スポーツの存在意義を考える
先月下旬から今月上旬に書けて、パリでもなかなかきれいに桜(ほとんど八重桜)が咲いていた。今は散るばかりで、その下を通り抜けるぶんには面白いけれど、やはり見頃は過ぎてしまった感がある。
こんなオブジェのような桜も見かけたし、関係ないけれどこんなアイスクリーム屋さんの看板も見かけたりして、なかなかよい散歩をする機会に恵まれた。

さて、本題にはいると、今月1日(4月1日)、パリ郊外のサントゥーアン市でヴィヴィチッタ(Vivicitta)という名前のレースが行われた。4キロの競歩と、16キロの長距離走と、そのほか青少年のレースや、16キロのリレーなどがある。とにかく、走る大会である。
そもそも、このVivicittaという大会は、イタリアのとあるスポーツ連盟が考案したそうで、イタリアをはじめ世界のさまざまな国の都市で、同じ日(時差はあるがともかく同じ日付)に同じ名のレースが開催されている。参加者は市民である。場所は離れていても、みんなが同じ日に一緒に汗を流すことで、世界に輪が広がっていくという人道的・友愛的な取り組みで、参加することに意義のある大会なのだ。日本でも、横浜かどこかでこのVivicittaが行われている。
今年のVivicittaは各国4月15日に開催されたのだが、このフランスのサントゥーアン市のVivicittaは例外的に4月1日に行われた。というのも、4月15日はパリ・マラソンのため、規模や趣旨は異なろうとも、重複を避けるために2週間ずらしたそうだ。そうすると、世界同日開催というVivicittaのおおもとの理念が、損なわれはしないかとやや気にかかるが、それでも絆は繋がっていると考えるよりほかないのだろう。
はたまた話は飛ぶが、パリ・マラソンといえば、、、生粋のカンボジア人のある陸上選手が、ネコ某という日本人でカンボジア国籍を取得したお笑い芸人のベストタイムよりも上位の成績をこのパリマラソンで記録した云々という話がニュースに取り上げられていたが、この芸能人の国籍変更と頑ななまでの五輪への執着というのは、果たしてスポーツマン精神とつじつまが合うのかと、疑問に思う。
この一件を通じて残念に思うのは、どうにもスポーツが、名声のために利用されているような気がしてならないということである。もちろん、どんな分野であれ、世界を目指すことは大切である。だが、何かが空回りしてスポーツの本来の意義が軽視されているように思われる。
先に述べたVivicittaの理念からも汲み取れるように、スポーツ本来の存在意義は、好成績を残すだとか、それを通じて有名になるだとかではない。そもそも、競うことではない。皆が実践し皆が参加する姿に、スポーツの目的がかいま見えないだろうか。
スポーツの醍醐味とは、スポーツへ主体的な参加を通して人と交わり、個々の営みを大きなものにしていき、心身ともに健全で平和な社会に貢献していくことにつきると思う。エリート主義だとか、実利主義というのは、スポーツには似合わない。
こんなオブジェのような桜も見かけたし、関係ないけれどこんなアイスクリーム屋さんの看板も見かけたりして、なかなかよい散歩をする機会に恵まれた。

さて、本題にはいると、今月1日(4月1日)、パリ郊外のサントゥーアン市でヴィヴィチッタ(Vivicitta)という名前のレースが行われた。4キロの競歩と、16キロの長距離走と、そのほか青少年のレースや、16キロのリレーなどがある。とにかく、走る大会である。
そもそも、このVivicittaという大会は、イタリアのとあるスポーツ連盟が考案したそうで、イタリアをはじめ世界のさまざまな国の都市で、同じ日(時差はあるがともかく同じ日付)に同じ名のレースが開催されている。参加者は市民である。場所は離れていても、みんなが同じ日に一緒に汗を流すことで、世界に輪が広がっていくという人道的・友愛的な取り組みで、参加することに意義のある大会なのだ。日本でも、横浜かどこかでこのVivicittaが行われている。
今年のVivicittaは各国4月15日に開催されたのだが、このフランスのサントゥーアン市のVivicittaは例外的に4月1日に行われた。というのも、4月15日はパリ・マラソンのため、規模や趣旨は異なろうとも、重複を避けるために2週間ずらしたそうだ。そうすると、世界同日開催というVivicittaのおおもとの理念が、損なわれはしないかとやや気にかかるが、それでも絆は繋がっていると考えるよりほかないのだろう。
はたまた話は飛ぶが、パリ・マラソンといえば、、、生粋のカンボジア人のある陸上選手が、ネコ某という日本人でカンボジア国籍を取得したお笑い芸人のベストタイムよりも上位の成績をこのパリマラソンで記録した云々という話がニュースに取り上げられていたが、この芸能人の国籍変更と頑ななまでの五輪への執着というのは、果たしてスポーツマン精神とつじつまが合うのかと、疑問に思う。
この一件を通じて残念に思うのは、どうにもスポーツが、名声のために利用されているような気がしてならないということである。もちろん、どんな分野であれ、世界を目指すことは大切である。だが、何かが空回りしてスポーツの本来の意義が軽視されているように思われる。
先に述べたVivicittaの理念からも汲み取れるように、スポーツ本来の存在意義は、好成績を残すだとか、それを通じて有名になるだとかではない。そもそも、競うことではない。皆が実践し皆が参加する姿に、スポーツの目的がかいま見えないだろうか。
スポーツの醍醐味とは、スポーツへ主体的な参加を通して人と交わり、個々の営みを大きなものにしていき、心身ともに健全で平和な社会に貢献していくことにつきると思う。エリート主義だとか、実利主義というのは、スポーツには似合わない。