J-PARC東海村の施設。今年4月にT2Kという東海TO神岡300kmの距離のニュートリノ観測プロジェクトだ。
この実験を準備していたのが戸塚さん。準備段階でガンが見つかり、治療に専念せざるを得なかった。
自宅でブログに記録をつける日々。それを悲しい性と表現。悩みはどこからくるのか?人間の生命とは何か?までブログに書き綴った。・・・残念なことはそれを分析できなかったこと・・・(享年66歳)
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千葉県にある戸塚さんの自宅。40年間をともにした裕子さん。夫の写真にお茶をそなえるのが日課だ。
2階に書斎として使っていた部屋がある。長年研究に明け暮れていた戸塚さん、数少ない家族と旅行に行ったときの写真が飾ってある。
この部屋で、克明に自分のカラダの記録を取っていた。そしてこの膨大な記録をブログに綴った。2007年4月に「A FEW MORE MONTHS」という題で立ち上げた。
ガンは大腸に再再発したことが8月に記録されている。もともと知り合いに発信するものだったが、克明に綴っていった。知り合いのがんセンター名誉総長の垣添医師に診断してもらった。
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1968年岐阜県奥飛騨に初めて訪れて、そこで素粒子研究に入る。指導したのはノーベル賞受賞者の小柴博士。戸塚さんはニュートリノの研究にまい進する。宇宙のあらゆるところに降り注いでいるニュートリノ。どんなものでもおかまいなしにすり抜ける原子の100億分の1にも満たないもの。そして電気的性質も持ち合わせていないので、観測が極めて難しい。
その観測装置がカミオカンデ。1988年観測したデータをもとに論文を発表した。ニュートリノに質量があるというもの。当時の科学者は誰も信じなかった。「標準理論」では質量ゼロだったのである。
そこで不眠不休でデータを集めた。’実験ノート’に詳細なデータ記録があった。
1998年6月、積み上げた膨大なデータを素に再度世界に打って出た。発表では「ニュートリノに質量があると結論付ける」と結んだ。聴衆の拍手が鳴り止まなかった。
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その翌年、T2Kを準備するが、がんが見つかった。
自宅にヘルメットが置いてある。「僕自身だ。」と奥様に語ったという。
CT写真のコピーを医師からもらって、自宅の書斎で分析。患部の写真をヒトコマずつ撮影し、PCに取り込んだ。そしてがん細胞の変化を分析した。奥様に「ちょっと、ちょっと」と声がかかるが、良い結果かどうかは声の調子でわかったという。
時系列に腫瘍の大きさをグラフにしていた。当初は抗がん剤を使わずに、腫瘍が大きくなり、その後抗がん剤のせいで大きさは抑制されているが、大きなガンには抗がん剤が効かないようだとの分析もされている。
国立ガンセンターの島田安博所長も「超人ですよ。」とその分析力に感嘆する。
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2007年9月、水元公園を散歩。空手六段の猛者が、生きているのがやっとという状態を嘆く。このころ抗がん剤の副作用かどうかわからないが涙目になるという。その原因をつきとめるべく、サプリメントを止めてみる。それでも涙目は治らない。副作用ではないかと医師に告げる。この頃、この副作用が取りざたされてきたばかりのころ。専門家が着目したばかりの事象だった。
そしてがんのこういった症状が整理されていないということに気が付き、フォーラムに出席したり、患者のナマの声を聴いたり、ネットで調べたりして「患者さんの体験」としてブログに発表していく。
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カラダに激しい痛みを覚えていくのは2008年になってから。肺に転移し、肝臓に転移し、骨に転移した。迫り来る死をハッキリと意識していくようになる。
2008年1月、「自分の消滅した後の世界を垣間見ることはできないことに慄然とする。」と記載。「死が恐ろしいことに変わりは無い。」
2008年2月に花園大学の佐々木閑教授の著作をもう一度読み直す。
佐々木教授とは交流があって対談もした。そのときの肉声がテープに残されていた。
戸塚「'無’というのは想像できない。人に伝えて納得してもらうことができない。」と。っしかし仏教の哲学にもある’輪廻転生’で、苦悩から解放された先にあるのが完全な'無’であるという考え方に共鳴する。
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ニュートリノに質量があれば、現在膨張している宇宙が収縮する。その結果’無’になるという。この宇宙の'無’、何も無いところから始まって何も無いところに還る。恐れることは無いと。
予想もしない出来事が起きた。’意識を失った’のである。このことが今まで見せたことのない異常行動の前触れで、診断の結果、脳にもガンが転移していた。家族の顔を判別できなかったという。
ブログで「外界とはまったく孤立しているが、必死で理解しようとしている。」と分析。
長男の洋史さんが変わって治療法を検索する。そしてガンマ線治療を受けることになった。麻酔をしつつボルトで固定する。治療の様子をこの目で見たいと眼鏡をかけたまま治療に入る。
0.5mmの部分にガンマ線を照射。時間と回数をしっかり記憶しブログに記載。
それから1週間。不思議なスケッチが登場する。「幻覚」が浮かんでくるという。それはリンゴのようなものに目のようなものがあって葉っぱを付けている。この現象をも客観的に向き合おうとしていた。
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2008年4月。T2K本格実験開始まであと1年。
治療の限界を伝える医師の言葉を聞く。自宅に帰ると庭に花々が咲いていた。ヒメウツギ・バタースコッチ・ダブリンなどなど。奥様の丹精された庭に咲く花に目を留めた。
この頃になると、同じようながん患者からメールが届くようになっていて、その相談を受けるようにもなっていた。
「普通の努力をすること。見る、聞く、読む、書くを少しだけ注意深くやってみませんか。」と。
2008年6月27日、「2階に上がれなくなったよ。」と妻の裕子さんに声をかけた。
5日後の7月2日、がんセンターに行くとすぐに入院となった。この頃は歩くのもままならない状態になった。
この日からパソコンに自力で打ち込むことが出来なくなり家族に、記録の継続を依頼する。
飲み物も満足に通らない状態でも還る希望を捨てなかった。
2008年7月10日未明に永眠。享年66歳。最後まで科学者としての生き方を貫き通した。
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9ヵ月後T2K実験が本格的にスタート。戸塚さんの構想から10年。あとを継ぐ研究者達の手でニュートリノが作られようとしていた。ニュートリノの正体に迫る新たな一歩がやってきた。
4月23日、ニュートリノを人工的に作り出すことに成功。
その役割の片鱗がわかるかも知れない。
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姫シャラの苗が2本。鉢に残されていた。
ブログの最終ページは長男が綴った。がんと正面から向き合い、戦った父の記録を閉じた。