とうよう師が選ぶ大衆音楽100選-6 M.M.誌創刊20周年企画’89 | 偽クレモンのブログ

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〇Shagufta/Pankaj Udhas(9/’90年代への動きを示す重要な10枚)

パンカジ・ウダースは1951年、インド北部グジャラート出身のシンガー。インドは大国だけに、音楽もいろいろあって、パンカジ・ウダースはポップ・ガザルにジャンル分けされている。ガザルというペルシャ起源の軽古典音楽に、1970年代ごろから西欧のポップスを取り入れてポップ・ガザルは誕生した。彼は第一人者として’90頃は君臨していた。今は知らない。にしても、この選定はとうよう師の趣味丸出しで、本当にこれが’90年代への動きを示すと思っていたのか?疑問だ。当時、とうよう師があんまり推すものだから、近所のマニアックなレンタルCD屋で見つけて(パンカジがあるなんて凄い店だった)聴いたことあるが、素晴らしい歌唱で、伴奏も熟成された歌謡調ながら現代的な感覚で素晴らしいとは思ったが、時代を作ってゆく音には思えなかった。

じゃ、改めて聴いてみる。

Shagufta (youtube.com)

いいですな。頑なロックバカには判らんかもしれんが。まず歌が素晴らしい。甘い声だが甘ったるくない。いやらしくない。まるが浜松アバンドンスのケーキのように、ガッツリ甘いが拡張高い。伴奏は、イントロでJRのホームか!と突っ込みたくなるが、それはさて置き、民族楽器とシンセのバランスが絶妙で、シンセを発明した欧米がその使用方法で試行錯誤している間に、とっくにインドや先に紹介したカリブ諸国で見事に大衆音楽にとりこんでいた。サウンドは、パーカッションはインドっぽいが、メロディや笛の使い方等はインドネシア歌謡を彷彿とさせる。冒頭にポップ・ガザルの起源はペルシャと書いた。インドネシア(この言い方も十羽一絡げでアレだが・・・)も古くから中東の人と分化が入り込んでいたことを思えば、共通点を醸しているのも腑に落ちるってもんだ。

さて、’90年代への動きを示す、に関しては・・・・民族音楽とテクノロジーの無理ない融合ということでは、当時は先んじていた音ではある。やがては西欧にも広まると、とうよう師は読んでも選定、ということにしておくか。

 

〇うぶ毛がそそり立つ/ヘティ・クース・エンダン

で、うまいことインドネシア物が重要な10枚の最後に選定されていた。これまたとうよう師の趣味丸だし選定で、師が以前からこの盤を激賞していたのはM.M.読者なら周知のこと。

ヘティ・クース・エンダンは1957年、西ジャワ州出身の歌手。本来は正統的なクロンチョンの歌い手だ。クロンチョンとは、世界最古のポップスの1つと言われているインドネシア伝統的な音楽ジャンルで、とても優雅で美しいサウンドが特徴。そんな伝統歌謡の歌い手が、底抜けに楽天的なポップスで1枚通したこのアルバムは、30年経過した今でも傑作として名を馳せている。私も持っている。でも、’90への動きを示す・・・ってか?ま、改めて聴いてみる。最近、聴いてなかった。

Hetty Koes Endang - Berdiri Bulu Romaku - Composer : Benny Azhar 1987 (CDQ) (youtube.com)

良い。凄く良い。歌謡性に慣れてない人には直ぐに理解するのは無理だとは思うが、本当に音楽が好きだったら我慢して聴いているうちに、その根底に揺蕩う豊かな音楽性がジワジワ効いてくると思うがな。だから若い人にも聴いてほしいな。こんなペラペラな音楽にこそ、その国の音楽熟成度が露わになる。そんな気がする。打ち込みみたいなリズム隊にシンセのみのバックでも豊かな国民性が表現できるのだ。民族楽器を導入すりゃいいってもんじゃない。欧米の歌手がヘタクソな民族楽器の使い方しているのと好対照だ。加えて、ヘティのヴォーカルはかなり好きだ。相当好きだ。声質が私のNo.1推し女性歌手のデティ・クルニアに似ているし、もちろん抜群に上手い。

で、とうよう師の言う通り、’90への重要な布石となったのか?パンカジ・ウダース以上に判断が難しい。この佇まいが世界に波及するのは無理があり過ぎる。方法として難しすぎる。インドネシアでさえ、この盤を超えるモノがなかなか出てこない現状だ。

 

今日はここまで。寒暖差に留意して、省エネを気にせずに温度調整しましょう。大局よりも当面の体調の方が大事です。