つい先ほどの話だが、スウィングガールズ
を鑑賞した。矢口監督の作品だが、Big Band Jazzを女子高校生が演奏する話だ。ずいぶんと久しぶりに見たが、当時ほどの興奮はなかったのだが、思い出すことは多かった。
当時中学生ぐらいだったと記憶をしている。吹奏楽部がこぞってJAZZを演奏しており、劇中に使われた「Sing Sing Sing
」をかなり聞いた。さて、記事のタイトルの話だが、私は影響を受けやすい。もちろんこの映画を見た後にJAZZを聴きまくっているわけだが、別に詳しいわけではない。偶然にも2枚ほどCDを持っていたためiTunesに取り込み、アートワークもお洒落な画像に設定した。
先日、大学時代の先輩から教えていただいた日本人JAZZアーティスト集団であるIndigoJamUnit
に心が奪われていたので、すんなりとはまっている。そのちょっと前には、友人からUSAのR&Bのおすすめのアーティストを勧められ、Nicki Minaj( nicki minajの動画
)のファンになった。知人からおすすめされた音楽は必ず聴くようにしている。友人達が私が好きなテイストを理解してくれているおかげではずれは少ない。
ふと思い出したのだが、昔「どんな音楽がすき?」という質問をした際に「何でも聴く」と人がいた。今でもこの答え方はあまりよくないと思う。確かに何でも聴くというのはウソではなく、まんべんなく色々な曲をチェックしているのかもしれない。ただ、自分が「これ系好き!」という音楽は存在するだろう。私の場合、iTunesに入っている曲をジャンルごとに表示してみるとHIPHOPが圧倒的に多い。一概にHIPHOPといっても沢山あるわけで、日本語ラップでもさらに細かく分類できる。共通の話を友人とするときに色々な前提があったほうが楽しい。
あえてみんなが知らないマイナーな曲をいきなり、そう、例えば「○○いいよね」このような発言は最悪。自分が知っているから相手もしっている(いや、違う。相手が知らないことをしっていながらわざと言っている)、知識を全面にアピールするのはあまりよろしくはないだろう。私自身、常に哲学者ソクラテスの無知の知「本当に賢い人は、自分を賢いと思っていない人」を意識して生活をしているので、自分でマニアックをアピールする人のことはあまり信用しないようにしている。
今は知識がお金より重要視される時代だという文化人もいるが、だからといって知識がある人が知識が不足している人を見下していいわけではないだろう。情報を持たぬ者も、詳しい人からどんどん知識を引き出すこともできる。その格差を縮めていくと、お互いにメリットがある。
さて、何でもそうだが、大切なのは興味をしめすことではないかと考える。映画をただみるだけでは、そこで終わり。映画で使われていた音楽に触れるのもいいし、楽器をはじめてるのもいい。「面白そう」と思ったら、とことんやってみる、知識を持っていても博学をアピールしていない人はおそらく面白いからいろいろなことを学んでいる(無意識のうちに)のだろう。
そう考えると吹奏楽をやっている学生にJAZZをやりたいと思わせるスウィングガールズという映画がどれだけ素晴らしいかがわかる。ムーブメントを起こす作品はやはり面白い。
つい昨日の話だが、中学時代の友人から連絡があった。その友人はスタイリストをめざし、名古屋の専門学校を出てから上京し現在修行中だ。彼からの相談の内容は、夢をあきらめるかどうかというもので、私がそれに対して明確な答えをだすことは難しくひたすら話を聞く形になってしまった。
話を聞きながら、結局自分が楽しいと思ったことをやるのが一番ではと思った。自己啓発本でも何にしても人から人生はこうあるべきだとあったとしてもそれに共感するのならばやればいいし、そうでなければやらなければいい。自分が楽しいことをやればいいのだ。他人からどういわれても好きなことをやればいい。ただ人様に迷惑をかけるのはよろしいことではないので、自分で責任を持つことができる範囲で面白い人生を作っていけばいい。
このような人生論をブログやTwitterに書くと批判される。「そんなこといちいち書かなくていいじゃん」そのような類いの心情だろう。「鬱ブログ」「鬱ツイート」と呼ばれているらしい。そういう私も以前は批判していた。「そのような人生語って、見てる人にどうしてほしいの」「何?心配してほしい?」今だから思うのだが、「心配して欲しい」というのはおそらく本当だろう。
私の場合、真剣な話を友人達と議論するのには勇気がいる。「何、あいつ熱くなっているの?真面目なんだね」こういう言葉がひどく怖い。真面目ではないのだ、話をしたいだけだ。被害妄想が甚だしいが、これは自意識過剰で他人は自分などに関心はない。零でないとはしても限りなく零に近い。それならば、自分の考えをブログで発信するのもありなのではと最近は考えている。
