あなたの保険大丈夫ですか?将来の年金支給額知ってますか?直ぐに計算出来ますよ -80ページ目

「保険の無料セミナー、想像以上に納得できなかった」

 「専門家の知識が顧客本位に利用されるとは限らない」。過日、ある金融機関が主催するマネーセミナーに参加した時の感想です。講師の肩書は「ファイナンシャルプランナー」で、老後資金を準備するために「投資型保険」の利用を勧める内容でした。

 私は、基本的に「今どきの保険で老後資金を準備するのは合理的でない」と考えているので、どんな話がされるのかと疑心暗鬼で出向きましたが、想像以上に納得がいかないものでした。

 活用が推奨されていた保険は「変額終身保険」です。通常の「終身保険」との違いは、将来の保険金支払いに備え、積み立てられる保険料について、リスクを取った運用がなされることです。

 そのため、解約時に払い戻される「解約返戻金」と保険金の額が運用成績に応じて変動します(ただし、死亡保険金は契約時の金額が最低保証されています)。

 セミナーは、老後資金作りは、預貯金だけでは限界があるので、「投資信託」を利用して、株式や債券を毎月一定額購入することが有効であるという話から始まりました。

 「変額終身保険」は、「投資信託に保険機能がついているもの」と定義されていたので、「投資信託」の利点を説くことは欠かせないということでしょう。実際、投資対象の組み合わせによるリスクとリターンの説明などは、納得がいくものでした。

 しかし、ここで素朴な疑問が生じます。「投資信託」が有用なのであれば、わざわざ保障機能を追加した「投資型保険」を利用する必要はないのではないか? と。

 この点については「投信は値下がりしたら、積み立てを続けるのが怖くなったりする。逆に値上がりしたら、売って利益を確定したくなる。その点、保険は強制的に積み立てが出来る」と説明されました。

 そして「死亡保障が付いている分など、諸経費がかかるデメリットもあるとはいえ、生命保険料控除など税制面でのメリットや継続のしやすさを考えると保険がおすすめ」と結論づけられました。

 保険契約には、自己資金の増減への感応度を緩和する魔法でもあるのでしょうか? 運用目的で、敢えて解約返戻金が変動する保険に加入する場合、契約の継続を迷う局面が増えてもおかしくない気がします。

 また、強制貯蓄効果は、一定額を給与振込口座などから自動的に別口座に振り替える仕組みを使えば、保険でなくても期待できます。

 さらに経費については、決定的なデメリットと言えます。セミナーで配布されたパンフレットに35歳男性が、毎月1万9千円強の保険料を25年間払い込み、3.5%で運用される場合の試算例が載っているので、投資信託で同額の積み立てを行う場合と比べるとわかります(投資信託の販売手数料はゼロで、保有期間中0.5%の手数料がかかることにします。つまり、実質的には3%で運用される設定です)
=グラフ。

 25年後の成果は、投資信託が858万円、保険では614万円です。払込総額は約575万円ですから、保険では結果的に0.5%程度の運用に終わったのと同じ計算になります。高い経費率が響いているのは明らかでしょう。

 講師が言及していた税控除のメリットは、他の保険商品活用との兼ね合いもあり、不確実な側面がありますが、経費の発生は確実なものです。来場者のことを思えば、セミナーで強調されるべきなのは、この点だったはずです。

 ところが、終了後に行われていたのは、保険代理店での無料相談への誘導でした。

 昨春に出た「週刊ダイヤモンド」によると、この保険の販売手数料は、最上級代理店の場合、1年目に年間保険料の50%、5年間では、年間保険料の92%となっています。

 一般の方が、各種の無料セミナーに参加なさる場合は、「開催目的」を強く意識することが重要でしょう。

アメリカのキリスト教は非常に戦闘的2

◆春先きに鳥取大学教授(ドイツ文学)の武田修志さんから次の書簡をいたゞいていた。 6月15日 西尾幹二のインターネット日録

この本の中でわたしが最も共感しましたのは、111ページ~112ページの次の言葉です

 (日本人は)「戦争を含む過去の歴史をトータルとして・・・肯定すべきである・・・・」「つまり、悪だからと否定し、陸軍をスケープゴートに仕立てて責任を追及するような、そういう女々しい精神ではなく、たとえ悪であろうとなかろうと、過去から逃れるすべはないのであり、過去をことごとく肯定する強靭な精神を持つことが、今の日本人に求められている最大の心の試練だと申しあげざるを得ないんです。

