フランスの高校はどう変わるか(Obsの記事) | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

前回の 日本の技術者の危機(ル・モンドの記事)  で、日本の理系が志望者減に苦しんでいること、フランスの教育が必ずしも手本にならないことに言及しました。フランスの高校の「改革」は、カナダのケベック州を手本にするらしいのですが、現状には大きな差があります。第一、カナダには日本の文部科学省やフランスの国民教育省に相当する、全国一律の教育官庁がありません。教育の無償という点では、確かにフランスとカナダには共通点があります(逆に言えば、日本やアメリカが異常なのです)。カナダでは、ケベック州だけで教育がうまく行っている訳ではないと思いますが、フランスがケベック州をお手本にするのは、同じフランス語圏だからでしょうか。

今回引用するのは、Le Nouvel Observateur の先週号(2008年6月12-18、通巻2275)に掲載されていた、Lycée, ce qui devrait changer (高校、変わらなければならないとされるもの)という記事です。次回があれば、そのお手本とされるケベック州の教育を紹介した記事、Le modèle québécois (ケベックのモデル)を引用したいと思います。

Un nouveau bac en 2012

Lycée, ce qui devrait changer


政府は200歳の制度の現代化計画を公表したところだ。細部の検討とモデル学校の横顔、ケベックである。



1808年にナポレオンが創設したリセ(高校)は200歳になる。しかしニコラ・サルコジはそれが最も素晴らしい年であるなどと誰にも言わせないだろう。この200年記念のために集まった大学区長の観覧席の前で、Saint-Louis-de-Monceauの平凡な生徒であった共和国大統領は、病弱な教育制度を非難した。「現状はもはや耐えられないものだ。科学部門に圧倒された、専門課程制度は、不均衡であり、検討された目標を全く満足しない。」 示された目標、それは、2009年9月の新学期からすぐに、第2学級(日本の高1に相当)を再編することである。次いで、2012年に「新しいバカロレア」を提案するために第1学級(日本の高2に相当)と最終学級(日本の高3に相当)。広大な計画!突然、教育相グザビエ・ダルコスは教員、生徒の親と高校生という、当事者に、共通方針の書類に署名することを求めた。教育改革に関して初めてである。

 マルセイユ大学区長、ジャン=ポール・ゴドマールJean-Paul Gaudemar が指揮した戦略は、困難のように見える。しかし不可能ではない。なぜなら、我が国の高校の問題は広く知られ、関連するあらゆる当事者に認められているからである。最初に、上位の最も求められている総合高校のS(科学)系統に始まって、下位の職業課程に至るまでの、うんざりするような階層がある。次に、恐るべき複雑さ。総合高校の14の専門課程、技術高校の22、職業高校の54は、非常に費用がかかり、管理が難しい。最後に、過剰な教育課程による余りにも学校的な勉強。一方通行の講義が支配する、週ごとの過密な授業。フランスの高校生は勉強するのではなく、猛勉強している。結果として、自律的であることが求められる大学での研究への準備は余りできない。このブラック・リストに不十分な進路指導を加えよう。そして高等教育での挫折の程度も理解できよう。3分の1近くの大学生が、学士号を取得するに至っていない。

 それを防ぐために、政府は着想の源泉に事欠かない。政府の道筋を示す書類は、それまで重視していなかった古い報告書の結論を再検討している。1983年のアントニオ・プロストAntonio Prost の報告、1998年の教育学者フィリップ・メリューPhilippe Meirieu、2002年のトゥルーズの元大学区長ニコル・ベルベ=フリエNicole belloubet-Frier・・・ また様々な組合の貢献、専門家への聴取、国際比較・・・も採用している。

 そこで何が見つかるか?まず、専門課程間の序列を壊すために、「専門的でないgénéraliste」高校への回帰である。これは、フランス語、数学、言語という共通の幹で定義される。ダルコスが教育モデルの手本として引用した、北ヨーロッパの国々やカナダでされているように、生徒は個人の計画に応じて補足的な教科を選びながら自らの課程を仕上げなければならなくなる。「学級のグループを分裂させて、専門課程の論理を混乱させることが望まれている」、中等学校の主要組合の一つ、SE-Unsaのクレール・クレペルClaire Krepperは断言する。その過程で、留年はなくなるに違いない。生徒は自分が失敗した単位を再履修するだけでよくなる。「教育の時間を10%多く得られるようになるだろう」、教育省ではそう計算されている。

 しかし、非常に大きな未知の部分がある。この自由選択の高校は、数学の独裁を打倒するのに十分だろうか?一部の専門家によれば、これ以上に不確かなことはない。「グランド・ゼコールが文学系バカロレア取得者を大量に採用し始めれば、この状況から脱することができるだろう」と、教育史家のアントワーヌ・プロストAntoine Prost は判断する。しかし他の専門家はより楽観的である。「高等教育はその責任を引き受け、入学許可の基準を明確に示さなければならなくなる」と、社会学者フランソワ・デュベFrançois Dubet は予測する。

 この自由選択の高校では、別の仕方で勉強しなければならなくなる。「教科を具体的な物に結びつけること、生徒にとって意味のある計画をめぐって授業を組むこと」と、高校生活に関する全国委員に選ばれた、ジェレミー・サン・ジャルムJérémie Saint Jalme は説明する。自主性、創造性、個人的研究に出番を与えること。こうして、現在は毎週35時間にもなる( !)高校で過ごされる時間数が明らかに減らされなければならない。計画をめぐるグループでの作業は、枠組みの決まった個人的な作業の場合が既にそうであるように、展開されるだろう。「要求は高められ、内容は減らされる」、歴史家のアントワーヌ・プロストは簡潔に言う。多様な教科の擁護者が戦列に加わることが期待されている。実際には、グザビエ・ダルコスの言葉によると、改革は教員に「重要な刷新」を要求することになるだろう。しかしこの段階では、政府はいまだに逃げ腰のままだ。教職の再評価に関する議論は、一方でまだ進行中である。

 変えるという意思において、グルネル通り(教育省)はしかし、袋小路に陥った。進路指導の。父兄、教師と生徒の本当の協調による学校生活を通じた追跡調査の問題を要求している高校生は、意見を聞かれたのだろうか?高校生は企業世界に親しませられるのだろうか?謎である。それでも緊急課題がある。「教師も、生徒も教室を出るべきだろう」、社会学者マリー・デュリュ=ベラは強調する。「若者の職業生活への参入に関する十分な考察がない。」 改革者殿、まだ努力が必要です。

CAROLINE BRIZARD


出典

LE NOUVEL OBSERVATEUR 2275 12-18 JUIN 2008

http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2275/articles/a376990-lycée_ce_qui_devrait_changer.html


フランスでは、高校生の50%がバカロレアでS系統(理系)を選択するとされています。これが、本文に出ている、「数学の独裁」という言葉につながるのでしょう。日本から見れば、羨ましいのかもしれませんが、逆に人文科学の危機が叫ばれたりしています。

年間の授業時間が、OECD平均の911時間に対して、フランスは1042時間。
1週間で35時間の授業があるとすれば、日本に当てはめれば、月曜日から金曜日まで毎日7時限目まであることになります。フランスのグランドゼコール準備学級や、毎日10時間授業があるというENAを目指すクラスの猛勉強振りが話題になりますが、いわゆる高校生の勉強も半端ではありません。それで、成果が上がっていないとすれば、ある意味、悲劇ではあります。

次回は、関連して、ケベック州のモデル という記事を取り上げる予定です。