結局は自分の人生だ。何が正しくて、何が間違っているなど判断できない。落ち目があると思えば自分を合理化するか改善を行えばいい話。近頃「これが正しい」といって他人を批判する人が多い。自分の価値観を他人に押し付けるのはあまりよい話ではないだろう。これは私の主観的な考えなので、この考えが正しいとは少しも思っていない。そんなものでいいだろう。
話を聞きながら、結局自分が楽しいと思ったことをやるのが一番ではと思った。自己啓発本でも何にしても人から人生はこうあるべきだとあったとしてもそれに共感するのならばやればいいし、そうでなければやらなければいい。自分が楽しいことをやればいいのだ。他人からどういわれても好きなことをやればいい。ただ人様に迷惑をかけるのはよろしいことではないので、自分で責任を持つことができる範囲で面白い人生を作っていけばいい。
このような人生論をブログやTwitterに書くと批判される。「そんなこといちいち書かなくていいじゃん」そのような類いの心情だろう。「鬱ブログ」「鬱ツイート」と呼ばれているらしい。そういう私も以前は批判していた。「そのような人生語って、見てる人にどうしてほしいの」「何?心配してほしい?」今だから思うのだが、「心配して欲しい」というのはおそらく本当だろう。
私の場合、真剣な話を友人達と議論するのには勇気がいる。「何、あいつ熱くなっているの?真面目なんだね」こういう言葉がひどく怖い。真面目ではないのだ、話をしたいだけだ。被害妄想が甚だしいが、これは自意識過剰で他人は自分などに関心はない。零でないとはしても限りなく零に近い。それならば、自分の考えをブログで発信するのもありなのではと最近は考えている。
結局は自分の人生だ。何が正しくて、何が間違っているなど判断できない。落ち目があると思えば自分を合理化するか改善を行えばいい話。近頃「これが正しい」といって他人を批判する人が多い。自分の価値観を他人に押し付けるのはあまりよい話ではないだろう。これは私の主観的な考えなので、この考えが正しいとは少しも思っていない。そんなものでいいだろう。
私は以前バンドをやりたいと思っていた。おそらく多くの人が共感してくれると思うが楽器というのは案外むずかしいものなのだ。購入してから一二ヶ月もたつとすっかりインテリアになってしまった。買った当初はなぜあそこまで夢中になれたのだろう。音楽の才能がないというのであれば、それまでの話だが、本当の理由は「目標」が存在しなかったことだ。弾けるようになった後、どうしたい、何したいそういう明確なものがまったくなかった。あるのはあこがれだけだ。
ダンスはかれこれ長い間続けている。それはあまりにも面白いというのもあるが、大会にでて勝利を勝ち取り結果を残したいとい目的が存在した。ただそれだけのために毎日練習をしていたわけだから、これが楽器との大きな違いかもしれない。
最近バンド系の音楽や映画に触れる日々が続く。高校のあたりから聴く音楽がヒップホップに集中していただけにとて も懐かしい感覚を味わうことができる。やはり売れているアーティストというのはどこか良いものを持っているのだろう。ここまで人を感動させるとはなかなかのものだ、と何者でもない私がいってもしょうがないのだが。
先日、社会学者宮台先生の映画評論をyoutubeで聞いているとなにやら「母なる証明」という韓国映画作品を絶賛していた。 http://www.bitters.co.jp/hahanaru/
宮台先生がいうには、韓国の人口は日本の半分なので、国内市場だけではまわせない。韓国の人口は約4800万人、日本は1億2800万人と大きく差がある。「韓国は、世界に通用するレベルを前提として映画を作る、日本は国内市場で収益が取れるので、国内レベルの作品になる」と日韓の映画業界の現状を語っていた。
私はふと思った。韓国映画を見たことがないな・・・と。そんなにおもしろいなら見てみたいと思い、下調べしてたら、おもしろかったので少し書いてみる。
近年、日本で映画産業衰退論などをよく耳にする。去年はアバターやアリスインワンダーランドなど3D作品の上映もあり、映画館の動員数はアッ プした。ヒット作に恵まれただけだ、という厳しい声もあるが、映画に注目が集まるだけ嬉しいニュースだと思う。
それでも日本映画産業自体は衰退している。それは、質だったり、いろいろな要因が関係している。韓国では国が支援する仕組みがあり日本とは異なった映画産業にかける思いがあるようだ。
韓国映画振興委員会の「韓国映画観客性向変化分析資料」によると、映画館観覧率が、1999年62.6%から、2008年には91.5%と大幅に増加したという。
