TekitouOpinion

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浅はかな記事を不定期に更新。

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別に批判をするわけではないが、最近感じる事がある。


というのも、最近、目的意識というものにひどくこだわるようになっている。そのためか、何のためにそれをするのか?と疑問を抱く習慣がついてしまった。どうも、スマートフォンが普及してからというもの(特にiPhone)ビジネス=ITという認識が多くの人につきすぎたような気がする。


ちらほらとITを活用することが主流という風潮をTwitterやfacebookさらにはニュースサイトの記事などを見ていると感じる。ただ、元々ITコンテンツは、ビジネスを円滑に進めるために、目的の達成のための手段として使われるようになってきたわけで、それをみんながやってしまったらもうよくわからない世界になってしまう。


大切なのは今も昔もマーケティングや経済学など大学の講義で学ぶ基本ではないのだろうか。私は、大学生活前半を無駄に過ごしてきたが、後半はしっかりと向き合い勉強をしてきた。それでも毎日自分の無知に悩まされる。基本の難しさを感じる。例えば、webマーケティングにしてもマーケティングをしっかりと勉強していないと、いくらコストが高くとも企業は事業を委託しないだろう。簡単にできるものは、その分参入しやすいわけで、しっかりと目的を持って基本をマスターし、そこから飛躍するぐらいの意気込みがないとライバルにすぐに先を越される。


そして目的意識の話だが、やたらと金が欲しい!というのが見え見えの営利丸出しはお金をもうけることが目的になってしまっている。少なくとも私は、社会に貢献すことが目的の会社を支持したい。したいこと、こんな世の中を作りたいと本気で思っている会社はもう格好良すぎ。




 googleの新サービス「Google+」を始めた。さて、このGoogleのプロジェクトは前々からfacebookの対抗馬として注目されていたわけだが、つい先週ごろから紹介制から自由にアカウントが作れるようになったためちょっぴり顔をだしてみることにした。


 元々Googleのアカウントをつくっていたため、スムーズにログインをすることはできた。ただ、いまいちその使い方がわからず戸惑っている。Googleは少しばかりネットリテラシーが高い層を狙っているのかもしれない。私のようにITに疎い人間には、少し難易度が高い。Googleらしくデザインはかっこいいので、見とれてはいたが、もう少し簡単にしてほしい。


 アプリが充実してくるのはもう少し先かもしれないが、それまでに最低限使いこなせるようにしておきたい。Google+以外にもいろいろとSNSに登録をしてきたが、LinkedInばかりは意味不明。これはあたしが悪いのだ。目的無く始めると痛い目にあう。MySpaceの場合は聴きたい曲があったので登録を行ったのだが、これにはそのような目的があったためにまだ理解できる。


 やはり目的意識だな、という反省。


久々の記事の更新だが、扱うテーマを何にするか、これが毎回記事を書く度にでてくる悩みでもある。
さて、今回は今現在、一番に身近な集団でもある大学生について考えてみる。大学生とは、社会人にでる一歩手前でもあり、大人になる前の準備期間に立つ集団だ。しかし、優秀な学生を採用したいという企業の発言から想像できるように、大半は、優秀ではない学生というカテゴリーに位置づけされる。氷河期と呼ばれるこの時代は、企業が求める人材のレベルは高く、以前は優秀とよばれていた学生も今では、そう呼ばれない可能性も存在する。
では、優秀とは一体どういうことなのか。何を基準に優秀と判断しているのかは不明であるが、その判断は個人、或いは集団のものさしによるものだろう。一概に優秀な人材と言っても、特化する分野があるので相対的評価で優秀と判断するのは困難だ。
この優秀とは、関係があるかは定かではないが、学生は何を求めて大学に通うのだろう。かくいう私も、地方の進学校で勉学に励み、受験を行った。大学に進んだ理由は、勉強をしたいからでは無く、それが当たり前と思っていたからだ。同級生も公務員や教師を目指すものは別として、多くの人がなんとなくで大学に進学していた。それは、夢がないということもできるが、高校生で未来を明確に想像することは、簡単ではない。
大学に入学してからも、通う意味はわからなかった。大学の講義を欠席することは多々あり、単位も落としてばかりだった。3年生あたりから、「起業」という目標がでてきて、それに必要な知識をつけるべく講義を積極的に聴くようになった。つまり、何か目的さえあれば、実りある物へと変化するのだ。
しかし、4年生になると、「起業のための勉強」という認識は薄れていった。そもそも、大学は勉強することが目的であることに気づいたからだ。経営学にしても、何にしても、実践的な知識を手に入れるためならば、大学に通う必要はない。では、なぜ講義に耳を傾けるのか、言うまでもなく経営学という学問を学ぶためである。学問を学ぶことで、得られる物がある。その学問を追求し研究を重ねることで、将来の目標を構築することができる。その延長戦に就職活動がある。
私が問題視しているのは大学が就職活動の予備校になりつつあることである。聞く話によると、1年生のころからシュウカツのスタートを促す大学もでてきているそうだ。そのような、就職活動に対する対策を4年間もかけこなしてきた学生が仮に優秀と判断され採用されたとしても、果たして、それが褒められたことかどうかはわからない。
皆、自分が優秀と判断させるために、生活をしているわけではない。ただ、自分の生き様として、勉学を重ねた結果、周りから優秀と判断されたのであれば、それはとても名誉なことであり、素直に喜ぶべきだと考える。
私は、残りの大学生活を一生懸命に過ごすつもりだ。勿論、無理はしない。扱うべき範囲をしっかりと考えて、自分を磨いていくつもりだ。
良い物は他人にも勧めたい、この気持ちはわかる。例えば、扱いやすい携帯電話の新機種があれば、購入を見当している友人に、経験を語ってすすめることができる。Amazonのレビューみたいなもので、やはり感想というものは、それだけ価値がある。だが、これらはあくまでも「物」についてであり、「価値観」には当てはめることは難しい。

