独断と偏見の日記帳 -21ページ目

独断と偏見の日記帳

国際結婚した男の日々の言いたい放題のブログです。



 この騒動、謝罪すべきはナベツネであり、猛省すべきだ。

 そもそもが、ナベツネの増長と傲慢が招いた結果であり、経緯を観れば、清武氏が怒るのも無理はない。だいたい、しっかりと報告し、しっかりと書類を作成し、見てもらい納得してもらったのに、それを否定した。腹立たしいのは、酔っ払って「そんな話は、聞いていない」なんて言われたら・・・・頭にくるだろう。ましてやまじめにやっていて、さらに若手を育てて、強くしようとしているさなか、契約もすませ、さてこれからという時にそんなことを言われたらと、その腹が煮えくりかえるのも、無理はない。これまでの過去の経緯を見ると、あきらかにナベツネ氏のめちゃくちゃな要望をいやいやというか、「ハぁー」という感じで諾々として受け入れてきた。その延長線上に今回の問題があると思う。

 名誉棄損という言葉を使って、ナベツネ氏は言っているが、これは論理をすり替えている。そもそもの問題は、人事の話で、どう考えても自分の落ち度。それを名誉棄損で言い訳をしている。

 巨人は紳士たれ、というのがあるが、ナベツネは自分の非を認め、清武氏を正式な謝罪をすることで、決着するのではないか?、まあ、現実は残念ながら、あのナベツネ氏ですからね・・・・・。

 本当に、プロ野球を改革したいなら、このお方を引退させるのが一番なのは事実なのようだ。

 このところTPP問題で、政治が揺れている。ある種、復興そっちのけで・・・。


 個人的言えば、TPPに参加すべきと思っている。ただし、いまの現状では参加すべきではないと。その理由、まずは農業の再編を図ってから、参加すべきと。


 いまの農業は、兼業、専業のある種、二極化されている。兼業はその名の通り、通常はサラリーマンをしていて、その仕事のあとに農作業をする。


 専業は、まさに農業を本当の天職としている人々だ。


 じつは、相対比率として専業農家が少ない。


 TPPに参加することに反対している人は、果たして兼業なのか、専業なのか。


 ところが、いま不思議な傾向にあるという。実は、専業農家の跡取りたちが積極的に大規模農家になろうとしている。兼業、専業いずれも後継者不足にあえいでいる。そのため、本人たちが辞めてしまえば、そこの田畑は使われなくなる。結局、荒れ放題になる・・・・。


 そこをもったいないと思って、買い取ったり、譲ってもらったりしている。しかし、それに待ったをかけているのが、農水省とTPPに猛反対している農業協同組合。


 大規模農家になろうとしているのは、20代~40代の若手だ。


 農協や農水省がもたもたしている間に、大規模農家を目指す人々は独自に動き出している。


 いままでは、農家が刈り取ったものは一旦農協が管理し、そこから全国へという感じだった。しかし、彼らは、別ルートで積極的に海外へ打って出ている。


 そして、彼らが共通して言っているのが「農協が足かせになっている、農協って本来、農業を発展させるためにあるのでしょう?それが・・・・」という言葉だ。


 もともと農協制度は、戦後の農地解放に根源があると思う。実は、大戦後GHQの政策はソ連型共産政策でもあったと言われている。

 

 その後、GHQ内を含めたレッドパージが起きている。


 日本の農業は世界に打って出ることが可能というのがその人たちの持論だ。それは、中国で現実化している。中国国内では、国内の農作物は安心できない、という理由から高級食材として多く買われている。


 また、米国でも日本産の牛肉を上下両院の議員たちは好んで食しているとも。その理由が笑えるのが「米国産は安心できないから」・・・・。オイオイ、と突っ込みたくなるようなことを平気で言っている。


 そもそも、TPPに参加しても言うべきことを言っていけば良いと思うし・・・。ただ、議論すべき時に議論しないと後々後悔するようにも思える。

 ところで、自転車規制に思うのだが、果たして今回の規制について決めた側の人間が、どれだけ自転車を乗ったことがあるのか??甚だ疑問だ?。そもそも、道路や交通の法案を決めている官僚たちで、とくに下町、浅草、上野、根岸、など道路の狭いところを走ったことがあるのか。


 まあ、こういうひとは運転手つきの車に乗ってやってくる連中だ。そもそも、そんな奴らが作った法案では機能的で能動的な規制なんてできこっかない。というか、無理でしょう。いい大学に出て、官僚になったひとに自転車通勤なんてダサいと思っていても不思議じゃない。


