フランスがお手本にしようとしているケベックの教育(Obsの記事) | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

前回の フランスの高校はどう変わるか(Obsの記事)  で、フランスの教育「改革」がカナダのケベック州をモデルにしようとしていることに言及しました。学校教育が比較的うまく行っていて、フランスがお手本にすべきであろうと思われる国は、北欧にも複数ありますが、同じフランス語圏として、ケベックの教育は真似しやすいのでしょうか。
しかし、その陰には別の問題が潜んでいるようです。


『グザビエ・ダルコス(教育相)が手本として挙げた・・・
ケベックのモデル』


CITÉ EN EXEMPLE PAR XAVIER DARCOS

Le modèle québécois


数学、科学、読解で、カナダの地方の生徒は世界トップクラスにある。



昔々、ほかの学校よりうまく行っている学校がありました。貧しい人の息子にも、王様の息子とほとんど同じくらい、成功するチャンスがありました。共同の計画と平等の理想で作られた学校でした。おとぎ話?Bisounours(訳注:アニメのキャラクター)の国のジュール・フェリーか?極めて現実的な物語である。国際評価で最上位に分類される、ケベックで起こっていること。数学、科学、読解で、ケベックは首位にある。フランスが分類の底のほうに追いやられている一方で。その成功の方法はどのようなものか?そしてついでに、我々が得るものがあるだろうか?

APPRENDRE MOINS, MAIS MIEUX

(学ぶのはより少なく、しかしより良く)


 サン・ミシェル Saint-Michel 地区はモントリールの街で、貧困層の住むポケットの一つである。その真中で、芝生で囲まれた巨大な建物のジョゼフ・フランソワ・ペロー Joseph-François-Perrault 校は、12歳から18歳の1600人の生徒を受け入れ、非常に良い結果を出している。適当に一つの授業を見てみよう、数学教師、21歳のマチューMathieu の授業である。余り魅力的でない、正弦関数に関する授業のために、様々な楽器の音を録音させることから始めて、第1学年の生徒の「注意を引」こうとしていた。生徒が映像化できた、音のカーブをあるソフトが変化させた。かなり多くが音楽コースを取っている生徒たちにとって、音響から数学に移ることには意味があった。「生きていることとつながっている。」、15歳のSkanderがまとめる。

 教員は、その担当教科が何であれ、この種の方法を増やすために工夫を凝らしている。彼らはそれに慣れている。教員養成の期間中、彼らは3分の1の時間を教科を学ぶことに費やし、残りは教授法、心理学、教育学を学ぶために費やす。34歳のフィリップは、教員になるためにモントリオール大学の2年生である。「私は文法の授業も数学の授業も受けなかった。重点は教える方法、さらには生徒がついてこないときに自分を問題にすることまで含めて、教室を管理する方法に置かれている。」 それはモントリオール大学教育心理学教授、Roch Chouinardのライトモチーフである。「学校は生徒の学びにおいて、取り組みを生み出すべきである。」 でもどのようにしてそこに達するのか?「より高い次元に達するために生徒の経験から始めなければならない。」 ひどいちびである、Mouhamed, Annifa, Yasline, T’keyah, Bahrazが、あらゆる玩具を使ってフランス語を話すことを学ぶこの受け入れ教室では、この赤い糸は第1学年から走り始める。小学校ではいつも同じ赤い糸である。中世について学ぶ生徒の興味を引くために、教師は彼らに城を造らせ、戦争の機械を造らせ、石膏像を作らせる・・・ 生徒たちは非常に熱中し、誰も反応を止めようとしない。彼らは恐らく、百年戦争の全ての展開を学ぶことはないだろう。残念ながら。「ケベックでは、学校は受け入れる生徒の期待に適応してきた。少ししか学ばないが、より良く学ぶ」、OECDの教育専門家、Bernard Hugonnierが簡潔に言う。


POUR DES ÉLÈVES FIERS

(誇りに満ちた生徒のために)