「俺の解釈では○○。だから、お前もこうしろよ、こう考えろよ」これは、果たして正しいことなのか。例えば、セミナーで実りがある話をきいたとして、感銘をうけ、自分の生き様に反映させたとする。それは、個人の問題なので、何の問題も無い。ただ、これを他人に強制させるとどうだろうか?人によって考え方が異なるのは言うまでもないのだが、その微妙なラインに他人が土足で、ああだこうだと言ってきても正直迷惑な話だ。

体験してたことを一概におかしいと考えを否定するつもりはない。むしろ、褒められたことかもしれない。これは、ある体験に基づいた記事を書いているのだが、具体的に書くことは控える。ただ、この記事で書きたかったテーマは他人を巻き込むムーブメントは体感しないとわからないということ。体験しようとおもわせるような欲求をかき立てることは、できるかもしれない。だが、他人に自分の考えを伝えるのは、簡単なことではない。言葉ではなく態度で示すというのが実はムーブメントを起こすのに最適なのではとたまに感じる。

あまりにも「良かったよ」「ほんとにおすすめ」「面白いよ」といい面だけを連呼されると、説得力というのはなくなるもの。とりあえずやってみよ。それだけでいいのでは。もしそれでしない人がいても、それは個人の自由なわけで、「何であいつしないの」などと非難するのはおかしい。そして、実際に行動を起こす人がいれば、単純に嬉しいのではないか。


 今年は1度も夏祭りに参加していない。参加したい気持ちは山々なのだが、何しろ一緒についてきてくれる人がいない。私のなかで、夏祭りは恋愛的要素あるいは、子どもの青春的要素を兼ね備えたものだと解釈をしている。映画にしてみてもそうだ、花火とは青春の証である。思い出がないとも言えないが一度女性の方と花火を見に行ったことがある。正直にいえば、あまり記憶に残っていないので、どんな経緯でそうなったかは覚えていない。ただ、デートをしながら夏祭りに参加するカップルはとても美しくみえたので、私もそうなりたいとでも思ったのだろう。今日はもう20日なので夏は折り返し、少しずつ秋に移行していく。私は今年も夏祭りにいくことができなかったが、来年こそはと毎年のように思っている。
 さてそんな夏祭りだが、出店で町がにぎわい、学校の友達やその家族、親戚や先生など多くの知人と遭遇したりするのは全国共通なのだろうか。どうも感傷に浸ることしかできないが、本来は豊作を祈ったり、病や疫病を追い払う意味合いを込め神にお祈りするものだ。当時のことはわからないが、いつの時代も祭りというものは世代を超えて愛されるイベントではないかと考える。みんな楽しそうに町を歩いている。何しろテンションが上がる。出店からは焼き鳥や焼きいか、たこやき、たいやき、おこのみやき、はしまきのいいにおいがする。あんなに高いのに祭りのときには財布の中からどんどんお金を出してしまうのはなぜだろう。そこがまたいいわけなのだが。ということで早く恋人と祭りに参加できることを夢見て寝る。