倫理の黄金律と牛乳・粉ミルク
倫理の黄金律と牛乳・粉ミルク
●倫理の黄金律1
・・・相手のして欲しくないことをしてはいけない・・・
●倫理の黄金律2
・・・相手のして欲しいことをしなさい・・・
●福島原発事故後のお母さん
放射性物質が入っていない牛乳と粉ミルクを飲ませたい
●牛乳・粉ミルクの販売者
政府の指導と業界の掟でベクレルも原料先も表示しない
●お父さん
不思議なことに子供の健康には興味がない。
・・・・・・・・・
野菜から始まりお米まで農水省は一貫して「国民に放射性物質をとらせろ。業界を守れ」と言い続けている。業界は「一人だけ抜け駆けするとこれから意地悪される」とびびっている。消費者庁は動くとつぶされるので自分のことを考えて動かない。
日本社会で倫理を支えるもの、それはかつて村社会だったが、今は一人一人の魂に委ねられている。社会としては、「毒物が入っている食材を黙って子供に食べさせた農民」がその村から追放されるよりも、その農民の魂で「食べさせない」ことの方が「進歩」だろう。ということは社会が進歩する、進歩した社会に生きる人はそれだけ高潔な魂が求められるということだ。
原発事故からの農業、漁業、そして食材を扱う人たちは一貫して「倫理の黄金律」に反してきた。お母さんも物言わぬ子供も外部被曝がある現状では、すこしでも放射性物質を含まない食事をしたいと希望するのは当然である。1年5ミリだからいいじゃないかとか、少しぐらい生産者のために我慢しろというような問題ではない。
これまで食品添加物や中国の農薬の問題などで、そんな理屈をこねた生産者もスーパーも、またマスコミも登場しなかったが、今度は「政府ぐるみの倫理違反」だから、生産者も流通も、そしてマスコミも実に「堂々」としていて悪びれた様子もない。逆に「放射性物質が入っていない食材」を探すお母さんを「ばかやろう!」呼ばわりするのだから、日本社会の倫理はどうなっているのだろうか?
再度、呼びかけたい。お父さん、せめて戦線に復帰してください。
「takeda_20111003no.195-(6:32).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年10月3日)
●倫理の黄金律1
・・・相手のして欲しくないことをしてはいけない・・・
●倫理の黄金律2
・・・相手のして欲しいことをしなさい・・・
●福島原発事故後のお母さん
放射性物質が入っていない牛乳と粉ミルクを飲ませたい
●牛乳・粉ミルクの販売者
政府の指導と業界の掟でベクレルも原料先も表示しない
●お父さん
不思議なことに子供の健康には興味がない。
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野菜から始まりお米まで農水省は一貫して「国民に放射性物質をとらせろ。業界を守れ」と言い続けている。業界は「一人だけ抜け駆けするとこれから意地悪される」とびびっている。消費者庁は動くとつぶされるので自分のことを考えて動かない。
日本社会で倫理を支えるもの、それはかつて村社会だったが、今は一人一人の魂に委ねられている。社会としては、「毒物が入っている食材を黙って子供に食べさせた農民」がその村から追放されるよりも、その農民の魂で「食べさせない」ことの方が「進歩」だろう。ということは社会が進歩する、進歩した社会に生きる人はそれだけ高潔な魂が求められるということだ。
原発事故からの農業、漁業、そして食材を扱う人たちは一貫して「倫理の黄金律」に反してきた。お母さんも物言わぬ子供も外部被曝がある現状では、すこしでも放射性物質を含まない食事をしたいと希望するのは当然である。1年5ミリだからいいじゃないかとか、少しぐらい生産者のために我慢しろというような問題ではない。
これまで食品添加物や中国の農薬の問題などで、そんな理屈をこねた生産者もスーパーも、またマスコミも登場しなかったが、今度は「政府ぐるみの倫理違反」だから、生産者も流通も、そしてマスコミも実に「堂々」としていて悪びれた様子もない。逆に「放射性物質が入っていない食材」を探すお母さんを「ばかやろう!」呼ばわりするのだから、日本社会の倫理はどうなっているのだろうか?
