心房細動の記録その2
心房細動の記録その1
沖縄旅行から戻って、風邪をひいていたようだった。
息切れが強くなっていく。
肺炎でも起こしているのかと、酸素飽和度を測ると96%
異常値ではないだろう。
その時、同時に測定される脈拍がたしかに111を叩き出していた。
素人ながらに息切れの原因は肺炎か何かだろうと思い込み、この脈拍の異常値は気にもとめなかった。
家族にうつしてはいけないと思い家庭内自主隔離し、ひとり寝ていると夜中に突然目が覚めた。
体が揺れているような??
地震?
いや、違う。心臓がおかしな鼓動をしているようだ。
まるで体が揺れているかのような強いなにか。
初めてのことで、なにも知識がないし構えもない。
自分の体になにが起きているのか、理解できていない。
少し寝れば、おさまるだろうと思った。
トイレに行ってみたりしたが、息切れと動悸はおさまらないどころか、時折強くなっている。
息切れで上の寝室で寝ている夫を起こしに行くこともできない。
寝室にある電話に内線しけたたましく起こし、なんか様子がおかしいから少しそばにいて欲しいと伝えた。
夫が起きてきて、様子を聞かれたが、心臓がおかしな感じとしか表現できない。
そのうち、ひどい脱力感がおそい受け答えも頭を動かすのが精一杯になった。
遠い記憶に、夫がホームドクターに電話しているのが聞こえた。
そのうち、救急車が近づいて来るのがわかる。病院に行かねば。
意識は失っていないのだけど、朦朧としていた。
救急車のサイレンが止まった。
急に、トイレに行きたくなった。
お腹を下しているかのような。
まずい。粗相はできない。
骨折した足ながらもムクッと起き上がり、一人でトイレに籠もる。
夫が背負うと言ってくれたが、一人で行ったほうが危なくないと咄嗟に思って、断った。
救急隊が玄関に来た頃にはまだトイレ中だったけど、とにかく病院に行かねばとまるで火事場の馬鹿力のように動き、玄関に向かったところで、力尽きた。
意識はある。
が、虚脱感というのか立ち上がるチカラが出ない。
救急隊員に脇を抱えられ、救急車に乗せてもらった。
夫も乗り込み症状を確認されている。
途中、隊員に「最近手術とかでかかった大きな病院とかありますか?」 と聞かれている。
夫は「無いです」とか言って。
いや、あるから!
1年前に脂肪腫切除手術した近くの大学病院にかかってたから!
それまで朦朧としていたのに、突然頭が働き始め、◯◯病院です。と、自分で答えていた。
夫は、恐らく動揺していたのだろう。
(あるいは妻にあまり関心がなかった可能性も無きにしもあらず)
幸い、その病院が受け入れてくれることになった。
その間、この不快な心臓の動きと初めての体の不快な感覚に、ギュッと目を閉じ時が過ぎるのを待つしか無かった。
骨折の記録その14 日常生活編
さて、沖縄旅行から戻ってひと安心。
するも、ここから大変な思いをすることになるとは知る由もなかった。
旅行中に、鼻水が出始め帰る頃にはティッシュが手放せなくなった。喉もわずかに痛い。
マスクをし、なんとか堪えて帰宅。
翌日から、鼻水が止まらない。
喉もだいぶ痛みだした。でも熱はなく、体調もいつも通り。
家族は誰も同じ症状は出ていない。
念の為抗原検査するも陰性。
なのに、なぜかとても息が上がる。
旅行の疲れが出たのかと思っていた。
でも熱はなく明らかに息切れが強くなっていく。
とうとう、入浴だけでもダッシュでもしたかのような息切れに。
コロナ禍で購入した酸素飽和度測定器では96%
いつもよりは低いが、異常値ではないだろう。
沖縄から帰宅後2日、3日しても風邪が良くならないので陰性ではあったが、家庭内自主隔離するため、別の部屋に布団を用意して貰い夫と寝室を分けた。
その日の事だった。
夜中に突然目が覚めた。