好成績に見える一方で赤字化も進んでいる。どういうことかというと、巨額の製作費が投入された映画が、コケているらしい。逆に、製作コストを低く抑えた映画が、大ヒットしたりするなど金をかければ売れるという方程式が成り立ちにくくなっている。
そもそも、なぜ低コストで良質な作品を作ることができるのか。それは生み出される背景に、インターネットの活用があるといわれている。有名な話だが、韓国のインターネット普及率は、2008年75.8%と日本の75.2%とさほど変わらないのだが、高速インターネットのブロードバンドの普及率は、2008年31.8%と、日本の23.6%に大きく差を付けている。(参考 world date bank 2010.7.17 ITU)
昔、「着信アリfinal」で、インターネットを活用して、サーバーを落とすというシーンがあったが、やはり韓国はIT先進国といえるのかもしれない。そのような環境のなかでネット上で脚本や構成、企画を示し、個人投資家からお金を集めて作成する仕組みが存在するという。最近は不況でなかなか出資が難しくなってきている。
「母なる証明」もそうだが、韓国映画は社会問題を描写したり、多様性映画が増加している。
興味深いことに、大手マルチプレックスチェーンが、多様性映画の普及を見込んで、それぞれの消費者のニーズに合わせ、専門的映画館を増やす取り組みをおこなっている。
日本では、日増しにその数が減少傾向にあるミニシアターだが、韓国では増加しているということは羨ましい限りである。
また、韓国映画界の特徴にスクリーンクォーター制があげられる。簡単にいえば、自国の映画を上映する際、スクリーン数や上映回数など最低基準を設け、国内の映画館に義務付けることをさす。国内映画の衰退を防ぐ働きを果たしている。
日本では、撤廃された制度だが、韓国やスペインなど多くの国では、今でも存在する。日本でも再び導入するべきだろうか。私は、導入すべきでないと考える。日本映画は大好きだが、「インセプション」のような衝撃を味わうことができる映画の上映が制限されるのは、少し寂しいので。なにより、映画という芸術が、世界共通で受け入れられるようになるには、どこの国の映画でも、気軽に見れる環境をつくることが大切だ。
まずは韓国映画見ることにしよう。良いか悪いかは別にして、いろんな国の映画に触れてみたい。つべこべいうのかそこからだ。
宮台先生がいうには、韓国の人口は日本の半分なので、国内市場だけではまわせない。韓国の人口は約4800万人、日本は1億2800万人と大きく差がある。「韓国は、世界に通用するレベルを前提として映画を作る、日本は国内市場で収益が取れるので、国内レベルの作品になる」と日韓の映画業界の現状を語っていた。
私はふと思った。韓国映画を見たことがないな・・・と。そんなにおもしろいなら見てみたいと思い、下調べしてたら、おもしろかったので少し書いてみる。
近年、日本で映画産業衰退論などをよく耳にする。去年はアバターやアリスインワンダーランドなど3D作品の上映もあり、映画館の動員数はアッ プした。ヒット作に恵まれただけだ、という厳しい声もあるが、映画に注目が集まるだけ嬉しいニュースだと思う。
それでも日本映画産業自体は衰退している。それは、質だったり、いろいろな要因が関係している。韓国では国が支援する仕組みがあり日本とは異なった映画産業にかける思いがあるようだ。
韓国映画振興委員会の「韓国映画観客性向変化分析資料」によると、映画館観覧率が、1999年62.6%から、2008年には91.5%と大幅に増加したという。
好成績に見える一方で赤字化も進んでいる。どういうことかというと、巨額の製作費が投入された映画が、コケているらしい。逆に、製作コストを低く抑えた映画が、大ヒットしたりするなど金をかければ売れるという方程式が成り立ちにくくなっている。
そもそも、なぜ低コストで良質な作品を作ることができるのか。それは生み出される背景に、インターネットの活用があるといわれている。有名な話だが、韓国のインターネット普及率は、2008年75.8%と日本の75.2%とさほど変わらないのだが、高速インターネットのブロードバンドの普及率は、2008年31.8%と、日本の23.6%に大きく差を付けている。(参考 world date bank 2010.7.17 ITU)
昔、「着信アリfinal」で、インターネットを活用して、サーバーを落とすというシーンがあったが、やはり韓国はIT先進国といえるのかもしれない。そのような環境のなかでネット上で脚本や構成、企画を示し、個人投資家からお金を集めて作成する仕組みが存在するという。最近は不況でなかなか出資が難しくなってきている。