 「私は君を誇りに思う。君は大きく進歩した」、教師のMarie-Eveは10歳のBoubacaに叫ぶ。彼は臆病な声で、あるケベックの作家についてクラスの前で発表したところだ。励ましは黄金の法則である。そしてMarie-Eveが、今度は他の生徒たちが発言するためにそちらを向いたとき、肯定的できちんと考えられた発言を求めた。それは容易ではない。「余り早口で話さなかったので、私にも全部理解できた」、一人の女の子があえて発言した。生徒たちはお互いに敬意を払うことをすぐに学んだ。そして、互いに理解しあうことも。今日、昼食の時間に、学生食堂はサルサのリズムに震えた。中央では、生徒たちがテーブルを押しやり、カップルが楽しそうにスイングして踊る。「今週、私たちは出身地の文化を祝福する」、課外活動担当のChantalが説明する。「ハイチのダンス学校を向かえ、明日は、ジグの団体と一緒にアイルランド、その次は歌と一緒にアルジェリア・・・」 この取り組みは有効だ。「学校で自分の固有の文化の要素を再発見するとき、教育システムに対する拒否は少しもなくなる」、ジョゼフ・フランソワ・ペローの校長、Eric Dionneは強調する。


RATTRAPAGE SUR MESURE

(範囲に追いつくこと)


 しがらみを断っている青少年のためには、発明する必要があった。それをするために教育制度は学校に十分な自由を与えている。ジョゼフ・フランソワ・ペローでは、およそ50人の生徒がFocusというプログラムに参加している。一方通行の講義がない、一種の自由選択の学校である。そこでは自分のリズムに従って進歩し、必要なときしか教員に頼らない。「勉強しなければ、不利益を被るのは自分だ」、中国系の、15歳のLoïcは言う。9歳の時にハイチから移住した18歳のAndersonは、普通のシステムでは就いていけなかった。「教師に関しては、みんな同じような者だった。ここでは、僕たちをそれぞれ違ったやり方で扱ってくれる。」 4人の大人と一緒に、多くの注意が払われて、教科の数を減らして、Focusはやる気をなくした生徒たちを常連にすることに成功した。

 別の生徒はちょっとした手助けだけを必要とする。彼らのために、各学校は1人か複数の「professeurs ressources (能力のある教員)」を配置する。生徒が躓くとすぐに範囲に追いつくことができるようにしてくれる、ある種の特殊能力を持つ教員である。留年は実質的に存在しない。この日の朝、ナタリーは中等学校第2学年(フランスの第4学級、日本の中2に相当)の生徒3人を迎えている。予定では、読書の速度を改善するための言葉探しと、より効率的に考えるための方法の練習である。「数週間のうちに、週1回か2回の時間のおかげで、生徒たちは自らの困難を乗り越えてしまうでしょう」、ナタリーは保証する。国家レベルで、これらの取り組みは実を結んでいる。15歳の時の生徒の水準は十分に均質である。フランスとは逆に、家庭環境は生徒の成績に僅かの影響しか与えない。「共通の目標は、二流の市民というものが存在しない、平等な社会を創ることです」、教育副大臣、ピエール・ベルジュヴァンPierre Bergevin は説明する。


L’ÉCOLE EST MON VILLAGE
(学校は私の村だ)


 教室の一日は15時頃に終わる。モントリオール北部のサントリッドSainte-Olide校では、ロベール・ルドゥーRobert Ledoux校長が、階段を閉め、コピー機の部屋に鍵をかけ、体育館と1階の教室を地区の集会に委ねるために、校内の巡回を始める。毎日17時以降と、週末や長期休暇中は、学校はレジャー・センターに変わる。だから、多くの生徒が戻って来る。「生徒たちは別の見方で学校を発見する」、校長は言う。「そしてそのことが生徒のためにもなる。彼らの学校への愛着は増す。」 子供たちがさらに成功するために、地域と学校の絆をさらに強める、それがこの「共同体の学校」の精神である。

