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教員日誌

中学校教員、日々の実践の振り返り、反省、諸々
自分が振り返るための実践記録ですが、ご意見いただけたら嬉しいなぁ

教育実習生の研究授業がありました。

久しぶりに見たなぁ…
懐かしいなぁ

私も指導教官に
「○○くん…指導案にはもう少し字を書いて…」
と言われたっけ…

授業のやり方とか、子どもの思いなんか、全然無視で、ひたすらしゃべり倒したなぁ…

本校には、二人の実習生がやって来ました。
入った学年が違うと、実習生とはほとんど関わりがないのですが、実習生の最後の研究授業には行きました。

この二人が、とても対象的な授業をしていたので、更に興味深く参観させていただきました。

一人は自分の教えたい内容にこだわり、きっちりとレールを引いた授業です。
発問も、原稿を読んでいました。
始まってから25分、生徒は一言も話しません。ついでに、一時間を通して、挙手の機会がなかったです。

もう、本当に、自分の伝えたいこと。やらせるので精一杯だったのでしょう。

生徒を見ないというのは、良くないですが、逆に感心するのは、そんなに伝えたい内容ができるほど、教材を研究したことですね。
基本的に、教科書斜め読みな私からすると、感心です。

二人目は全く反対で、生徒をよく見ようとしていました。自分のやり方と被るところがあるので、個人的にはいいなぁと思いました。
しかし、全員を見ようとして、結局誰の考えも深く見ていないんです。

まぁ実習生の授業は、授業らしくなるだけでも大したものです。
私が一番学ばせていただいたのは、真摯に、生徒や教材と向き合う姿勢です。

経験や自信がついてくると、つい、こういう大切なことを忘れてしまうんですよね。







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お久ぶりです・・・

っていっても、最近自分のブログをチェックすることすらままならないくらい忙しくして居ったので

もちろんだけれども、記事なんて書いていなかった。


かれこれ一カ月近く放置していたんじゃないかな・・


これを読んでくれている人が何名いることやら・・


まぁ忙しかった原因は主に文化祭やら部活やら研究やら


中学校教員をしていれば、この時期は忙しくなる時期ですね。

小学校はもう少し早い時期に運動会をやるところが多いので、もう少し前にピークが来ているでしょう。


10月のスケジュールを見てみて、また愕然とします・・

今月・・休みが1日だ・・・


はい、残りは部活と出張に明け暮れております。


先日、校長面談があり


「将来の展望は?」


といきなり聞かれました。大人になってから将来のことを聞かれると、案外焦ってしまいます。


まぁ教員としてどんなふうに生きていくのかという意味だと思うのですが。


小学校・中学校と一通りやってきている私の当面の目標は


「義務教育9学年制覇!」


なのですが、小学校に赴任すれば、やがてこの目標は達成できるかなぁと安易に考えています。


基本的には教員の仕事は共通の部分が多いと思っています。小学校6年生を担任しても、中学校3年生を担任しても、学級指導の大半は同じようなことを言っていると思います。年齢の差があるので、言いかたが違うだけで。