「母なる証明」もそうだが、韓国映画は社会問題を描写したり、多様性映画が増加している。
興味深いことに、大手マルチプレックスチェーンが、多様性映画の普及を見込んで、それぞれの消費者のニーズに合わせ、専門的映画館を増やす取り組みをおこなっている。
日本では、日増しにその数が減少傾向にあるミニシアターだが、韓国では増加しているということは羨ましい限りである。
また、韓国映画界の特徴にスクリーンクォーター制があげられる。簡単にいえば、自国の映画を上映する際、スクリーン数や上映回数など最低基準を設け、国内の映画館に義務付けることをさす。国内映画の衰退を防ぐ働きを果たしている。
日本では、撤廃された制度だが、韓国やスペインなど多くの国では、今でも存在する。日本でも再び導入するべきだろうか。私は、導入すべきでないと考える。日本映画は大好きだが、「インセプション」のような衝撃を味わうことができる映画の上映が制限されるのは、少し寂しいので。なにより、映画という芸術が、世界共通で受け入れられるようになるには、どこの国の映画でも、気軽に見れる環境をつくることが大切だ。
まずは韓国映画見ることにしよう。良いか悪いかは別にして、いろんな国の映画に触れてみたい。つべこべいうのかそこからだ。
【買い物弱者】
経済産業省によると「住んでいる地域で日常の買い物をしたり、生活に必要 なサービスを受けたりするのに困難を感じる人たち」のことで高齢の方を中心に、全国で約 600 万人いると推計されているという。
さて、「弱者」という表現についてだが、いまいちピンとこない。なぜこの言葉を選択したのだろう。確かに、買い物をするのが困難なのはわかる。みなが全員車を持っている訳でもなく、運転できる訳でもない。ましてや近所に買い物できる場所がなく遠くまで歩くしか方法が無いが、その元気を全員もっているとは限らない。
ただ、買い物に「強い」あるいは「弱い」と決めつける必要があるのだろうか。「買い物上手」という言葉があるが、あくまでもそれは鮮度がいいものを選んだり、安く必要なものを買うといったテクニックをさす褒め言葉だ。
個人的な意見だが、どうも「上目線」な呼び方に聞こえてしまう。「私どもが救ってあげましょう」そういうふうに。
もちろん、救済を実施する人々は、決してそのようなことは思っていないはずだ。これはそのニュアンスをどう捉えるかという問題で、非難の言葉を浴びせることが目的ではない。
【買い物弱者】という言葉が全国紙やテレビでも頻繁に使用されているところをみるとこの言葉に疑問を抱えている人は少ないのかと疑問さえ浮かべてしまう。
それならば、どういう言葉を使用するのが適切なのか。その問いに私はうまく答えることができない。あえていうなら【買い物困難者】、ごろは悪く、単語としてもどうなのだ、と多くの批判は承知の上だ。だが、こちらの方が「大変」「不便」というのは伝わるのではないか。
強弱の話ではない、困難かどうかが問題だと考えた結果である。この問題に関しては引き続き考察と研究をかさねていくつもりだ。
経済産業省によると「住んでいる地域で日常の買い物をしたり、生活に必要 なサービスを受けたりするのに困難を感じる人たち」のことで高齢の方を中心に、全国で約 600 万人いると推計されているという。
さて、「弱者」という表現についてだが、いまいちピンとこない。なぜこの言葉を選択したのだろう。確かに、買い物をするのが困難なのはわかる。みなが全員車を持っている訳でもなく、運転できる訳でもない。ましてや近所に買い物できる場所がなく遠くまで歩くしか方法が無いが、その元気を全員もっているとは限らない。
ただ、買い物に「強い」あるいは「弱い」と決めつける必要があるのだろうか。「買い物上手」という言葉があるが、あくまでもそれは鮮度がいいものを選んだり、安く必要なものを買うといったテクニックをさす褒め言葉だ。
個人的な意見だが、どうも「上目線」な呼び方に聞こえてしまう。「私どもが救ってあげましょう」そういうふうに。
もちろん、救済を実施する人々は、決してそのようなことは思っていないはずだ。これはそのニュアンスをどう捉えるかという問題で、非難の言葉を浴びせることが目的ではない。
【買い物弱者】という言葉が全国紙やテレビでも頻繁に使用されているところをみるとこの言葉に疑問を抱えている人は少ないのかと疑問さえ浮かべてしまう。
それならば、どういう言葉を使用するのが適切なのか。その問いに私はうまく答えることができない。あえていうなら【買い物困難者】、ごろは悪く、単語としてもどうなのだ、と多くの批判は承知の上だ。だが、こちらの方が「大変」「不便」というのは伝わるのではないか。
強弱の話ではない、困難かどうかが問題だと考えた結果である。この問題に関しては引き続き考察と研究をかさねていくつもりだ。