ORANGEの備忘記録 -34ページ目

勝手に!?到着

車には、ベッドがある。
とは言ってもやはり、怪我人が乗るには不便だった。

必死な思いで、横になったが痛くて首も動かせない。

車の振動、ましてや雪道で路面はボコボコ、ガタガタ。

揺れに耐えるのも一苦労だ。

この時は自分がどれだけ離れた病院に行こうとしているのか知らなかった。

移動中、一番不安だったのが、トイレだ。もし行きたくなったらどうしようと。

でも考えてみると、朝起きてからほとんど何も口にしていなかった。
唯一缶コーヒーのショート缶1本だけだ。
でるものもないや。

途中カーナビの案内が聞こえてきた。全然知らない道を進んでる。

この時後、どれだけ乗っていれば病院に着くのか大きな声で聞くこともできず、ただひたすら痛みに耐えるのがつらく不安だったから、無理にでも寝てみることにした。
寝て、起きたら到着。
理想的だった。




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救急車はいらぬ。

救急車は呼ばなかった。

ゲレンデスタッフの方々は救急車を呼びますと言ってくださった。

でも頑なにお断りしていた。

ここが山奥で、到着まで時間がかかるのはわかっていた。
おまけに、一番近い救急病院といっても、山を越えた隣の県。

もし、ここで救急車を呼んでしまうと、この小さな町に住むもっと重篤な人が必要とした時に使えないなんて考えられなかった。
もうこれ以上迷惑かけたくなかった。

夫が車を運んで来るまでの間、お尻から腰に走る痛みに少し慣れてきた。

なんだか、もうそろそろこの痛みが消え始めているのではないか?という錯覚とも希望とも言える気持ちになった。

痛みが本物なのか試したくなり、硬い板の担架の上で上体を起こしてみた。

…ダメだ。痛さと腰から上の体の重いこと重いこと。
すぐにまた横になった。
痛みは本物だった。

車が到着すると、動けない体でどう乗り込めるか、いろいろ試行錯誤の上、はうようにして乗り込んだ。

救急車を拒んだもう一つの理由があった。
我が家の車は、ベッドが常設されている。だから、救急車に乗るのも我が家の車に乗るのもあまり変わらないと思ったからだ。

車に乗る前にブーツを脱がせてもらっている。
普段、自分で脱ぐのも大変な代物、この時はとても大変な作業だったはずだ。正直、記憶がハッキリしない。ということはまた激痛に見舞われていたようだ。
便利なもので、激痛時は出来事と痛さの記憶が曖昧になる。

板やブーツの片付け、子供達を着替えさせるのにいつもは、1時間近くかかる。
きっと夫は、いつも以上のスピードでそれらを全部ひとりでこなしたハズだ。身内とは言え、大変な思いをさせてしまった。


最後に、子供達のトイレを済ませ、大変お世話になったゲレンデスタッフにお礼を言って出発した。

ただ、このあとは本当に長くてしんどい道のりになった。





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視界の情報量

いよいよ、ソリに乗せられて移動する事になった。

この頃には、まだ動けないにしても、だいぶ調子を取り戻してきていた。

それまでは、痛みで全身の情報伝達機能のような機能が「おちて」いた。だから目を開けて、視界から入ってくる情報量は多すぎて、処理出来なかった。

本当は目を開けて、会話もできたと思う。けれど、目はほとんど開けていなかった。動けない体で目を開けたところで、いい情報は入って来ない。
心配する多くの顔を見てしまうだけだ。

普段、視界の情報量がどれだけあるかなんて、気にもかけなかった。
でも、この時はこういった不思議な感覚に陥っていた。

周りでどんな作業が始まるのか目で確かめることなく、なにやら硬い板に乗せられて、それからソリでゲレンデを降りた。

この時も記憶が曖昧で、人がスキーで滑りながら、ソリを運んでくれたのか、はたまたスノーモービルの後ろで牽引のようにされていたのか。

とにもかくにも、駐車場までたどり着いた。




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