 なぜかというと、天皇は、あの時代において全的存在であって、天皇の戦争責任を否定することは国民が自分を否定すること、自分の歴史を否定することと同じになってしまうからです。(・・・)私に言わせれば、天皇は平和主義者だと言って、それを通じて戦後の自分たちも平和主義者だと言いたくて、

悪かったのは過去の軍人だ、軍部だ、そんな言い逃れで過去の一時代から目を逸らすのは、言ってみればアリバイづくりをしているようなものです。(・・・)」

 目の覚めるような真実の言葉です。久しぶりにこういう心に響く言説に出会って、背筋がしゃんとしてくるのを感じます。かつては小林秀雄や田中美知太郎を読むと、こういう言葉に出会うことができたように思いますが、今や、こういうことが言える言論人は先生一人になってしまわれたようです。

 しかし、小林秀雄からも田中美知太郎からも聞けなかった言葉が、右の引用文にはあるように思います。「天皇は、あの時代において全的存在であって、天皇の戦争責任を否定することは国民が自分を否定すること、自分の歴史を否定することと同じになってしまう」この言葉に、私は今回特に感銘を受けました。「天皇は」、あの当時、我々日本人にとって「全的存在」であった――この理解はたいへんに独創的です。日本人にとっての天皇を「全的存在」という一語でとらえた歴史家がいままでにいるのでしょうか。

――その存在を否定すると我々全部を否定してしまうことになる存在、全的存在・・・「全的存在」という言葉は、これから天皇を論ずるときのキーワードになるかもしれません。

 御著書『天皇と原爆』は、拝読して、全編教えられることばかりでしたが、今回、右に書いたこととは別に、もう一つ目の覚めるような、何とも嬉しい知識を一つ得ることができました。

それは「わが國家は生まれた國であって作られた國では無いといふこと」です。先生の言葉で言い直せば「自然発生国家」だということです。なるほど!とこの指摘には感激しました。これは、日本という國の根本的性格を一言で言い表しているように思います。

そして、そもそも日本人のだれもが、そんなふうに何となく感じているのではないでしょうか。『ヨーロッパの個人主義』の中の叙述も、33歳の先生が、直感的に「日本は自然発生国家だ」とご存じであったところから生まれた文章ではないでしょうか。

 今回、先生が大東亜戦争の原因を糾明するために、「なぜアメリカは日本と戦争したのか」と、アメリカ側の立場を問題にする視点を持ち出されたのが、すでに全く独創的ですが、この観点から見ていくとき、おのずからのように、アメリカという国の「宗教国家としての側面」がさまざまに検討されることになったのは、私にとってたいへん印象的でした。宗教国家としてのアメリカ?これは、非常に多くの日本の知識人の盲点ではなかったかと思います。

私も全くこれまでこのような関心の持ち方をしたことがなく、先生の博覧強記に教えられることばかりでした。

 この点に関する先生の論述を辿っていて、私は強く、アメリカ人の無意識の深さということを感じました。アメリカの歴史をたどれば、

そこにどれだけの「悪」があるか、これを振り返る力をこの国の人々は非常に微弱にしか持ち合わせていない、そしてそのことと、彼らが宗教を頼りにする心性は深く結びついている

――そんなことを感じました。これは、別の言い方をすれば、アメリカという国を相手にするには、アメリカの表向きの主張のみならず、いつも、その無意識の部分まで洞察しないと、うまく交際できない相手であるということです。御著書を拝読していますと、こういう点について、日本人はあまりに無自覚だったのではないかと反省させられます。

(私のコメント)

ヨーロッパの歴史は、大ローマ帝国滅亡後は戦争に次ぐ戦争の歴史であり、ローマ帝国の滅亡の原因も、その後の戦争に次ぐ戦争にもキリスト教が深く関与している。5世紀から15世紀ごろのヨーロッパはキリスト教の権力が強く、戦争も小規模で散発的なものでしたが、十字軍遠征の頃からキリスト教の権威も落ち始めて免罪符などの販売で宗教改革の機運が出てきて、16世紀頃からの宗教改革でキリスト教は新教と旧教に別れて宗教戦争が繰り返されるようになった。



