ORANGEの備忘記録 -33ページ目

長旅、再び。

再び長旅が始まった。

気がつけばもう夕暮れ時だった。

事故から、どれだけ時間が経っているのかわからなかった。

次の病院までの移動は、痛みは相変わらずだが、少しだけ考え事をする余裕が出てきた。

自分が入院すると、当然、家の事がまわらなくなる。
実家の手助けは必至だった。

夫婦揃って実家は遠方。
おまけに、明後日の月曜日は、子供の幼稚園のさよなら遠足だ。

私抜きでは、お弁当も用意できない。

なんて怪我をしてしまったんだ、と自分を責めた。

不安、自己嫌悪、痛みが渦巻く3時間の道のりだった。





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やっぱり転院したい

腰椎を圧迫骨折しているため、入院を宣告された。

病院側は、こちらがスキーの観光客なのを知っている。
「お住まいはどちらで?」
ここからまだ100キロほど離れた町であることを告げると、数日ここで入院してから、自宅近くの病院に転院する事をすすめられた。

と言うのも、まだ詳しい検査も済んでおらず、腰椎の具合によっては神経を損傷させ、深刻な後遺症の心配があったので、絶対安静にしていなければいけなかったのだ。

でもその時の私達は、自分たちの都合を優先させ、そのまま当日中に地元の病院へ行くと粘った。

自分たちの都合と言うのは、

もし、自宅から100キロも離れているこの病院に入院すると、入院の用意も、退院の世話もその都度ここまで来ないとならない。

夫は、何でも出来るしこなせるタイプであるが、仕事も融通がきかないこと、何より疲れてここまで車で来て、事故にでもあったら…なんて思うと、これ以上我が家にリスクは負えなかった。

当日の転院に対して、病院の医師はちょっと…イヤだいぶ難色を示していた。

救急車を手配するから、それで向かいなさい、と言ってくださった。
が、なぜかそれも断った。

今思うと、その時に救急車を断った明確な理由を覚えていない。
恐らく、スキー場の時と同じ様に、1台、長距離で利用したら申し訳無いと言うのもあったと思う。
でもきっと、子供達も一緒に移動しているので、少しでも子供達に不自由や不安を与えるのは気が進まなかったからかもしれない。

子供達は、偉いもので、検査の間、おとなしくずっと待合室で待っていてくれた。
普段は、とても騒ぐ子達なのに…。

それから、その病院は転院の書類を用意してくれて、私といえば背中を少しでも固定できるようにと、既製品のコルセットをキツく巻いてもらい、そのまま、地元の病院に向かうことになった。



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第1の病院

病院に着くと、早速担架が運ばれてきた。
直ぐに診察、レントゲン。

どこが痛いか聞かれ、腰の痛みだけを訴えた。

診察の待ち時間、トイレの心配をしてくださる看護士さんがいたので助かった。
看護士さんがいないとトイレもできなかった。

診察の結果、訴えていた腰も骨にヒビが入っていたが、それよりもっと背中を撫でられ、「ここ、痛くないですか?」
と聞かれた。

背中に痛みは感じていなかったが確かに撫でられると痛い。

レントゲンの結果、そこから折れているそうだ。

背中の中心辺りが圧迫骨折し、下に続く背骨(腰椎と言うそうだ)もいくつかヒビが入っている、と。

入院を告げられた。



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