再会
前の留学中に知り合った大切な友だちPにようやく一昨日会えて、有頂天。
のはずが、さよならしてからが寂しくてつらい。
再会するためにがんばってきたつもりだったのに、案外会わないほうが強い気持ちでいられるものかも。
自分のことながら、世話の焼ける人間だと思う。
人と一緒にいるときの、えもいわれぬ満ち足りた思いは、孤独の裏返しだろうか。
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再会というのはときとして、純粋に相手に会いたいという相手本意の思いから来るものと、過去にその相手に会った時分がゆかしくて過去を追体験したいという懐古的な思いから来るものとの2とおりある。多くの場合(たとえば、無差別のお誘いのかかる同窓会)、後者だったりする。が、前者であるのが望ましい。
明日は、これまた前の留学中に大の仲良しだった友だちDに会う。
再び会うということの不思議。一期一会の教えに挑戦状を叩き込むほどの、力強い感動を与える。この広い世界で、一度見失った人ともう一度逢えるなんて、奇跡に近い。
けれど、ここで今一度考えたいのは、再会は「再」だから意味があるということ。ただ「会う」だけでは感動が薄いだなんて、まるでテレビの「再放送」みたい。たとえば、明日私がDに会わずに、別の新しい友だちに会ったとしたら、それはそれで出会いが一つ増える。けれど、何か重みに欠ける。
それにしても、人はなぜ、反復すること、過去の時間を再び見いだすことに喜びを覚えるのか? ヒントは「再」と呼ぶからには、過去と「同じ」何かが表れ体験されるべきだということ。反復が好きならば、同じものが好き。時間の積み重なりと、時間のなかで変わっていかないものとが、シンフォニーを奏でる。
再会は、現在と過去とをリンクさせて、人の時間観を樹立させ、記憶を塗り替え、永遠化するのだろう。