財務省上層部が小沢一郎調査班発足させる指示出したとの情報
財務省上層部が小沢一郎調査班発足させる指示出したとの情報
ついに国家権力の中枢・財務省がなりふり構わず牙を剥き出しにした。2月17日、小沢一郎・民主党元代表の公判で東京地裁が検察の捜査報告書を不採用にした(※注)直後、本誌取材班は財務省中枢の不穏な動きをキャッチした。「財務省上層部が東京国税局の資料調査課に、密かに小沢一郎・調査班を発足させるように指示を出した」という情報だ。
資料調査課は通称「料調(リョウチョウ)」と呼ばれ、マルサ(査察部)と並んで税務調査に熟練した精鋭部隊。1件の調査に何十人もの調査官を集中的に投入して複雑な資金の流れを短期間で解明する能力を持ち、東京地検特捜部も汚職事件の捜査などで非公式に協力を求めることで知られる。
小沢氏にかかわる事件で「料調」の名前が出るのは今回が初めてではない。2年前の1月、特捜部が小沢氏の事務所を強制捜査した際、押収した資料の分析に資料調査課が協力したとされる。その直後には、小沢夫人の実家にあたる新潟の中堅ゼネコン「福田組」が関東信越国税局の税務調査を受けて約5億円の申告漏れで追徴課税されていたことも発覚。
検察と国税の連携プレーをうかがわせた。
財務省にとって税務調査権を持つ国税庁は権力基盤を支える重要な「暴力装置」であり、これまでも政治家や企業、メディアに睨みを利かせてきた。「料調」が集めた有力政治家の資産、収入、関係会社の税務内容などの「極秘ファイル」は東京国税局の総務課に保管され、政局がこじれた時、財務省の政策に反対する政治家への恫喝や懐柔に利用されてきた-というのが日本の知られざる政界裏面史である。
国税庁関係者は小沢調査班結成の意味をこう受け止めている。
「今になって料調を動かすというのは、財務省の上層部が、小沢氏に無罪判決が出た場合に備えて脱税容疑の調査に乗り出したことを意味する」
この3年間というもの、検察は政権交代直前に小沢氏の秘書を逮捕して民主党代表辞任に追い込み、政権を取った後は小沢氏自身への強制捜査で幹事長を辞任させ、それでも検察が起訴できないとなると検察審査会(事務局は東京地裁)が強制起訴に導いた。秘書たちの裁判では、証拠がことごとく否定されたのに、「推認」を重ねて世にも奇妙な有罪判決が出た。
その焦る検察を尻目に、悪の親玉よろしく動き始めたのが霞が関の支配者である財務省だった。野田首相を操って消費税増税に突き進む同省は、公判の形勢逆転で、「もう検察は期待できない」と見限った。
財務省は福田内閣の社会保障国民会議から足かけ5年、政権交代をまたいで増税準備を進めてきた。その大詰めになって「消費税法案の採決には反対する」と公言して立ちはだかっている小沢氏に万が一でも無罪判決が出れば、民主党内の増税反対派が一段と勢いを増す。何としても復権を阻止したい動機がある。
※注:捜査報告書不採用/2月17日の公判で東京地裁は検察官役の指定弁護士が証拠申請していた小沢氏の元秘書、石川知裕・代議士の供述など検察の捜査報告書の大部分を不採用にした。石川供述は検察審査会が小沢氏の強制起訴を議決した際の有力な根拠とされた部分だが、取り調べを担当した検事への証人尋問で報告書がでっちあげだったことが明らかになったためだ。それにより小沢氏が政治資金規正法違反に関与していたとする根拠が失われた。
※週刊ポスト2012年3月9日号
ついに国家権力の中枢・財務省がなりふり構わず牙を剥き出しにした。2月17日、小沢一郎・民主党元代表の公判で東京地裁が検察の捜査報告書を不採用にした(※注)直後、本誌取材班は財務省中枢の不穏な動きをキャッチした。「財務省上層部が東京国税局の資料調査課に、密かに小沢一郎・調査班を発足させるように指示を出した」という情報だ。
資料調査課は通称「料調(リョウチョウ)」と呼ばれ、マルサ(査察部)と並んで税務調査に熟練した精鋭部隊。1件の調査に何十人もの調査官を集中的に投入して複雑な資金の流れを短期間で解明する能力を持ち、東京地検特捜部も汚職事件の捜査などで非公式に協力を求めることで知られる。
小沢氏にかかわる事件で「料調」の名前が出るのは今回が初めてではない。2年前の1月、特捜部が小沢氏の事務所を強制捜査した際、押収した資料の分析に資料調査課が協力したとされる。その直後には、小沢夫人の実家にあたる新潟の中堅ゼネコン「福田組」が関東信越国税局の税務調査を受けて約5億円の申告漏れで追徴課税されていたことも発覚。
検察と国税の連携プレーをうかがわせた。
財務省にとって税務調査権を持つ国税庁は権力基盤を支える重要な「暴力装置」であり、これまでも政治家や企業、メディアに睨みを利かせてきた。「料調」が集めた有力政治家の資産、収入、関係会社の税務内容などの「極秘ファイル」は東京国税局の総務課に保管され、政局がこじれた時、財務省の政策に反対する政治家への恫喝や懐柔に利用されてきた-というのが日本の知られざる政界裏面史である。