再度、呼びかけたい。お父さん、せめて戦線に復帰してください。
「takeda_20111003no.195-(6:32).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年10月3日)
脱原発派の鉢呂吉雄経産相の辞任会見で現在のメディア事情を象徴する出来事
脱原発派の鉢呂吉雄経産相の辞任会見(9月11日)で大手通信社の記者が、大臣にヤクザ言葉を浴びせた出来事は、現在のメディア事情を象徴する出来事でした。
世論に与える影響力(と自分だけで思い込んでいる)をカサに、辞めていく大臣に対して脅迫まがいの口調で回答を迫る。同業者として恥ずかしかったし、人間としても許せませんでした。私が彼を一喝する光景はインターネットでたちまち日本中に流れました。
彼の所属する通信社には抗議の電話が殺到し、彼は上司と共に鉢呂前大臣のもとに謝罪に行かざるを得なくなりました。ネット時代でなければ、暴言は問題にされることもなかったでしょう。一国の大臣が自らの出処進退を語る場さえ、記者クラブに支配されているのです。国民が知るべき政策の問題点なども、こうして闇に葬られてきたのでしょう。
ネットの発達でメディアは新聞・テレビ・通信社のワイヤーだけでなくなったのですが、記者クラブは旧態依然で環境の変化に対応できていないようです。彼らが記者会見の主催権を持つ限り、フリーランスも彼らのルールに従わなければなりません。
暴言記者を一喝した私に真っ先にクレームをつけてきたのは、記者クラブではなくフリーランスの記者でした。彼はエネルギー問題などの経産省ネタを取材執筆し、生活しています。「田中さんがあんなことをするとフリー全体が締め出しを食う」、彼はさも迷惑そうに語りました。ここに記者クラブ問題の根深さがあります。
陸山会事件の判決が暗示するように、記者クラブの目障りになると思わぬ落とし穴に嵌められます。フリーランスがすべて正しいとは限りません。私なんて間違いだらけです。それでも今、日本が置かれた閉塞状況を打破するには、フリーが頑張るしかありません。
皆様の引き続いてのご支援をお願いするしだいです。
2011年(平成23年)9月30日
田中龍作
世論に与える影響力(と自分だけで思い込んでいる)をカサに、辞めていく大臣に対して脅迫まがいの口調で回答を迫る。同業者として恥ずかしかったし、人間としても許せませんでした。私が彼を一喝する光景はインターネットでたちまち日本中に流れました。
彼の所属する通信社には抗議の電話が殺到し、彼は上司と共に鉢呂前大臣のもとに謝罪に行かざるを得なくなりました。ネット時代でなければ、暴言は問題にされることもなかったでしょう。一国の大臣が自らの出処進退を語る場さえ、記者クラブに支配されているのです。国民が知るべき政策の問題点なども、こうして闇に葬られてきたのでしょう。
ネットの発達でメディアは新聞・テレビ・通信社のワイヤーだけでなくなったのですが、記者クラブは旧態依然で環境の変化に対応できていないようです。彼らが記者会見の主催権を持つ限り、フリーランスも彼らのルールに従わなければなりません。
暴言記者を一喝した私に真っ先にクレームをつけてきたのは、記者クラブではなくフリーランスの記者でした。彼はエネルギー問題などの経産省ネタを取材執筆し、生活しています。「田中さんがあんなことをするとフリー全体が締め出しを食う」、彼はさも迷惑そうに語りました。ここに記者クラブ問題の根深さがあります。
陸山会事件の判決が暗示するように、記者クラブの目障りになると思わぬ落とし穴に嵌められます。フリーランスがすべて正しいとは限りません。私なんて間違いだらけです。それでも今、日本が置かれた閉塞状況を打破するには、フリーが頑張るしかありません。
皆様の引き続いてのご支援をお願いするしだいです。
2011年(平成23年)9月30日
田中龍作
心、命とお金
心、命とお金
フォードピント事件のことをこのブログで書きましたが、「欠陥車と判っても、リコールするより死亡見舞金の方が安い」というように「命とお金」、「心とお金」を比較することは現代社会では成立しないことになっています。
交通事故でも「万全を期しても事故が起こる」のは仕方ないにしても、「事故が起こる欠陥車を売る」、「事故が起こる可能性が高くなる飲酒運転をする」というのは禁じ手なのです。交通事故(過失)で犠牲になる人が5000人もいるのだから、酔っぱらい運転(故意)の犠牲者は50人だから問題にしなくて良いとか、タバコを吸う(意志あり)のガン発生に比べると子供の被曝(意志なし)は小さいという議論も禁じ手です。
