚目のアルバムを作ります。ロンドンのアップルスタジオで、キーボードはローリング・ストーンズのツアー同行後のニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)を迎えていますが、彼らには遠い道程です。
 
SMRL-6171 (1975Ricordi - Dischi Ricordi) Ogni volta che tu te ne vai
.Ogni Volta Che Tu TeNe Vai
.Tutto Va Bene
.Voci Del Giorno EDella Notte
.Lo Devi Fare
.Jo
.Vieni A Tempo
.Storia Di Marzo
.Non Mi Svegliare
.Prigioniera
10.Il Tuo Deserto
          SMRL-6171イメージ 3  
SRL-10759(1975Ricordi - Dischi Ricordi) Ogni volta che tu te nevai/Prigioniera ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照
 
 アルバム・タイトル曲をシングル・カットします。これがリコルディで最後の盤でした。この年のファブリツィオ・デ・アンドレのアルバム「Fabrizio De AndréVol. 8」に二人はギタリストとして参加します。フランチェスコ・デ・グレゴリ(Francesco DeGregori)にも関わっている記述がWikiにありますが確認できません。
 
 74年にエジプト系イタリア人フレディ・ナッジャール(Freddy Naggiar)が興したベビー・レコーズ(Baby Records 以下BRと略)から77年世界から注目を浴びるレコードを出します。空白の76年ですが、調べるとBRの歌手でチュニジア系フランス人俳優・監督ジョスリン(Jocelyn)の曲をブルーノ・ラウツィと共作したり編曲をし、BRに関わっています。
 
 ナッジャールはバブルガム・サウンド後の新しい音楽を作るという望みと、他社で埋もれた才能を見つける嗅覚、外国生まれの歌手、イタリア人に外人風の芸名を付け英語で歌わせる商才が備わっていました。
 
 BRの最初の成功はアメリカから流れて来たスティーヴン・シュラックス(StephenSchlaks)の“ブルー・ドルフィン(Blue Dolphin)”でした。その後ラ・ビオンダのイタロ・ディスコで大当たり、80年代にはロンド・ヴェネチアーノ(Rondo'Veneziano)をデビューさせ、その頃には大物歌手の移籍が集中します。リッキとポーヴェリ、アル・バーノ&ロミナ・パワー、マルが入ります。
 
 82年には新たな“アイ・ライク・ショパン”のガゼボ(Gazebo)、85年デン・ハーロー(DenHarrow)がデビュー、ジリオラ・チンクェッティもBRから85年サンレモ音楽祭に出ています。ペピーノ・ディ・カプリも在籍、87年レ・オルメ(LeOrme)等が入り80年代の主要レーベルになります。
 
 しかし時代の変化は恐ろしく、隆盛を誇ったBRも94年に閉鎖されます。さてベビー・レコーズの歴史はこれまで、ラ・ビオンダの最も旬だった時代に話を戻します。
 
 BR移籍第一弾のアルバム・タイトル曲“TuttoVa Bene”は従来のアコースティックなフォーク調、良く言えば時代遅れのギルバート・オサリヴァン“アローン・アゲイン”風でした。“Non Mi Svegliare”では英国のニッキー・ホプキンス作曲以外は自作でしたが、彼らは注目をされません。
 
LPX-016 (1977 Baby Records - CGD Messaggerie Musicali) Tutto va bene
.Prisoner
.Ogni Volta Che Tu TeNe Vai
.Tutto Va Bene
.Lo Devi Fare
.Hey Jo
.Come Down Easy
.Storia Di Marzo
.Non Mi Svegliare
.Voci Del Giorno EDella Notte
10.Il Tuo Deserto
LPX-016イメージ 4 BR-027イメージ 5
BR-027 (1977 Baby Records - CGD MessaggerieMusicali) Prisoner/Come down easy
 
