前回の二人担任制について、ご意見をいただきありがたかったです。
クラスはその担任のテリトリーという意識が強いので、この中に別の人間が入ると問題も多そうですね。
しかし、今の学校業務は、一人の人間が負える量を超えてきているのではないかと思っています。その負担をとにかく減らして、生徒と向き合い、指導方法、教材研究をする本当に必要な業務に時間を割くことができないかを私は考えたいです。
単純に「仕事を減らしてくれ・・・」というものではないです。
「本来やらなければいけない仕事をする時間をくれ・・・」
なんです。
放課後の学級活動を終えて、生徒が部活動に向かった後
「あの生徒ともっと話しせなかっただろうか・・」
「もっと勉強の時間を確保すれば、授業に躓く生徒も減るのではないか」
と思っています。
多い日は、毎回来る休み時間ごとに、生徒と話をしています。
それは、何か問題があって指導をしている時もあれば、こちらが心配だと思っている生徒を呼んでいる時もあります。生徒の方から話をしたいといわれる時もあります。
教材研究をする時間もなかなかありません。日中は授業をやっていますから、教材を研究する時間はありません。
私は一日に4~5時間の授業を持っています。中学校ですから空きコマがあって、その間に生徒が書いてきた日記を読み、コメントを返しますが、50分をフルに使ったとして、一人一分半で読んでコメントを書かなければ間に合いません。
ですから、教材研究をやろうとすれば、自動的に生徒が帰った時間からになります。
夏だと部活動が終わり、片づけをして職員室や準備室に入るのは7時くらいになりますね。
まぁこの時間からさらに教材研究をやろうとするのは、よほど熱心に授業研究を行っていたり、研究授業を抱えている人だと思います。
そこから翌日の4~5時間分の授業をまともに考えようとすれば、9時くらいになるでしょうか。
朝の部活のために、7時くらいには学校に来ているので、9時まで仕事をすれば14時間は学校にいることになります。正規の勤務時間が8時間なので、一日6時間ずつの超過勤務ですね。週30時間で月に120時間。休日の部活動を週1で入れれば、そのたびに6時間くらいやりますから、月に140時間くらいの超過勤務です。
私の友人では、月の超過勤務時間が200時間に達する人もいるので、もちろん140時間で弱音を吐いてはいけないかもと思うのですが・・・
確か過労死と業務時間の判定基準を見たとき
月に80時間以上が続くとやばい・・みたいなことも書いてあったと思います。
もちろんまともにやれば・・・の話です。
だからそうならないように、どこかをあきらめなければいけないのですが、そのしわ寄せが、生徒のケアと、学習指導にきているのではと思っています。
そうなったとき、どこが減らせるかを考えると、部活動ではないかなと思いました。
ここで誤解をしてほしくないのですが・・
部活動の意味を感じていないわけではありません。
私も数種類の部活動の顧問を何年もやってきましたし、そこで生徒が成長する姿も見てきています。
自分が部活指導をしている時間に充実感も感じています。
現在顧問をしている部活動に対しても、自分の全力を注いでいます。
ただ、教員が本来の学校業務と兼ねてやっていくには多くの問題を抱えているのも部活動です。
理由の1は
上にも書いたように、学校本来の「学問を通して人間形成をする」が疎かになるということです。ここで言う学問は、もちろん実技教科も含んでいます。学校は学問を学ぶ場です。社会常識や、人間関係などもそれを通して身につけていくのだと思っています。
理由の2は
教員は各種目や活動の専門家ではない
ということです。
私はサッカーのルールをよくわからない状態でサッカー部の顧問になったことがありますが、もちろんサッカーを経験した人に比べて良い指導はできませんでした。
毎日練習している中学校のチームが、週2回練習しているクラブチームに負けます。競技力の向上を考えれば、それに見合った知識や技能を持った指導者が教える方が子どもたちのためです。
部活の顧問の中には、その競技を専門にやってきた人ではない人が多くいます。私も過去を考えると、自分が学生時代に部活でやってきた部の担当だった方が少ないです。
以上二つの理由を考えて、部活動は学校とは切り離した存在、社会体育や社会文化活動に移行していった方がよいと思います。
学校で部活をやっているメリットは部活動を理由にして生徒指導がしやすいということですね。
しかし、それがなくては生徒指導ができないわけではありません。
「そんなことをやっていると、部活停止になる」みたいな台詞は、ちょっと脅している感じもしますし、生徒指導の力に長けた方はあまりこういう言い方ややり方をしていないように思えます。
部活動を通してできる連帯感や責任感、達成感は、人間形成のためにとても大きな力になります。しかし、それを担うのが学校でなくてもよいと思います。優れた指導者は学校の先生に限りません。むしろ、その競技や活動の専門家の言葉の方がはるかに子どもたちの心に響くのではないでしょうか。
学校が子どもたちの成長を一手に引き受けて独占する時代は終わったと思います。
教員の中には優れた指導者が多くいます。その方たちが指導しなくなるというのではなく、優れた指導者として社会体育・文化活動の指導者として活動していただければいいのです。
部活動の顧問は「当たり・はずれ」をよく言われます。生徒にとって指導者はとても大きな存在でありますし、自分たちの力がどれだけ伸ばしきれるかというのは顧問の存在が大きいので、生徒の気持ちもわかります。
だからこそ「はずれ」とされる素人の教員が指導者になることを防ぐためにも、学校と部活動を別のものとしていった方がいいのではないでしょうか。
読んでいただいた皆さんのご意見をお待ちしております。