国税庁関係者は小沢調査班結成の意味をこう受け止めている。
「今になって料調を動かすというのは、財務省の上層部が、小沢氏に無罪判決が出た場合に備えて脱税容疑の調査に乗り出したことを意味する」
この3年間というもの、検察は政権交代直前に小沢氏の秘書を逮捕して民主党代表辞任に追い込み、政権を取った後は小沢氏自身への強制捜査で幹事長を辞任させ、それでも検察が起訴できないとなると検察審査会(事務局は東京地裁)が強制起訴に導いた。秘書たちの裁判では、証拠がことごとく否定されたのに、「推認」を重ねて世にも奇妙な有罪判決が出た。
その焦る検察を尻目に、悪の親玉よろしく動き始めたのが霞が関の支配者である財務省だった。野田首相を操って消費税増税に突き進む同省は、公判の形勢逆転で、「もう検察は期待できない」と見限った。
財務省は福田内閣の社会保障国民会議から足かけ5年、政権交代をまたいで増税準備を進めてきた。その大詰めになって「消費税法案の採決には反対する」と公言して立ちはだかっている小沢氏に万が一でも無罪判決が出れば、民主党内の増税反対派が一段と勢いを増す。何としても復権を阻止したい動機がある。
※注:捜査報告書不採用/2月17日の公判で東京地裁は検察官役の指定弁護士が証拠申請していた小沢氏の元秘書、石川知裕・代議士の供述など検察の捜査報告書の大部分を不採用にした。石川供述は検察審査会が小沢氏の強制起訴を議決した際の有力な根拠とされた部分だが、取り調べを担当した検事への証人尋問で報告書がでっちあげだったことが明らかになったためだ。それにより小沢氏が政治資金規正法違反に関与していたとする根拠が失われた。
※週刊ポスト2012年3月9日号
貯蓄目的の保険に意味はあるのか
「『掛け捨て』の保険中心の保険活用をすすめるには、個人が浮いた保険料を運用できるという前提が必要になる。しかし、それは難しいのではないか?」
日頃から貯蓄のため保険、あるいは保障と貯蓄を兼ねると認識されている保険を、お客様に案内している人たちから、こんな指摘を受けることがあります。
「保険料が安くなった分、貯蓄が増えるとは限らないので、必要最小限と思われる提案をして一件落着とするのは無責任」と言われることもあります。
私とは対照的な考え方です。全面的に否定するつもりはありません。また、よく言われる「強制貯蓄機能」がある保険商品の存在も認めます。
ただ、そもそも「前提」が違っていることは断っておきたいと思います。運用は難しいだろうから、極力、保険にお金をかけない方がいいと考えているからです。
あらためて確認しておくと、「掛け捨て」と呼ばれているのは、死亡・医療などの分野で一定期間の保障が確保できて、期間満了時に払い戻されるお金がない保険です。
満期金等の「積み立て」に要する保険料が不要なので、払い戻し金がある保険より保険料は安くなります。そのかわり「保険に加入していたら、いつの間にかお金が貯まっていた」ということにはなりません。
そこで、冒頭のような意見が出てくるわけです。しかし、私は「お金の運用法を知らなくてもお金は残せる」と思っています。
卑近な例で恐縮ですが、自分自身、過去にそれなりの額のお金を蓄えることができたケースでは、常に「普通預金以外の口座に自動的にお金が振り替えられる仕組み」を利用しています。
会社員だった頃の「社内預金」や「持株会」、代理店として独立した当時、お金がなくて解約してしまった「個人年金保険」などがそうです。
現在では、ある程度リスクを取ることにして、毎月一定額を「確定拠出年金」や「投資信託」の口座に積み立てているので、残高は変動するものの、「別に保険でなくてもお金は残せる」と感じています。運用のノウハウではなく、お金を自由に引き出すのに「ひと手間かかる口座」を持っているかどうかという、生活習慣(?)の問題というのが実感です。
そして、一般の方が、安い保険を利用することで浮いたお金を殖やす方策は、特段なくても構わないと考えます。保険料負担が軽減されることで、すでに十分なリターンが得られているはずだからです。
様々な「節約術」のことを考えてみてください。たとえば家電の買い替えで月々の電気代が下がるということを話題にするとき、「電気代が下がっても、その分適切な運用ができなければ……」といった反論が出るでしょうか。
仮に、誰もが加入している「健康保険」の手厚い保障内容を確認し、民間の「医療保険」に入らないという選択をした場合、売れ筋商品では総額で200万円くらいのリスク管理費が浮くことになります。
誰もが加入している「健康保険」の保障内容を知ると、「医療保険」は基本的に避けていい買い物だと思えます。
もちろん、加入を見送った後に長期入院をしないとも限りませんが、そういった想定可能なケースに全て保険で備えることは現実的でないはずです。
「医療保険」に要するのは、通常、毎月数千円程度のお金ですが、数種類の保障がパッケージされた保険など、不可欠とは言い難い保険は沢山あります。