 こういうのは、大学を出ていても少し落ちこぼれのような連中が考えだし、それを成績優秀な連中が聞く耳を持ち、動く。そうすれば、短期間にできる。しかし、それができないような教育をしてきたのが日教組であり、きちんと指導してこなかったのもこんな硬直した官僚を作り上げてしまったのだ。


 ちょっとした計算違いで右往左往する。それが異様にみっともない。


 だから、官僚が優秀なのにバカ呼ばわりされる。もう少し、普通の街、普通の生活を経験してみてはどうか。そもそも、初年給からして1000万近い給料をもらっているのだから、それくらいのことをしてもいいし、耳を貸してもいいはず。


 どうも大卒ということで、ほかの連中を下に見てはいないだろうか。情報にもならないものでも、その積み重ねはどこかにいかされるし、いざという時にも役にもたつ。


 それが、一番ためになるのではないか。


 中国へ経済依存を深めれば、おのずと国としての尊厳性は薄れ、中国の属国化へまい進する可能性がある。親中派は、ある種、スパイと疑った方がいい。実は、本人が自覚していなくても、中国にとってはおいしい情報源でもある。

 ただ、これを逆手に取ることも可能だ。中国はそこかしこに民間スパイというものを送り込んでいる。たとえば、議員の秘書、企業の幹部、秘書、地方の中小企業への入社、地方大学の学長など多岐にわたる。

 やさしい隣人が、じつはスパイでした。というのは共産圏では日常茶飯事。冷戦時代はそもそも息が抜けなかった。

 香港が、ついに自由化から共産化への道を歩み始めたようだ。民主派が恐れていた、中国共産党への屈服が目に見えつつある。経済といいう大きな流れと時流は、大きな不幸へと向かっている。

 日本もいつしか、そういうことになりかねない。あー、恐ろしや~。


 こうは、言いたくないが、「公明党のばかやろ!!」だ。

 解散を望む!!だと、いつまで政争をやっているつもりだ!!、これでは被災地への復興どころか、再建が遅々として進まないではないか。そういう人事にいちいち目くじらを立てていたらなんにも進まない。

 学会も学会、こんなくだらんことに首突っ込まないで、被災地で苦労している人々を助けたらどうか。いっそのこと、この機に信者を増やすことも・・・・ということもあるが、それはともかく、公明は政策提案を積極的に政府にしていくべきだ。政府ができないのなら、自分たちが野党から操ってやろうなっていう考えがないのか。

 政治の熟練度といったら公明党の方が上ではないのか。それを利用して最大限の政策提言をすべきではないのか。それができないのなら、口を出すなといいたい。

 震災で、国の支援が遅いことで、ひとつの現象が起きている。


 それは、行政が何かをしてくれるのを待つのではなく、自分たちで行政に提案し、実行に移すということ。


 それにしても、小泉政権は経済政策について賛否両論があったが、地元に対しての認識を考え直させる政策というか考えを示していた。


 「地方は地方に」。地方は、地方の良さがある。それを、いかに利用し理解し、発展させるか。


 今回の東日本大震災で、まさにそれが起きている。つまり、津波で被災した地域の住民が、自分たちが住む街を本気で立て直そうと奔走している姿だ。


 行政の動きが遅いことで、だったら行政の動きを待つだけでなく、いっそうのこと自分たちで進めていこうという姿勢だ。


 これは、江戸時代にもあったことだ。江戸時代のシステムは、行政は、最後に口を出す方式で(地方)行政が進められてきた。


 百姓→庄屋→大庄屋というシステムで、地域の意見を集約し、上へ要望などを伝えていた。それが適性かどうかを上が判断する。


 逆に災害とかになると、行政からもそして、庄屋レベルからすでに独自に動くことができた。


 これが、近世中央集権化されることで、そのよさもなくなってしまった。しかし、皮肉にも今回の被災で、国の担当レベルでも賄いきれない状況になったことで、本来日本人が持っていた、行政への提案や協力が目立つようになった。


 これは、まさに自分たちが何とかしようと動いている証拠ではないのか。これこそが、日本再生への試金石になるのではなかろうか。



 石原知事の発言は、ごもっともだ。いざという時に、日教組は何をしているんだか。本当に、政府を批判する前に、まずは己らの教育の失敗を反省しろってんだ。

 反対の連中の言葉を聞くと腹立たしくなる。一見、ごもっともな意見を言っているようだが、ようはうちに来てもらっちゃいや!!、他でやっての論理だ。これと似たようなのは、ごみ処理施設を作ろうとした時の反応と似ている。