ところで「増え続ける医療費を下げるためにメタボの規制を強制する」とか「医療費を下げるために禁煙にする」というのは「あり」でしょうか? またこの問題はフォード・ピント事件、酔っぱらい運転などとどこが違うのでしょうか?
まず、人の健康を増進すると医療費が下がるかという問題を考えてみます。どんなものを考えるときでも、考える対象の中に含まれる一つ一つの論理や事実を確認していく必要があります。不思議なことに「よく考えることができる人」は謙虚で一つ一つを取り出して考えますが、「おおざっぱに考える人」は考えるのが苦手なのに難しいことをいっぺんに片付けようとします。面倒なのかも知れません。
[
Bandicam_20111001_215407485]
表を見ていただきながら、この問題を考えてみたいと思います。平成18年度の日本の医療費を年齢別に整理したもので、0歳から65歳までと、65歳以上のお年寄りの医療費を比較しています。
65歳まではあまり医療費はかからず、一人あたり15万円ぐらいです。詳しく言うと子供のころと50歳を過ぎると少し多いのですが、それでもあまり大きくは違いません。それに対して65歳を過ぎると体にガタが来るので、急に病院通いが多くなり一気に66万円になります。また平均寿命に近づいてくると82万円になることがわかります。
医療費は増え続けていますが、それは「国民が太ったり、タバコを吸ったりするから医療費が増える」のか、それとも「長寿になったから医療費が増えるのか」について慎重に考えなければなりません。
この統計の反論としては「メタボの人の糖尿病を治す医療費や喫煙者の血液障害を治療する医療費」が多いというデータがあげられますが、やせていてタバコを吸わなければ何の病気にもならなければ別なのですが、人間は歳をとると何らかの病気にかかります。だから「メタボの人は糖尿病になるから治療費がかかる」からメタボを追放するということになると、その人はやせることによってより長生きしますから、ここに示したデータでは医療費はさらに多くなることになります。
・・・・・・・・・
むしろ問題なのは、人の命と医療費をこのような考えで整理して良いのか?ということです。お医者さんは寿命を延ばそうと必死に働いておられますが、それは正しいのです。人間が病気を直したい、長生きしたいと強く希望する限り、医師という専門職はそれに応えなければなりません。
その意味で「メタボより適正体重の方が長生きする。禁煙の方が長生きする。でも医療費はその分だけ増える」というのが正解でしょう。医師が医療費の削減を頭にいれて治療をするというのはかなり危険です。おそらく医療費を下げるのは65歳ぐらいの人が病院に来たら医師が治療を怠るというのが一番、早道だからです。
まだ結論を出したわけではありません。今回の被曝の問題は「除染する費用と発がん」を比較する議論が多いのですが、それをフォードピント事件、メタボ対策と比較して私たちのこの複雑な社会でどのような考え方をとるべきか、それが問われていると思うからです。また、この問題は教育現場でも同様に重要な課題で、日本社会の基本的な倫理観を確立する必要がある時期でもあります。
「takeda_20111001no.191-(6:03).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年10月1日)
フォードピント事件のことをこのブログで書きましたが、「欠陥車と判っても、リコールするより死亡見舞金の方が安い」というように「命とお金」、「心とお金」を比較することは現代社会では成立しないことになっています。
交通事故でも「万全を期しても事故が起こる」のは仕方ないにしても、「事故が起こる欠陥車を売る」、「事故が起こる可能性が高くなる飲酒運転をする」というのは禁じ手なのです。交通事故(過失)で犠牲になる人が5000人もいるのだから、酔っぱらい運転(故意)の犠牲者は50人だから問題にしなくて良いとか、タバコを吸う(意志あり)のガン発生に比べると子供の被曝(意志なし)は小さいという議論も禁じ手です。
ところで「増え続ける医療費を下げるためにメタボの規制を強制する」とか「医療費を下げるために禁煙にする」というのは「あり」でしょうか? またこの問題はフォード・ピント事件、酔っぱらい運転などとどこが違うのでしょうか?
