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clockwork-sceneブログ「キロック」

clockwork-sceneの心象風景、その記録。

音源制作、順調に進んでます。

 

まずは1曲ボーカルレコーディングが終わりました。

整えることと崩すこと、

この2つのバランスがボーカルとしてはとても大事なことだと思っていて、

 

機械が評価を下すものではないからこそ、

この相反する2つの割合と位置が良い歌となるのだと、信じて歌ってます。

 

 

「なんだか分からないけど良いね」

「なんか泣ける」

 

みたいなものが最高の評価となることを目指してます。

 

今回の音源もそうなるよう、試行錯誤して頑張ってます。

 

 

さて、新曲の2番の歌詞が浮かばず、まだトンネルの中ですが、

出口を見つかるまでは一度止まって地図を見たりしながら進んでいこうと思います。

 

 

 

noa

花粉が落ち着いて1年の中でもほんの数週間、気候が体調を脅かさない期間。
最近は反芻思考のことをよく考えていて、それこそ反芻しています。
脳がオーバーヒートしている時も、それはそれで長続きしないけれど、
何も考えなくて良い瞬間も、それはそれで辛いことを思い出しやすい。
だから、できるだけ単純に気の散らす必要があって、時間がある限りそれに勤しんでいます。

できるだけ知らない都会の道を歩いたり、できるだけ自炊してみたり、
ちょうど良い状態探しは、今までにない視点を僕にもたらしてくれています。

そして僕が書いてきた歌詞の多くは、ここに紐づいているとも気が付き始めています。

 


この画の主題とは若干異なるのですが、自分の(よく考えたらほかの人のも!)録った音を聴いているときって、耳に全集中しようとして、こんな感じでぼーっと虚空をながめてるときが多いな、と、気が付きました。見えてるはずなのに、なんにも覚えてないの不思議です。

さらに先日、作業の途中で外に出て帰ってきたときも、次やる作業のことを考えながらそそくさ歩いていたら、工事中で集合住宅の入口のオートロックの扉が全開なのをすっかり忘れて、通常どおり鍵をさして扉を開けようとしているわたしの一部始終を工事のお兄さんに目撃されて気まずかったです。


べえす かえ #単なるぼんやり

春になったらお花見ができると自動的におもってしまうくらいに、「これは絶対こうだ」とじぶんがつよく思いこんでいたことについて、実際はよい意味で真逆の結果を目の当たりにしたときのきもちをなんと呼べばよいのか。予想外のうれしさに心からありがとうとおもうけど、この場合一体何に感謝しているんだろ。

話はかわり、友だちのライブを先日初めて観に行かせてもらって、またびっくりするくらい感動してしまいました。すきなものは飽きるまですきでいてよい、と肯定してもらったような、元気が出る音でした。


べえす かえ

すこしずつ、自分の名前は透明になり、体に張り付く名札ばかりが目立つようになる、
確かに体は動かしているのに、僕の動物としての証は冷たく固い剥製になり、
他の何にもならない静かなものになっていく
意識は、でも、随分前から変わらないままなので、
そのまま僕は寂しい気持ちを持ってしまう、ここからの時間は長い
動きがなくなればなくなるほど、昔のことは輝いて見える
離れるほどに一点の輝きが際立ち、静かな僕の静かな思いはその一点に向って糸が伸びていく