 原発反対論者も同じ思考だ。

 つまり、自分のところでつくらないで、他でやって、という論理。

 こういう論理は、戦後教育の中で培われたものだ。とくに安保世代。こいつらは、権利ばかりを主張して、国際的な感覚が無い。まあ、これはこいつらに限ったことではないが。

 とにかく、いざという時に、なにもできないのが、安保闘争をやって、行き場がなくなって教師や隠れ公務員、塾講師などにやつして活動をしているわけだ。

 しかし、石原知事に続く、行政の首長はいないのか。それが、問題でもある。

 放射能をめぐる問題で、がれきの受け入れを拒否している各自治体。


 協力を申し出たのは、東京都だけ。


 非常に情けなし・・・・。受け入れを表明して、さっそく都に抗議の電話。


 本当に支援をするなら、行動で示すべき。批判している連中に言いたいのは、やっぱりあなた方は、面倒なことは避けて、自分だけ安全ならいいのか。と


 そういう連中が、もし政府批判をしているのであれば、そういう連中に批判する資格はないというか、東北には行くな!!といいたい。政府批判は非常にナンセンスだ。


 しばらく経てば、そういう連中はのこのこと東北へ行くのだろうけど・・・・。こういう人がいるというのが、日本国民として情けないし、腹立たしい。


 確かに、放射能の問題もあるだろう。しかし、いまの東北のとくに福島、宮城、岩手の沿岸部の人々はがれきが片付かない限り、先には進めない。

 それなのに、放射能を理由に受け入れないというのは、非常に問題だ。


 こういうのは、他の場合でもよくある。


 ごみ処理施設は作るな!!、焼却場は嫌だ!!、火葬場は作るな!!・・・・じゃあ、ゴミは、死体は・・・。そもそも、反対を言っている連中は、そんなことはこれっぽっちも考えていない。自分たちのところに危険が来ないでほしい、他でやってほしい・・・。じゃあ、自分たちは良いけど、他人が死んでもいいのか?と、連中の話を聞けば、結局自分だけ助かればいいというエゴが見えるのだ。


 こういうのが集まれば、おのずと国力は衰退し、国は滅亡する。


 反対を表明している連中は、日本という国を亡国へと導いているのだ。こいうことを言うと、大げさな、という人々がいるだろう。しかし、こういうのが積み重なっていけば、どうなるのか。おのずと見えてくる。


 東京が良いのであれば、川崎や神奈川、千葉、埼玉でもいい。新潟でもいい、とにかく、困っている人がいれば助けるのが人というものだ。とにかく、嫌だといっていれば、復興は進まないのだ。



 中国で5年に1度の形だけの「地方議会選挙」が行われるという。しかし、共産党のお仲間でないと立候補すらできない。はたして、これが人民共和国といえるのか。

 そもそも、共和国とは、自由に意見を言うひとびとが議員として立候補し、自由に議会を通じて議論することができる国だ。だが、現実はそうはなっていない。一つの思想によって統制され、他の思想は認めない。ただし、なんらかのリベートがあれば認めてやる的な状況だ。もし、それをやらないなら、認めない、というような風潮だ。共産党員にあらずんば人にあらず、まさに今の中国とはそういう国だ。

 そんな、国に工場や企業を進出させるのは本当に如何なものか。

 中国ではなく、インドやインドネシアにもっと進出すべきだろう。正直、いまの中国に進出するのは非常に危険だし、共産党が一党独裁し、あらゆる声を抹殺しているような国の自由というのは、統制された自由であり、本当の自由ではない。

 ところで、人民共和国という言葉がついていながら、まったく民主的でない国が、共産党が支配している国によく目立つのだが、なんでなのだろうか?

 震災報道や原発のテレビ報道は、参考にすべきで信頼すべきではない、最後は自己責任というのが私の独断と偏見の考えだ。
 そもそも、私がテレビの報道を参考するということにしたのは、テレビ朝日のカイワレ報道。ずいぶんと昔だが、結局、テレビ朝日は風評加害を認めなかった。明らかに、風評加害者にも関わらず、私は知りませんという顔をし、最後まで認めなかったし、カイワレ業者にもきちんとした謝罪をしなかった。

 テレビをつかっての公開謝罪をしないテレビ朝日に対して、そもそも、業者もあきれていた。

 かつて、テレビ局のADのADみたいなことをしていたが、「正論」がいっているように、見つけてくる、ということはしていたように思う。
 ある時は「見つけらんねぇなら、見つけてこいよ!!、それが仕事だろう」と脅しの様な口調で、下っ端の連中に行っているディレクターみたいのを見たことがある。
 
 ようは、もともとシナリオみたいなのがあって、それにそっていく。テレビ局が政治を操るなんていうことが起きる。

 まさにこの正論がいっているようなことはテレビ局では日常茶飯事と思ってもいいくらいだと思う。なぜなら、それでは視聴率が取れないから。

 結局、テレビ局を変革させるのも国民ということになる。