まず、人の健康を増進すると医療費が下がるかという問題を考えてみます。どんなものを考えるときでも、考える対象の中に含まれる一つ一つの論理や事実を確認していく必要があります。不思議なことに「よく考えることができる人」は謙虚で一つ一つを取り出して考えますが、「おおざっぱに考える人」は考えるのが苦手なのに難しいことをいっぺんに片付けようとします。面倒なのかも知れません。
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Bandicam_20111001_215407485]表を見ていただきながら、この問題を考えてみたいと思います。平成18年度の日本の医療費を年齢別に整理したもので、0歳から65歳までと、65歳以上のお年寄りの医療費を比較しています。
65歳まではあまり医療費はかからず、一人あたり15万円ぐらいです。詳しく言うと子供のころと50歳を過ぎると少し多いのですが、それでもあまり大きくは違いません。それに対して65歳を過ぎると体にガタが来るので、急に病院通いが多くなり一気に66万円になります。また平均寿命に近づいてくると82万円になることがわかります。
医療費は増え続けていますが、それは「国民が太ったり、タバコを吸ったりするから医療費が増える」のか、それとも「長寿になったから医療費が増えるのか」について慎重に考えなければなりません。
この統計の反論としては「メタボの人の糖尿病を治す医療費や喫煙者の血液障害を治療する医療費」が多いというデータがあげられますが、やせていてタバコを吸わなければ何の病気にもならなければ別なのですが、人間は歳をとると何らかの病気にかかります。だから「メタボの人は糖尿病になるから治療費がかかる」からメタボを追放するということになると、その人はやせることによってより長生きしますから、ここに示したデータでは医療費はさらに多くなることになります。
・・・・・・・・・
むしろ問題なのは、人の命と医療費をこのような考えで整理して良いのか?ということです。お医者さんは寿命を延ばそうと必死に働いておられますが、それは正しいのです。人間が病気を直したい、長生きしたいと強く希望する限り、医師という専門職はそれに応えなければなりません。
その意味で「メタボより適正体重の方が長生きする。禁煙の方が長生きする。でも医療費はその分だけ増える」というのが正解でしょう。医師が医療費の削減を頭にいれて治療をするというのはかなり危険です。おそらく医療費を下げるのは65歳ぐらいの人が病院に来たら医師が治療を怠るというのが一番、早道だからです。
まだ結論を出したわけではありません。今回の被曝の問題は「除染する費用と発がん」を比較する議論が多いのですが、それをフォードピント事件、メタボ対策と比較して私たちのこの複雑な社会でどのような考え方をとるべきか、それが問われていると思うからです。また、この問題は教育現場でも同様に重要な課題で、日本社会の基本的な倫理観を確立する必要がある時期でもあります。
「takeda_20111001no.191-(6:03).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年10月1日)