ORANGEの備忘記録 -27ページ目

夜の痛み

リハビリが始まると、夜眠るときに痛みが復活してくる。

痛いということが、骨にとって大丈夫なのか、怖くて何度か医師にそれとなく言ったことがある。

ま、そんなこともあるでしょうといった風なこたえだった気がする。
異常ではないといういった意味合いだった。

もちろん、痛みがひどかったり、痺れが出たなら直ぐに知らせるように言われた。

眠れない時は遠慮なく痛み止めを服用した。
入院当初、痛み止めも効かない頃、睡眠導入剤を処方されていた。

ただ、入院中にそれを飲むことはなかった。
と言うのも、渡された時、痛みと熱でもうろうとしていて、正直その慣れないお薬の事を忘れていたからだ。

幸い、痛み止めだけで済んでいた。

それと、好きな音楽を聞きながら眠るとリラックス出来た。
余計なことを考えないで静かに眠れた。

のちに、この時に飲まずに残った睡眠導入剤が退院後、とても役に立った。


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リハビリ開始

入院から10日もすると、歩行に向けて、訓練が始まった。

もう体を起こす許可は90度まで行って、問題なし。

ちょっと疲れたりするが、まあ次第になれるだろう、という感じだ。

看護師さんが、歩行器代わりに、点滴をぶら下げるキャスター付きのスタンドを持ってきて下さる。(正式名称知らず…)

まずは、ベッドの端にゆっくりと腰を掛けることから挑戦してみる。

胴体のギプスがあると思うように動けない。

そおっと、足を床に下ろした。
ふぅーっ

上体を起こす練習はしてきたが、足を下ろしたのは10日振り。
体の血の巡りが変わった感じだ。少しクラクラする。

しばらくそのままの体制で体をならす。頃合いを見て、少し立ち上がってみるよう、看護師さんに促される。

スタンドに捕まりゆっくりと立ち上がった。

一気に重力を感じ、足腰に負担がかかる。

自分が立ち上がることをこんなに丁寧にしたこともないし、観察したこともない。
まるで他人の体の使い心地を試しているような気分だった。

クラクラするが、次第になれてくる。
長時間プールに入ってて、久しぶりに水から上がった時の感覚の数倍。

歩くことはまだ無理そうだった。

看護師さんは、何もかもお見通しで、「フラフラするから、しっかりつかまって立ってね」とか「10日間寝たきりだったから、今日は立ち上がるまでにしましょうね」とか、先に教えて下さる。

初めは、「大袈裟に扱わなくても大丈夫、気合いで乗り切るから!」なんて強気なことばかり考えていたが、やはり看護師さんのおっしゃる通りです。
気合いでは乗り切れない。乗り切ってはいけないのだ。

その日の夜は、久々にひどく痛みだし、痛み止めを使った。


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限界は過ぎた。

どんなに大きな災害が起こっても、病院の中は、当たり前だが、いつもとなんら変わりなかった。

毎日少しずつ、90度で座れるようになるために上体を起こす許可が出ていた。

体が起き上がると、出来ることがいろいろ増える。

遠くに手を伸ばして物をとることもできる。

この病室に来てすぐ、身の回りで必要な物、例えばペットボトルの飲み物、スマホ、ティッシュ、痛み止めのお薬などを入れる為、ベッドの柵に手作りっぽいポケットのたくさんついたものを紐で縛って取り付けてくれた。

今まで、このポケットに入っていないものには手が届かなかった。


それが上体が起き上がると、ベッドの隣にある棚にまで手が伸びた。

お向かいのベッドの方も拝見。
はじめまして、と挨拶を交わす。

ずっといたのに今更はじめましてが照れくさい。

せっかく周りが見えるようになってきたけれど、いい歳して人見知りの私は、ほとんどカーテンを閉め切って過ごしていた。

コミュニケーションがイヤだと言う気持ちではなく、カーテンを閉めると安心できたからだった。

日曜日には、夫と子供達が自転車で見舞いに来てくれた。

自転車だと、自宅から2時間かかる。お休みの日のサイクリングだ。

この時の話は、1年以上経った今でも子供達からポツポツ話題にあがる。

入院から1週間過ぎたこの頃は、未だに入浴などできず、洗髪もしていない。
入院当日にしていた、雪焼け止めの薄化粧もキチンと落としたわけではない。

毎日、洗顔がわりに温かいお絞りを持ってきて下さる。

それで、少しずつ落とした感じだ。

普段だったら、限界はとっくに過ぎているが、正直それどころではない状況だから目をつむることが出来た。








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