教科指導、学級指導の力はどの教員でもできなければいけない基本だと思っています。

まぁ質の高いものができているかと聞かれれば自信を持って答えられる人は多くないでしょうけど。


その基本がある程度苦労なくできるようになってくる10年目くらいに再び分岐点がやってきます。


基本業務を苦労なく回せるようになってきて、そこに回さなくなったエネルギーをどこに向けるかということです。


私が考えるその先のパターンは次のものです。


1、教科指導のスペシャリストを目指し、教育研究の方面に・・・主事とか研究校とかそんな方面


2、部活動にささげる・・・部活動は課外活動の位置づけですが、やりがいも極めがいもあるものです。


3、家庭など、自分のプライベートの方に・・・家庭や子どもを持ってくる時期です。



このほかに、研修などで大学や日本人学校などに行く場合もありますが、そっちはおおむね1に当たるのではないかと思っています。


どの方面もまともにやろうと思えば選べるのは一つでしょう。

効率的にうまくやって、二つかな。


私の場合は昨年度から引き続いての研修期間+部活があるので、今年と来年は強制的に1・2です。

今年度家庭は犠牲になっております。子どもの運動会などは出席していませんし、休日の昼に顔を合わせていることはめったにありません。

うちの息子などは、今月、父ちゃんが家にいる休日を言えます。一日しかないですから、その日付を覚えているわけですね。


今の職場に来てからというもの、部活動三昧の毎日を過ごしている私です



吹奏楽部は年中コンクールやらイベントやらに追われている部活なので

OFFシーズンというものが存在しません。ものすごい忙しい時期と忙しい時期に分かれているだけで

休日練習の日数には年間を通して変化が少ないです・・基本、休みがないです。

今月休みを入れているところも、私用があって、私が出れない1日と、出張のためのお休みが3日あるだけですから、生徒も相当ハードですよね。

よく頑張っているものだと感心します。


先月から今月と私を忙しくしている原因は、部活もあるのですが、研究の方です。

教員以外の方はなじみがないと思いますが、教員って研究をしているのですね。


子ども理解や教材開発、授業研究などの研究会がそこかしこにありますし

10月から11月にかけては、教育課程研究協議会なるものや学校内外でのそういう公開授業や研究会が開かれるので、授業者や係に当たっている人は、この時期に忙しくしていると思います。


じゃあ具体的にどんなことをやっているんだ!?ということについては、語ると長くなってくるので、今回は割愛します。


私は昨年度現場を離れて、研修をしていました。

その影響で、今でも月に一本のレポートを書き、報告会が土曜日にあります。


今月からは、それを一年間のまとめとしての論文にしあげるなんてものもあります。

提出前日はほぼ徹夜です・・・


この年になると、研究校への誘いみたいなものをかけられますから、上に書いた研究という道がないわけではありません。


1の研究も、2の部活も、どちらもやりがいがあるから困ってしまうのです。

3の家庭に対しての責任もありますしね。

嫁は私と同じ教員です。同じ給料をもらって仕事をしているのに、育児、家事については、私はほとんどできていません。そういう不公平に対して後ろめたい気持ちもあります。


1・2・3、すべてができてしまうすごい人もいるのでしょう。

私は仕事の効率があまりいい方ではないので、できて一つなのかなぁとか考えてしまいます。


日常の仕事をこなすだけならば、仕事が回ってこないように頭を低くして生活していれば

現状維持くらいなら楽なのかなとも・・・


しかし、そうやって考えると自分がなんだか情けなくなってきます。

教員の仕事は頑張って給料が上がるとか、昇進できるとかはないのですが


目の前にいる生徒のために何かできることはないかと探し続けられる教員でありたいと思います


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自分は大学時代に生物学を専攻していました。

まぁ教育学部なんで、理学部や農学部の方ほど専門性が高いわけではないのですが、遺伝学の方はよく調べましたし、卒論もそっちがかかわった研究でした。

今でも中3の授業で遺伝と生殖の単元の終わりでは「人間の遺伝子を操作してもよいか」ということについて考えたり討論をする時間を設けています。


この記事の技術が公開される前には羊水検査でダウン症が診断できるという技術がありました。その技術が広まったときには、ダウン症ならば堕胎してもいいのかということも話題になっています。

羊水検査の技術自体が今から10年以上前に確立されていると思うので、こういう議論は以前からありました。


検査が手軽になったからという問題ではないのです。

そして、ダウン症が判別できるからどうだというのも問題の本質ではありません。


本当の問題は


障害を持つとわかっている人間を産むか殺すかの選択を親が決めるかどうかなのです。


タイトルには神と書きました。いささか危ない発言なのですが、他者の生死を決められる権利をもったものを「神」と表現したのです。


日本の法律では、生まれた日に初めてその人間に人権が与えられます。

つまり明日出産予定日の妊婦の腹を蹴って、中の胎児が死んだとしても、殺人罪ではなく、傷害罪になるでしょう。・・・この辺、私は法律には疎いので自信がないです・・・


堕胎は22週前の胎児に限られています。


でも、どの時点を持って命と考えるならば、私は受精の時点を持って命だと判断します。


ですから、堕胎が法律的に可能でも、殺すと表現します。


今の話題としては、ダウン症に限られています。

ダウン症は染色体が一本多いので、顕微鏡で判断ができる障害です。

だから話題になるのでしょう。


しかし、染色体数の判断だけでなく、遺伝子の配列まで調べれば、そのほかの障害もわかってくるはずです。今のところ、遺伝病に関するものは、遺伝配列を調べるということが認められている場合もあります。


