ニコタマメモ | clockwork-sceneブログ「キロック」

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clockwork-sceneの心象風景、その記録。

空想立花からもうすぐ9年。 


二子玉川は今の自分には距離的にも精神的にもだいぶ遠い駅になってしまった。幼い頃から知っている場所だけに、今の高いビルが建ち並ぶ風景も、当時の東急ハンズとバス乗り場の風景も、どちらも自分の頭の中に現実とも非現実とも言えないような映像で記憶されている。 


歳を重ねれば重ねるほど、物の距離感は正確で且つつまらないものになってしまう。小さい頃に見た景色に感じた巨大さを、いざ大人になってから確かめると、あまりにも普通で、自分は何をそんなに恐れおののいていたのだろうと訝しい気持ちになる。 


水場が近く堤防があったり、花火大会があったりと、幻想的な気分にさせる要素が詰まった場所とも感じる一方で、高くそびえ立つビルがある今は、巨大さを無理に現実として突き出されたように圧倒されてもいる。


空想立花を作った当時はまだ、川の反対側の川崎市で一人暮らしをしていて、気が向いたときに二子橋を歩いて駅に向かった。川を挟んで現実の住処から空想の街へと歩みを進めること自体が特別な経験に感じていた。 


今、その頃を思い出しても、自分にとっての空想の世界が身近にあり、境界を越えてまた戻って来る、という営みができる環境があることは幸福だったと思う。 


地図を見て正確な方角を知ってから出かけたり、あらかじめ乗換案内でバスと電車の発車時間を把握して安心したり、その繰り返しで空想の余白はほんの少しずつ削れていきながら、当たり前のつまらないものとして現前する準備がされていく。 


残った僅かな余白にすがってでも、そこに創作の糸口があるのだと意地を張り、2つの世界の往復を止めないでいたい。 


 きーぼーど まっけん