それらの保険に関わらないことにすると、普通預金以外の口座に回せるお金の額が大きくなります。家庭によっては1000万円を超えることもあります。長年にわたって毎月発生する固定費が減るということは、それだけで立派な成果なのだと感じます。
保険料の削減(私は「適正化」と呼びたいです)並みのリターンが、確実に得られる運用法は、そんなに多くないのではないでしょうか。
日頃から貯蓄のため保険、あるいは保障と貯蓄を兼ねると認識されている保険を、お客様に案内している人たちから、こんな指摘を受けることがあります。
「保険料が安くなった分、貯蓄が増えるとは限らないので、必要最小限と思われる提案をして一件落着とするのは無責任」と言われることもあります。
私とは対照的な考え方です。全面的に否定するつもりはありません。また、よく言われる「強制貯蓄機能」がある保険商品の存在も認めます。
ただ、そもそも「前提」が違っていることは断っておきたいと思います。運用は難しいだろうから、極力、保険にお金をかけない方がいいと考えているからです。
あらためて確認しておくと、「掛け捨て」と呼ばれているのは、死亡・医療などの分野で一定期間の保障が確保できて、期間満了時に払い戻されるお金がない保険です。
満期金等の「積み立て」に要する保険料が不要なので、払い戻し金がある保険より保険料は安くなります。そのかわり「保険に加入していたら、いつの間にかお金が貯まっていた」ということにはなりません。
そこで、冒頭のような意見が出てくるわけです。しかし、私は「お金の運用法を知らなくてもお金は残せる」と思っています。
卑近な例で恐縮ですが、自分自身、過去にそれなりの額のお金を蓄えることができたケースでは、常に「普通預金以外の口座に自動的にお金が振り替えられる仕組み」を利用しています。
会社員だった頃の「社内預金」や「持株会」、代理店として独立した当時、お金がなくて解約してしまった「個人年金保険」などがそうです。
現在では、ある程度リスクを取ることにして、毎月一定額を「確定拠出年金」や「投資信託」の口座に積み立てているので、残高は変動するものの、「別に保険でなくてもお金は残せる」と感じています。運用のノウハウではなく、お金を自由に引き出すのに「ひと手間かかる口座」を持っているかどうかという、生活習慣(?)の問題というのが実感です。
そして、一般の方が、安い保険を利用することで浮いたお金を殖やす方策は、特段なくても構わないと考えます。保険料負担が軽減されることで、すでに十分なリターンが得られているはずだからです。
様々な「節約術」のことを考えてみてください。たとえば家電の買い替えで月々の電気代が下がるということを話題にするとき、「電気代が下がっても、その分適切な運用ができなければ……」といった反論が出るでしょうか。
仮に、誰もが加入している「健康保険」の手厚い保障内容を確認し、民間の「医療保険」に入らないという選択をした場合、売れ筋商品では総額で200万円くらいのリスク管理費が浮くことになります。
誰もが加入している「健康保険」の保障内容を知ると、「医療保険」は基本的に避けていい買い物だと思えます。
もちろん、加入を見送った後に長期入院をしないとも限りませんが、そういった想定可能なケースに全て保険で備えることは現実的でないはずです。
「医療保険」に要するのは、通常、毎月数千円程度のお金ですが、数種類の保障がパッケージされた保険など、不可欠とは言い難い保険は沢山あります。
それらの保険に関わらないことにすると、普通預金以外の口座に回せるお金の額が大きくなります。家庭によっては1000万円を超えることもあります。長年にわたって毎月発生する固定費が減るということは、それだけで立派な成果なのだと感じます。
保険料の削減(私は「適正化」と呼びたいです)並みのリターンが、確実に得られる運用法は、そんなに多くないのではないでしょうか。
教育は戦前の暗黒時代へ・・・教育関係者の魂に期待する
教育は戦前の暗黒時代へ・・・教育関係者の魂に期待する
福島では小学校教育でまるで戦前に戻ったかと思う教育関係者の発言が見られる。
ある小学校では、福島から避難することを口にした児童を教諭がみんなの前で名前をよび、「あなたは日本国民ではありません、裏切り者です」と言った。
さらにある小学校(特定しています)では登校時にマスクをした児童に対して、先生が、「マスクを取りなさい! その様な行為が風評被害を招くのです!」と叱った。
・・・・・・・・・
こんなことが今の時代にあるのか?!とビックリするが、これに類したことは原発事故以来、かなり多く、私も直接(校長先生からのメールなど)、間接(読者の方からのご連絡)に接してきた。戦後、「日の丸、君が代」も拒否し、ひたすら「民主教育」、「個人の尊厳」を中心にしてきた学校はどうなってしまったのだろうか?