そのほかの障害に関しても、障害に関する遺伝配列がわかれば、胎児の段階で選別できます。


ダウン症の選別を許可するならば、自閉症などのリスクの高い遺伝子の変異を持った胎児を選別し始める可能性だってあります。


イギリスの科学誌Natureのオンライン版に記載されていることですが(2012年4月4日版)

自閉症は遺伝子の変異が原因ではないかという研究です。


ダウン症と同じく高齢での子どものリスクが高くなり、男性の精子の変異の影響も高いみたいです。


ごちゃごちゃ書いたのですが、要するにもう少し研究が進めば、自閉症となるリスクが高いかどうかを胎児の段階で判別できるようになるでしょう。


5年は早いかもしれないですが、10年後には今度はそれが話題になっていると予測します。


遺伝子の配列を読む技術は、ここ10年で飛躍的な進歩を遂げています。

100年はかかるといわれていた人間の遺伝子配列が、今は半日で読むことができます。

今は、その配列がどんな意味と影響を持つのかを、世界中の研究者がこぞって研究している最中です。


ですから技術的には間もなく可能になってくるでしょう。


上に書いたように、これはダウン症という一つの障害に限らないものです。

ダウン症で行われた前例があれば、この先、他の障害の判定方法が確立されても、同じように適用されていくのです。


まぁダウン症については、検査方法が確立されているので、障害を持つとわかった胎児を堕胎してもよいという方向には流れ始めているのでしょう。


障害を持つものは排除されていくのですね。


この流れが始まったら、命を選別していく方向は止められないものだと思います。

後は、どこで線引きをするかだけの議論が続くでしょう。


どの障害を選別の対象にするかという線引き

どの段階で選別するかの線引き


私にはわかりません。


ダウン症は21番目の染色体が機能しない障害です。

同じように5番目や13番目、18番目の染色体に異常がある障害だってあります。


ダウン症だけが選別の対象になるのかわかりません。


「初めから苦労するとわかっているのだから、その可能性は排除してもよい」

という意見はよく耳にします。

「手のかかる子はほかの人に迷惑をかけるので殺します」

というのと何が違うのかわかりません。


30歳の人間を殺すことと

腹の中の胎児を殺すことはどう違うのでしょうか。


最初から体外受精をして、受精卵の段階で選別すればどうでしょうか?

細胞ひとつの状態ならば意図的に排除してもいいでしょうか?


いったん選別を始めると、あとは線引きの議論にしかならないのだと思います。


わかった病気は線引き


病気や障害などのリスクを排除し、健常者だといわれる人間だけに選別する。


それを人間が行う。



いささか極端な考えでしょうか?

現実離れしているでしょうか?

でも突き詰めて考えるとそうなると思うのです。


実際に障害を持つ方やその家族は、こんなに割り切って考えることはできないでしょう。

私が考えるよりも何倍も深く考え、何倍もの時間考え続けているのでしょうから。


自分の子どもが障害を持つと診断された親は、いったんは死ぬほどの思いをして悩むと聞きます。


そんな思いをしてまで子どもを育てるのならばという意見が聞こえそうですね。


しかし、この話題が出たときに、障害を持つ人間を選別し排除するという意見を持つ人の多くは、障害を持つ子どもの親や家族ではないです。


排除するという人間の多くは外側から障害を見ている人が多いように思います。


面倒だから殺す。

ですかね。

役に立たないから殺す。

ですかね。


愛情を持っている家族には言えない台詞ですね。


出生前診断のことは以前から知っていました。

結婚する前に、自分の嫁に聞いたことがあります。


「自分の子がダウン症だとわかったら、産む?」


同じ質問をすると、若い女性のほとんどが悩みます。


しかし即答でした。

「産むよ」


嫁は養護学校で働いていたので、普通の人よりも障害を持つ人やその家族に接する機会が多かったとも思います。当然悩むだろうと考えての意地悪な質問でした。

あまりにあっさり答えが返ってきたので。


「なんで?」

と聞き返してしまいました。


「だって、かわいいし。障害を持っていても楽しく生きていけることを知ってるから。」

というのが答えでした。


私は何も言えなくなりました。