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clover chronicles Ⅱ

b-flower・Livingstone Daisy 八野英史の音楽年代記 クローバークロニクル2

ルースターズを聴いたらそりゃ流れでARBとなろう。
春何番だかが吹き荒れる東京。僕の私的なベタ「東京の歌」の選曲は、ジュリーの「TOKIO」でもYMOの「テクノポリス」でも、ピチカートの「東京は夜の7時」でもサニーデイサービスの「東京」でも、くるりの「東京」でもなく、ほやほやの小沢健二の「流動体について」でもない。

ARBの「TOKYO CITYは風だらけ」。18、19歳の時に学園祭で観たんだけどカッコよかった。

 

 

東京に住んだことのない僕にとっては、東京ベースのCity Pop ほどピンとこないものはないのだけど(洋楽を聴くのと同じ感覚)、それとは別に ”もともと東京の人ではない東京に住む人の違和感の歌” というのも多いですよね。そういう歌には何か親近感があったりもします。(くるりの「東京」や、この「TOKYO CITYは風だらけ」とかもそうですね)

 

ただこの2010年代、もうその視点での「東京」は描き尽くされてる感も。

そこで、これは新しいんじゃないかと思って作ったのが、東京に住んだこともないのに、住んだつもりになって描く東京の歌(笑)。それがLivingstone Daisyの「どこにも行けないでいる(英題:Tokyo Snowscape)」でした。

 

最後は自分たちのバンドの宣伝で終わるという一番嫌われるパターン。すみません。

 

 

 

 

 

 

 
 
Sad Song / The Roosterz
 
あ、ネオサイケ、エコー&ザ・バニーメンの流れで思い出した。
博多のロックって感じでデビューしたルースターズ、83年頃にはニューウェーブ化が進んで、すごく好きでした。
この頃の大江さんは、精神の調子があまり良くなかったとの事ですが、歌詞もとても詩的で、この「Sad Song」という曲は今も大好きです。
 
 ” あの娘のおもかげが とめどなくあふれだし
   うすぐもった胸を 真白に塗りつぶす
   水しぶきが岸を越え 君の顔にふりかかるころ 
   僕はふるえる霧靄をしずめ この胸ははりさける ”
 
 
 
Killing Moon / Echo & The Bunnymen
 
84年のアルバム『OCEAN RAIN』から。
80年代前半〜中盤は(ネオ・アコースティックと呼ばれていた)ラフ・トレードやチェリー・レッドのアーティスト以外では、このエコー&ザ・バニーメンは好きでしたね。
83年の『PORCUPINE』とともによく聴いたアルバムです。
収録曲の「Crystal Days」はbの超初期、バンドでやりましたねー(前にも書いたか)。
「Killing Moon」は、わずか4〜5個のコードでこれだけ情緒のある曲ができるんだなって。彼らの曲はどれもシンプルなのに、他とは違うかっこよさがありますよね。
 
 
 
 
 
 
Bill Drummond Said / Julian Cope
 
84年のアルバム『FRIED』から。
先週、学生の時の軽音学部の先輩後輩にあったら、いろいろ当時に聴いてた音楽が蘇ってきました(また昔話かい!)
 
ジュリアン・コープはバンドでやったりはしなかったけど、この曲がすごく好きで、ベスト選曲カセットとかにはいつも入れてました。
 
ティア・ドロップ・エクスプローズも含め、周りには誰もジュリアン・コープを聴いてる人居なかったな・・。
ネオサイケというカテゴリーに分類されてましたね。
ネオアコースティックにネオモッズ、ニューロマンティックにネオサイケ。
安易なネーミングやわー。
 
そしてニューロマとかネオアコと略されると何か途端に「蔑んだ感」が出る。
どちらも演ってた(演ってる)僕の単なる被害妄想?
いやいや、ロック・命のおっさんやチェケラなヒップホップ野郎に絶対なめられとる。ケッ!
 
 
 
 
 
b-flowerは解散しません。続けていきます。絶対に続けたいというメンバー全員の強い意志をもって、今日 正式に決めました。

バンドが岐路に立たされた時や困った時に、いつも僕は岡部に相談していました。「どうしたらいいと思う、岡部?」。
一番の危機の今、その頼みの岡部がここに居ません。

でも、そこは35年の付き合い、わざわざ天国まで訊きに行くまでもありません。
岡部は間違いなくこう言います。
「あ〜すまんすまんヒデ、続けてやー。後は頼むでーみんな!」

誰よりも無念な思いをしている岡部の為にも、僕らはもう一度この舟に帆をかけます。
みなさん、どうぞよろしくお願いします。
 
b-flower 八野英史