久々の記事の更新だが、扱うテーマを何にするか、これが毎回記事を書く度にでてくる悩みでもある。
さて、今回は今現在、一番に身近な集団でもある大学生について考えてみる。大学生とは、社会人にでる一歩手前でもあり、大人になる前の準備期間に立つ集団だ。しかし、優秀な学生を採用したいという企業の発言から想像できるように、大半は、優秀ではない学生というカテゴリーに位置づけされる。氷河期と呼ばれるこの時代は、企業が求める人材のレベルは高く、以前は優秀とよばれていた学生も今では、そう呼ばれない可能性も存在する。
では、優秀とは一体どういうことなのか。何を基準に優秀と判断しているのかは不明であるが、その判断は個人、或いは集団のものさしによるものだろう。一概に優秀な人材と言っても、特化する分野があるので相対的評価で優秀と判断するのは困難だ。
この優秀とは、関係があるかは定かではないが、学生は何を求めて大学に通うのだろう。かくいう私も、地方の進学校で勉学に励み、受験を行った。大学に進んだ理由は、勉強をしたいからでは無く、それが当たり前と思っていたからだ。同級生も公務員や教師を目指すものは別として、多くの人がなんとなくで大学に進学していた。それは、夢がないということもできるが、高校生で未来を明確に想像することは、簡単ではない。
大学に入学してからも、通う意味はわからなかった。大学の講義を欠席することは多々あり、単位も落としてばかりだった。3年生あたりから、「起業」という目標がでてきて、それに必要な知識をつけるべく講義を積極的に聴くようになった。つまり、何か目的さえあれば、実りある物へと変化するのだ。
しかし、4年生になると、「起業のための勉強」という認識は薄れていった。そもそも、大学は勉強することが目的であることに気づいたからだ。経営学にしても、何にしても、実践的な知識を手に入れるためならば、大学に通う必要はない。では、なぜ講義に耳を傾けるのか、言うまでもなく経営学という学問を学ぶためである。学問を学ぶことで、得られる物がある。その学問を追求し研究を重ねることで、将来の目標を構築することができる。その延長戦に就職活動がある。
私が問題視しているのは大学が就職活動の予備校になりつつあることである。聞く話によると、1年生のころからシュウカツのスタートを促す大学もでてきているそうだ。そのような、就職活動に対する対策を4年間もかけこなしてきた学生が仮に優秀と判断され採用されたとしても、果たして、それが褒められたことかどうかはわからない。
皆、自分が優秀と判断させるために、生活をしているわけではない。ただ、自分の生き様として、勉学を重ねた結果、周りから優秀と判断されたのであれば、それはとても名誉なことであり、素直に喜ぶべきだと考える。
私は、残りの大学生活を一生懸命に過ごすつもりだ。勿論、無理はしない。扱うべき範囲をしっかりと考えて、自分を磨いていくつもりだ。