特にドイツの30年戦争では、ドイツの人口が三分の一にまで減ってしまうほどの過酷な戦争であり、多くのヨーロッパ人は戦乱を避けて新天地のアメリカを目指した。さらには宗教戦争に敗れた人たちも命からがらアメリカに逃れた。アメリカはイギリスの植民地であったが、犯罪者たちの流刑地でもあり、古くからのアメリカ人の子孫の多くは犯罪者なのだ。



現代でもヨーロッパ系アメリカ人を分類すると、非常に信心深いアメリカ人と荒くれ者のアメリカ人とに分けられます。彼らの祖先をたどれば宗教戦争によってアメリカ逃れた人たちと、犯罪者として流刑地に送られてきた人たちが多かったからだろう。アメリカが独立してからは犯罪者の流刑地ではなくなりましたが、その後はヨーロッパの戦乱を逃れてきた人たちが多くなり宗教戦争による弾圧を逃れてきた人たちだ。



第二次世界大戦でも、ユダヤ教徒が弾圧されて多くのユダヤ人がアメリカに逃れましたが、これも一種の宗教弾圧を逃れてきた移民になる。現代のアメリカ人がヨーロッパに比べても非常に信心深いのは歴史的に当然なのだろう。しかも宗教戦争の戦乱を逃れてきた移民だから非常に戦闘的なキリスト教であり、そこがヨーロッパのキリスト教徒は違うところだ。



ヨーロッパは宗教戦争で荒廃しきって、1648年のウェストファリア条約で政治と宗教の分離が図られた。つまりアメリカのキリスト教は宗教戦争を経験していないから、政治と宗教の分離が不明確であり、現代でも世界に多くのキリスト教宣教師を送り込んでいるのはアメリカだ。現代の日本でも年末が近くなるとキリスト教の宣伝カーが走り回りますが、アメリカ人宣教師が非常に多い。

中国などにも戦前は数千人のアメリカ人宣教師が送られていましたが、数億人の人口を持つ中国は彼らにとっては新天地に思えたのだろう。それに比べると日本へのキリスト教布教は思わしくなく、宗教国家アメリカの想いは日本よりも中国に傾くのは当然なのだろう。さらに天罰として原爆攻撃によって破滅的打撃を与えれば日本人もキリスト教に入信者が爆発的に増えると考えたのかもしれない。



大東亜戦争は植民地解放と人種差別撤廃の解放戦争だとて意義付けてきましたが、日本のフィリピンや韓国に次ぐキリスト教国家にしようと考えたのだろう。韓国は三割がキリスト教信者となり最大勢力になりましたが、日本はキリスト教信者は1%にも満たない。韓国のキリスト教国化はアメリカの宣教師にとっては最近における輝かしい成果であるのだろう。



大戦後においてもアメリカは、日本に大量のキリスト教宣教師を送り込んできましたが、成果ははかばかしくは無かった。大東亜戦争で日本は戦争犯罪を犯した犯罪国家として精神的に痛めつければキリスト教に入信する人が増えると考えたのでしょうが、日本は韓国とは違って、400年前のヨーロッパの宗教戦争と同じ時期に宗教戦争を戦っている。ある意味ではヨーロッパよりも早く政治と宗教の分離が行なわれていた。



秀吉や家康は直ぐにキリスト教の危険性に気がついて弾圧にかかりましたが、当時のキリスト教が非常に戦闘的であり、多くのキリシタン大名が誕生した。しかし日本人の娘を性奴隷として世界に売り払っていたのも事実であり、キリシタン追放令にその事実が書かれている。だから日本でキリスト教が広まらないのはそのような歴史があるからだ。



つまり大東亜戦争は、キリスト教国アメリカと非キリスト教国日本の戦いでもあり、フィリピン、韓国に次ぐキリスト教化を図りましたが、成功していない。戦前は白人でキリスト教国でなければ文明国ではないと思われていて、日本もアメリカ人にとってはアジアの有色人種の国であり、戦争で勝つことによって日本をキリスト教国化できると考えたのだろう。



◆日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか?

