骨折の記録その10沖縄編
骨折したまま沖縄旅行に行くことになった。
到着した沖縄では、車椅子を利用し観光してまわった。松葉杖では長い距離は歩くことができない。車椅子にはとても助けられた。
現地での移動はレンタカーを利用した。
コンパクトカーだ。
レンタカーでは助手席を陣取り、少しでも足を伸ばしたり、ダッシュボードに膝をもたれかけ、少しでもむくみが減るよう座る。
骨折してからはほとんど動くことができず、家の中では足を高くして座っていることが多かった。骨折した足がむくむからだ。
沖縄旅行では、このむくみ対策もなかなか難しかった。
到着後、まずは首里城を観光した。
前回、見た時は外壁の色を本来の色に塗り替えしていて、それが長年復元してきた首里城の本当の完成となるという話だったと思う。
その首里城が姿を消した今、再建中の骨組みから見れるのは、これはまた感慨深いものがあった。
首里城に限らず、沖縄はどこの観光地もバリアフリー化が行き届いている。
駐車場も車椅子スペースを利用させてもらえたおかげで、乗り降りも苦労しなかった。
ただ家族は、重量のある電動アシスト付き車椅子を車の上げ下ろすことがなかなかの負担だったらしい。
多目的トイレも、きれいなところが多くて安心した。
車椅子で行かれなかったのは、洞窟。
さすがに自然の造形にはかなわなかった。また次の機会の楽しみにしておくことにした。
滞在のホテルも、前回と同じ条件で宿泊しているのだけど、少し広いが用意されていた。
これも嬉しいポイントだ。
部屋の中に車椅子を置くと狭く感じるから少しでも広いほうが助かった。
ただエレベーターは、車椅子が乗るには少し狭く、1台+介助人が乗ると他の人はもう乗ることができない。
皆さん、快く譲ってくださるのが有り難かった。
沖縄滞在3日目あたりから、不穏な風邪の症状が出始めた。ここから、心房細動へのカウントダウンが始まっていたことは、知る由もなかった・・・
骨折の記録その9
足を骨折したまま沖縄旅行へ。
空港に着き、車椅子用の搭乗窓口へ向かった。
すでに何組か待たされている。
搭乗に間に合えばよいのだけど、ちょっと不安になる人数だった。
自分の番が来た。
受付は滞りなくスムーズなのに、とても時間がかかった。
何かを一生懸命入力している。
車椅子は、一旦空港用車椅子に乗り換えて預けた。
搭乗する車椅子を念入りにサイズを測り調べている。
全くお任せするしかない。
松葉杖は機内に持ち込むことにした。
空港用車椅子は、どこまで乗るか聞かれた。機内座席まで行けるとも言われたが、介助は空港のスタッフだそうだ。
なんか遠慮してしまい、機内入口までにしてもらい、あとは自分で松葉杖で移動すると言ってしまった。
実際にやってみると、なかなかの距離。おまけに、ほかの乗客より先に搭乗しているため、あまりのんびりもできないと焦る。座席につくまでヘトヘトだった。
座席に座ると松葉杖はCAさんに一旦お預け。降りるときまた渡してもらう。
移動中心配なのが、トイレとむくみだ。
トイレに行くのも松葉杖を持ってきてもらわないと移動できない。
むくみがよく出ていたので、家では骨折した足を高くして座っていた。
エコノミーの機内では、足を伸ばせるスペースがない。
時折、ふくらはぎ近くを揉んではなんとか堪えてきた。
骨折の記録その8
足を骨折したまま、沖縄に旅行に行った。
骨折ごときで車椅子で旅行に行って迷惑かけないようなんか気を張って出発。
まず、家から出るところで手こずった。
骨折してから移動はタクシーを利用していた。タクシーGOだ。
とても便利で、呼ぶと大概10分程度で到着する。
迂闊にも予約しないで、当日手配で間に合うと思っていた。
ところが当日、朝早く出発しようとしたら、タクシーが配車されない!
車椅子もあるので、ちょっと広めのタクシーを希望したが全然つかまらない。
仕方なく古いタイプのタクシーも選択肢に入れてやっと配車された。
すると案の定、トランクに車椅子が入らない。スーツケースもありなかなかの荷物だった。
運転手さんが気を利かせて、閉まらないトランクを紐でくくりなんとか出発した。
最寄りの駅までの移動だったので、なんとか無事に到着した。
そこからひと駅電車に乗り、予約していた空港行リムジンバスへ。
リムジンバスは車椅子も大きな荷物は楽々しまえたのだが、乗るのに苦戦した。
乗り口の段が狭くて高い。松葉杖は狭いと使えない。手すりに掴まって片足で上がるにしても段が高すぎる。
結局、段に膝をつき家の階段と同じ方法で上がった。
このとき、まだ自分が数日後に心房細動の発作に襲われるなんて考えもしていなかった。
発症の原因のひとつと考えられる貧血は少しずつ進行していた。
バスの中では、トイレに行かれないので飲み物は極力控えていた。
これもきっと体調を悪化させた原因の1つにもなっていたのかもしれない。
当時はそんなこと全く気付いていなかった。
空港につくと、すぐに車椅子用の搭乗窓口へ向かった。