 動機は最初、経済的なものだった。「学校の予算が減り、一方で生徒の需要は増加する。地域社会と手を結ぶ他に選択肢はなかった」、(フランスの)大学区長に相当する、モントリオール学校委員会の委員長、ブノワ・ビュシエールBenoit Bussièreは繰り返す。この、地域と学校の交流は、その笑いが壁を揺らす、コントラバスの声をした巨像の顔を持つかもしれない。ジャン=イヴ・シルヴェストルJean-Yves Sylvestre は「共同体参加者」の一人である。ジョゼフ・フランソワ・ペロー校に配属された、一種のgrand frère(大きい兄弟)である。彼は学生食堂の近くに事務所を持つ。「私は、外でぶらつく若者の社会復帰に専念していた」、と回想する。6年前から、ジョゼフ・フランソワ・ペロー校の内部でも予防するために社会センターが費用を支払っている。彼は安心し、討論し、摩擦を和らげている。


PROFS OMNIPRÉSENTS

(いつでもいる教師)


 SNES(中等教育全国組合)にとっては本当の悪夢だ!教師は毎週18時間授業をしているが、32時間は、付随的な仕事をするために学校に残っている。試験の日程を組んだり、廊下や図書室を監視したり、生徒に会いに行ったり・・・ そして、罰当たりにも!欠席した同僚の代わりをするとこも。「同僚の代わりに授業をしたりはしません、教師が生徒に残していった課題をするのを監視するだけです」、フランス語教師、ナタリー・ルクールは断言する。これらの哲学は?単純である。「教師はより長く学校にいなければならない」、エリック・ディオンヌ校長は簡潔に言う。「なぜなら、生徒が必要としているから。」 それは間違いなく、若者にとっては幸せである。しかし、教職員は不満に思う。教員の30%が最初の5年間で職を捨てる・・・ なぜなら、余りにも苦痛だと判断するからである。

Caroline Brizard


出典

LE NOUVEL OBSERVATEUR 2275 12-18 JUIN 2008

http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2275/articles/a376991-.html


強調しておきますが、カナダで教育がうまく行っているのは、ケベック州だけではありません(少なくとも隣国などと比べて)。家庭環境が極力影響を及ぼさない、平等な教育機会を保証することが、カナダという国の共通認識であると思われます。その点は、教育費が無料(か無料同然)であっても、文中にあるように家庭環境が生徒の成績に強い影響を及ぼしているフランスや、圧倒的な高学費によって最初から教育の機会平等が奪われているも同然の日米などとは対照的です。ケベック州が対象になっているのは、同じフランス語圏であることが大きいと思われます。ただし、全国的な文部省や教育省という官庁のないカナダでは、州ごとに教育制度が異なるのも確かです。カナダの他の州については、言及されていません。

本文に出てくる、"L’objectif commun est de créer une société égalitaire, où il n’y a pas de citoyens de seconde zone" (共通の目標は、二流の市民というものが存在しない、平等な社会を創ることです) という言葉を覚えておきたいものです。

一方で、教師の過剰な労働が問題になっています。教育予算が減らされたことにも原因の一端があるかもしれません。少なくともフランスなどよりは少ない予算で、良好な成果を挙げるためには、どこかに負荷がかかってくるのでしょう。最初の5年間で教員の30%が辞めてしまうとしたら、持続可能とは言えないかもしれません。教員増などの対策が必要でしょう(他国のことだから、でしゃばることはできませんが)。

フランスはおろか、カナダよりもはるかに乏しい教育予算と、少ない教員数(多い生徒数)で、ある程度の成果を挙げてきた日本の、教員の過剰労働ぶりは広く知られているところです。最近はモンスターペアレンツなどという問題も目立ってきています。先日、子供の(公立)小学校の授業を観てきましたが、たった2人児童数が減ったばかりに学級数を減らされて40人学級になってしまった教室の狭苦しさは想像を絶するものでした。結果の平等を全く考慮しない日本で、学力格差が著明になってくる高学年では、授業が成立しない学級が出てくるのも当然と思わされるような環境でした。こんな状況で何とか持ちこたえているのは、教職員の努力の賜物でしょう。しかし、金は出さないが口だけ出す、お政府さまの施策で、これからさらに要求だけが増えてくるとしたら、到底、持続可能とは考えられません。