しかし、アルメイダが行ったのは、善事ばかりではなく、悪事もありました。それは奴隷売買を仲介したことです。わた〕まここで、鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」P249~257から、部分的に引用したいと思います。

「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。

数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた事実を、今こそ、日本のキリスト教徒たちは考え、語り継がれよ。その勇気があれぱの話だが」。

(以上で「天皇のロザリオ」からの引用を終ります)

(私のコメント)

韓国の李大統領が盛んに、日本軍による従軍慰安婦問題を取り上げるのは、背後にはアメリカのキリスト教団体の指示によるものだろう。日本軍だって韓国人女性を性奴隷として強制連行したではないかと言いたいのだろう。このようにキリスト教宣教師たちは日本国民たちを精神的に痛めつけることで信者を増やそうとしている。

また、どんな大罪を犯しても神の前に膝まついて、許しを乞えば許されると教えられているからたちが悪い。
更に自ら命を断つ事も許されていないのだから尚更だ

アメリカのキリスト教は非常に戦闘的

◆書評 文芸評論家 富岡幸一郎 「正論」平成24年7月号より 6月5日 西尾幹二のインターネット日録

「脱東京裁判史観」探求の新たな到達点

 「アメリカは一種の『闇の宗教』をかかえているとみています」と著者が雑誌『諸君!』の討論会で発言し周囲を驚かした話が出てくるが、「大東亜戦争は宗教戦争だった」という本書を貫く主張に驚く読者もいるだろう。

 しかし日米戦争を世界史の潮流のなかで捉え直すとき、著者の洞察はきわめて本質的な問題提起となる。「闇の宗教」とは、アメリカのキリスト教がヨーロッパでの宗教戦争に敗れたピューリタンたちが、新天地で建国を果たした経緯による。彼らの「神の国」信仰は宗教原理主義を色濃く抱え込んでいるからだ。著者は直接にそのような言い方はしていないが、米国のキリスト教は16世紀宗教改革の異端は(再洗礼派のような過激性)を起源としているからこそ、その「正義」の言動は破壊性と倒錯性を孕む。インディアンの虐殺、南北戦争、そして太平洋をホワイトパシフィックと化し日本に原爆を投下した歴史を辿れば(近くでは予防的先制攻撃なる概念の捏造によるイラク攻撃など)枚挙に暇がない。

 日本はなぜアメリカと戦争したかではなく、「なぜアメリカは日本と戦争したのか」が問われなければ日米戦争の本質は永遠に封印されたままになる。その封印を解く鍵は米国の根っこにあるその宗教的ラジカリズムなのである。西へと膨張する「神の国」と衝突せざるをえなかった日本もまた、もうひとつの「神の国」であり、西洋列強の強圧のなかで「国体」を歴史的伝統の天皇信仰により形成した日本人は、この“文明の衝突”を不可避のものとするほかはなかった。
本書の最終章「歴史の運命を知れ」は『江戸のダイナミズム』で日・中・欧の壮大な比較文明論を展開した著者ならではの説得力のある一文であり、情緒的な宿命論ではない。

 もうひとつ本書で看過してはならないのは、昭和天皇の「戦争責任」に言及している個所である。左翼が欺瞞的な平和主義からいうのとはむろん異なり、
開戦の詔書は天皇の名によって記されており、それは日本が「神の国」であり、その「国体」によって宗教戦争を戦い抜いたことの歴史的証言だからである。天皇に責任はなかった、悪いのは陸軍だ軍人だといった議論はいわゆる保守派のなかにもあるが、それは大東亜戦争の本質を見ようしないばかりでなく、「戦争は悪である」という典型的な戦後レジームの言辞に過ぎない。これは別の形で、著者の平成の皇室に向けた発言の真意にも重なるのである。

 紙幅がなく詳述できぬのが残念だが最後に、日米の全く異質な「神の国」の激突を国学者として洞察した折口信夫が敗戦後に「神やぶれたまふ」と語ったことに対して、本書は否「やぶれた」のはどちらかという歴史への、日本人への究極の問いを未来に向けて孕んでいることを指摘しておきたい。