 移籍第一弾のアルバムからシングル・カットして発売します。
 
当時の欧州はジョルジョ・モロダー(名前の通りイタリア人)等が、ドイツのミュンヘンでドナ・サマー、シルヴァー・コンヴェンション達へディスコ用の単純で軽快な曲を制作、流行せていました。ナッジャールはラ・ビオンダにこれを歌わせます。ただリスクが大きいので、本場ミュンヘンのスタジオ・ミュージシャン使った別名のプロジェクトを先行させ、イタリア向けに状況を見て従来名のラ・ビオンダの盤を出すことにしました
 
 こうして生まれたのがD.D.サウンドでした。“ディスコ・ベース”は77年38位の大ヒット、LP「Disco Delivery」は77年年間ベスト・アルバム67位に入ります。
 
LPX-018 (1977 Baby Records - CGD Messaggerie Musicali) Disco Delivery(pubblicato all'estero con il titolo Burning Love e la scaletta dei branimodificata)
.Burning Love (バーニング・ラブ)
.Shopping Baby (ショッピング・ベイビー)
.Disco Bass (ディスコ・ベース)
.Let's Share Love (レッツ・シェアー・ラヴ)
.Slow Motion (スロー・モーション)
LPX-018イメージ 6 BR-031イメージ 7
BR-031 (1977 Baby Records -CGD Messaggerie Musicali) Disco Bass (ディスコ・ベース)/ DiscoBass (ディスコ・ベース) (instrumental)
 
BR-041 (1977 Baby Records - CGD Messaggerie Musicali) Burning Love (バーニング・ラブ)/ Shopping Baby (ショッピング・ベイビー)
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DISCOMIX-2 (1977 Baby Records - CGD Messaggerie Musicali) BurningLove (バーニング・ラブ)/ Shopping Baby (ショッピング・ベイビー)
 
 
 
ラ・ビオンダの国内盤
D.D.サウンド名義)
SFL- 2273 (19786 PHILIPS - 日本フォノグラム)ディスコ・ベース (DISCO BASS)/ディスコ・ベース (パート2)(DISCO BASS (Part.2))
 
SFL- 2273イメージ 10 SFL- 2290イメージ 11
 
SFL- 2290 (19787 PHILIPS - 日本フォノグラム)1~2~3~4ギミー・サム・モア (1, 2, 3, 4, GIMME SOME MORE)/ブギー・ベース (BOOGIE BASS)
 
RJ-7384 (19787PHILIPS - 日本フォノグラム)30cm LP 1~2~3~4ギミー・サム・モア (1, 2, 3, 4, GIMME SOME MORE)
.1~2~3~4ギミー・サム・モア(1, 2, 3, 4, GIMME SOME MORE)
.ディスコ・ハワイ(HAWAII CALLS ME HOME)
.スィート・フリーダム(SWEET FREEDOM)
.ブギー・ベース(BOOGIE BASS)
.ウイ・ライク・イット(WE LIKE IT)
.ソー・サッド(SO SAD)

RJ-7384イメージ 12  RJ-7508イメージ 13
 
RJ-7508 (19789PHILIPS - 日本フォノグラム)30cm LPディスコ・ベース/D.D.サウンド (DISCO BASS)
.バーニング・ラブ(BURNING LOVE)
.ショッピング・ベイビー(SHOPPING BABY)
.ディスコ・ベース(DISCO BASS)
.レッツ・シェアー・ラヴ(LET'S SHARE LOVE)
.スロー・モーション(SLOW MOTION)
 
RJ-7510 (197811PHILIPS - 日本フォノグラム)30cm LP ウルトラ・ディスコ・ダイナマイト! (ULTRA DISCO DYNAMITE!)
.ディスコ・ベース(DISCO BASS)
.1~2~3~4ギミー・サム・モア(1, 2, 3, 4, GIMME SOME MORE)
 
RJ-7510イメージ 14  RJ-7548イメージ 15
 
RJ-7548 (1978 PHILIPS - 日本フォノグラム) 30cm LP ディスコ・フィーバー'8'79D..サウンド、サンタ・エスメラルダほか(Disco Fever '78~'79)
.1~2~3~4ギミー・サム・モア(1, 2, 3, 4, GIMME SOME MORE)
 
 
 
この後マウリツィオとファブリツィオ(+ラ・ビオンダ兄弟)5が次回に続きます