clockwork-sceneブログ「キロック」

clockwork-sceneブログ「キロック」

clockwork-sceneの心象風景、その記録。

時々、本当に時々、今から15,6年ほど前、レーベルを抜けた頃のバンド活動を思い出します。

当時の僕は二十代の答え合わせに執心していたのだと思います。

誰にでも、少なくとも僕には、現在の自分をあるタイミングから何年経った、と考える癖があると思います。

情熱を燃やし続けるからこそ、今よりも燃えていた過去は、相対的に眩しく感じる。今には今の表現があるけど、だからこそ過去の特異点は何物にも代えがたい。

今の自分の一部も、二十代と何ら変わらない気持ちで、でも、外見は変わりながら過ごしているのだと思います。

もっとうまく表現できるようになりたい。


きーぼーど まっけん


夏の夜の空気の濃さに毎年びっくりして、今年ももうびっくりしながら、イヤフォンから流れるクロックをお供に、帰路に着きました。はっきり黒い闇のなかでも、木々の力強さみたいのが伝わってきます。
暑さにうまく対応しながら、毎日元気に過ごしたいものです。


べえす かえ

明け方の夢って、くっきりリアルなのに、「これは夢」っていうことに夢の中で気がつくことがおおくて不思議です。でも、夢ってなんとなく気がついたあとの自分の行動も、特に大胆になるとかなくて、見ていていつもやや拍子抜けです。

そんな明け方の夢シリーズで、まさに今朝、いまクロックで制作中のアルバムをわたしが大大大尊敬しているベーシストのかたに聴いていただけることになるという、いかにも夢っぽい夢を見ました。これは夢とはいえすごいとおもったのに、「さっそく聴いてみたんだけどね、」と、その方が切り出してくださったその瞬間にばっちり目が覚めるという、これ以上ない無意味な結果に終わり、一体なんだったんだとおどろきました。
でも仮にその方のコメントまで聞けるところまで夢が続いてたら、アルバムに対するわたしの感想が何かしら不自然に変わったかもしれないので、たぶんいまはこれでよかったのかも…とおもっています。

そして、その方に限らず、クロックの音楽を聴いてくれる方がメンバー以外にいてくださることのありがたさも強くおもいました。どうかたくさん聴いていただけるアルバムになりますように!!まだ七夕のイブですが願っています🎋


べえす かえ

先日、ジャケット撮影のロケハンに行ってきました。

 

3か所中2か所がいろんな理由で行けなかったのですが、

代わりに行った場所で素敵な偶然があり、

新しいアイデアが生まれそれがジャケットの一部に採用されそうです。

 

予定通りいかないにいかない。

でもその中に新しい発見や遭遇があり、

それが想像の扉を通って、オリジナルを作っていく。

 

世界はそうやって出来ていて、

その世界に触れることで、また次のアイデアが。

 

 

着々と完成に向かってます。

お楽しみに。

 

 

 

noa

空想立花からもうすぐ9年。 


二子玉川は今の自分には距離的にも精神的にもだいぶ遠い駅になってしまった。幼い頃から知っている場所だけに、今の高いビルが建ち並ぶ風景も、当時の東急ハンズとバス乗り場の風景も、どちらも自分の頭の中に現実とも非現実とも言えないような映像で記憶されている。 


歳を重ねれば重ねるほど、物の距離感は正確で且つつまらないものになってしまう。小さい頃に見た景色に感じた巨大さを、いざ大人になってから確かめると、あまりにも普通で、自分は何をそんなに恐れおののいていたのだろうと訝しい気持ちになる。 


水場が近く堤防があったり、花火大会があったりと、幻想的な気分にさせる要素が詰まった場所とも感じる一方で、高くそびえ立つビルがある今は、巨大さを無理に現実として突き出されたように圧倒されてもいる。


空想立花を作った当時はまだ、川の反対側の川崎市で一人暮らしをしていて、気が向いたときに二子橋を歩いて駅に向かった。川を挟んで現実の住処から空想の街へと歩みを進めること自体が特別な経験に感じていた。 


今、その頃を思い出しても、自分にとっての空想の世界が身近にあり、境界を越えてまた戻って来る、という営みができる環境があることは幸福だったと思う。 


地図を見て正確な方角を知ってから出かけたり、あらかじめ乗換案内でバスと電車の発車時間を把握して安心したり、その繰り返しで空想の余白はほんの少しずつ削れていきながら、当たり前のつまらないものとして現前する準備がされていく。 


残った僅かな余白にすがってでも、そこに創作の糸口があるのだと意地を張り、2つの世界の往復を止めないでいたい。 


 きーぼーど まっけん