派手なファッションのエトーがイタリアのミラノで写真撮影。背番号9のユニフォームに着替えて撮影に臨む。笑顔の裏に重いプレッシャーがかかる。
インテル・ミラノのFWでもあり、代表では予選で最多得点を挙げてW杯へと導いた。2010南アフリカ大会の公式ポスターにも採用されたエトー。
貧しい生い立ちと、黒人という理由で認めてもらえない苛立ち。そんな困難のひとつひとつを自らのゴールで打開していった。「アフリカの黒人が’自分たちはできる’ことを国際的に認めさせることができる舞台だ」と語る。
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朝8時、エトーは毎日1時間かけて練習場に向かう。車の中ではいつもアフリカの音楽をかける。この日はコンゴの歌手の歌だった。
インテル・ミラノではチームの軸となっている。昨年まではバルセロナのエースストライカーとして活躍。鋭い瞬発力とスピード、ゴールへの嗅覚でゴールを量産。今シーズンにイタリアに移籍し、その活躍でインテルを優勝に導いた。
ミラノの自宅。14億円を稼ぐエトーは妻のコートジボアール人ジョジョさんとの間に4人の子供がいる。二人は日韓大会の後に知り合ったという。
20代の若さで他人が羨む生活を手に入れたエトーだが・・・。あなたにとってサッカーとは何ですか?と聞くと「義務」と答えた。
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アフリカ中央部のカメルーン。40%近い国民は1日1ドル以下で生活している。子供たちの遊びはボールを蹴って遊ぶこと。街のいたるところでエトーの肖像画があり、エトーの試合がある日は、少ないテレビの前に大勢が集まって観戦する。エトーの存在は今や国民の希望そのものだ。「半分神様」という人も。
首都のヤウンデではサッカースクールが次々と出来て少年たちがエトーを目指す。しかしその夢も運営難で潰えてしまう。
エトーはサッカー選手の養成学校を設立した。運営はエトー財団。エトーが毎年8000万円も投じている。用具や資材もエトーが提供し、有力な選手はエトーの紹介でサッカーチームに紹介される。
家族と親戚あわせて15人がくらす少年ディカ15歳。エトー財団のセレクト選手になったことで、学校にも再び通えるようになった。
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私財を投げ打って、財団を続けるエトー。彼自身も6人兄弟の末っ子として生まれ、満足に食事もとれない貧困家庭に育った。サッカーに夢中になりサッカー選手になることを夢見たが、叶わぬ夢と諦めていた。いくらうまくなても貧困通りからは抜け出せないと考えていた。
そんな彼をスカウトが目にして誘ったが、エトーは敵対心をむき出しにしたという。少年チームにいても諦めていたが、1990年イタリアW杯でのロジェ・ミラの活躍(ベスト8にいった)を見て、それがエトーに希望をもたらした。
「いつかは僕もミラのようになれるかも知れない」という思いが出てきた。
19歳のとき、マジョルカに所属。いったんはレアル・マドリードにいたが出場機会にも恵まれなかった。そこでマジョルカに移籍したが実力が認められずにラフ・プレーが目立った。
そんなエトーを熱血指導したのが当時のアラゴレス監督だった。「お前は今岐路に立っている。偉大な選手になるためには辛抱しなければならない。」と諭した。エトーはゴールを決めることで、レアル・マドリーを見返していった。その成果が認められて名門バルセロナに移籍しさらに花開いた。
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南ア大会のポスターはエトーの横顔だ。2006年バルセロナvs.アラゴサの試合。相手チームが猿の鳴きまねをエトーに浴びせ、エトーは試合を中断してピッチを去ろうとした。「自尊心を傷つけられた」からだ。公然と抗議した。チームメイトのロナウジーニョも行動を共にすると言ってきた。その3分後、ピッチに戻ったエトーはアシストを決めた。
その次の試合はゴールを決めて、観客席からカメルーン国旗を貰い掲げた。「白人よりも2倍も3倍も優れたプレーをしないと認められない。」とエトー。
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マジョルカには若いカメルーンの選手オリンガがいる。スペインでホームスティしている。彼が大事にしているのはエトーと一緒に映っている写真だ。そのときエトーに言われた言葉を忘れていない。「白人の中でゴールを決めろ」。オリンガはその言葉を胸にゴールを決めている。
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エトーは今シーズン、不調だった。インテルでもゴールを逃すことが多く、アフリカ選手権はベスト8にもなれなかった。相手DFの徹底マークでエトーもフリーになれなかった。
前回のワールドカップはエトーがPKをはずして出場権を逸した。エトーはその場で号泣した。
今回のワールドカップの3ヶ月前。モナコに集合したカメルーン。エトーはGKと話し合っていた。3月3日イタリアとの親善試合。前線で積極的に動くが、イタリアDFにマークされてシュートを1本も打てず、スタジアムを後にした。母国では批判の対象としてエトーがあげられた。
それでもエトーへの声援は止まなかったが、それに苛立つほどにエトーはスランプに陥っていた。練習場には黙々と走りこみするエトーがいた。欧州に渡って13年がたって、その真価が問われる大会が迫っていた。
取材最終日、エトーに取材班はオリンガの映像を見てもらった。「一人前になるのは、自分でゴールを決めろ。」と言われたと語るオリンガの様子。そしてエトーが導いてくれるカメルーンはきっと勝つというメッセージ。
エトーはそれを見て「彼は間違っていない。たくさんのゴールを決めることだ。俺は諦めずにやる。ここまでやってこれたのはそれがあったからだ。」
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うーん。こんなデッカイものを背負った選手、そして国と戦うんだ。