また、朝日新聞をはじめとしたマスコミもおおかたは「個人の尊厳、民主的教育」を支持してきたのではなかったか?
今回の原発事故は、そのものが「原子力安全審査における不誠実」が一つの原因になったのは間違いない。私たちはここで「福島原発事故の教訓を活かして、どんな場合でも誠実な日本人であること」が求められており、さらに教育、医学、行政などの分野でより強く意識しなければならないのは当然でもある。
福島の汚染地帯にいる子供たちは「違法に滞在している状態」である。子供たちは法律を知らないが、教師は法律や規則を勉強して子供たちを守る立場にある。ここに上げた二つの例は、いずれも土壌汚染が1平方メートルあたり4万ベクレルを超える地域であり、学校の先生は法律の規定に従い、学校の放射性物質を除去することを東電に求めて子供を守る必要がある。
法律の制限を約40倍超える外部被曝をさせた文科省、法律の制限を約40倍超える被曝をさせた給食担当者、短い期間だから問題ないといって汚染された地域へ生徒を修学旅行に連れて行った校長先生・・・今回の福島原発事故は教育界の腐敗を示したとも言える.
・・・・・・・・・
「原発は危険だから東京には作れない」といって、東京の電気を福島で作っていた。なぜ、福島の人がそれを受け入れたのだろうか? 東京にはA級国民が住んでいて、福島の人はB級国民だからだろう。お金を持っている東京の人は「電気は欲しいけれど子供は被曝させたくない」と言い、貧乏な福島の人は「ご主人様がそう言われるのだから我慢しよう」と言う。
この先生方の言葉を聞いて、私は福島の先生が子供たちに「被曝は受け入れなさい。ご主人様のご命令だよ」と言っているように聞こえる。「絆」という字がいかにも欺瞞に聞こえるのはその所為だろう。
被曝を避ける子供に「裏切り者、非国民、風評被害」となじる先生の姿は鬼にしかみえない。政府、マスコミも野蛮人に見えたが、実は福島の先生も野蛮人で、被曝を良しとするなら、仕方が無い。
しかし、残念だ。そんな日本に住んでいると思うと残念だ。今まで、なんで先生の言うことを聞き、新聞を読んできたのだろう・・・・・・
・・・・・・・・・
昨日、「医師と被曝の限度」について記事を書いた.記事に対するご意見を医師の方からいただき、今、また深く考えている.医師、教師など社会的に尊敬され、また尊敬されなければいけない職業が危機に瀕していることは確かだ.
福島の保護者も先生も児童を被曝させたいなら、それもそれでよいのだろうか?
今、教育の本を執筆している.どう考えるべきだろうか? 何が起こって、また起ころうとしているのだろうか? 拝金主義の蔓延というそれだけだろうか? このことについて深い考察をすることもまた、将来の日本社会にとって必要なことだろうと思う.
「takeda_20120227no.433-(11:50).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成24年2月26日)
福島では小学校教育でまるで戦前に戻ったかと思う教育関係者の発言が見られる。
ある小学校では、福島から避難することを口にした児童を教諭がみんなの前で名前をよび、「あなたは日本国民ではありません、裏切り者です」と言った。
さらにある小学校(特定しています)では登校時にマスクをした児童に対して、先生が、「マスクを取りなさい! その様な行為が風評被害を招くのです!」と叱った。
・・・・・・・・・
こんなことが今の時代にあるのか?!とビックリするが、これに類したことは原発事故以来、かなり多く、私も直接(校長先生からのメールなど)、間接(読者の方からのご連絡)に接してきた。戦後、「日の丸、君が代」も拒否し、ひたすら「民主教育」、「個人の尊厳」を中心にしてきた学校はどうなってしまったのだろうか?
また、朝日新聞をはじめとしたマスコミもおおかたは「個人の尊厳、民主的教育」を支持してきたのではなかったか?
今回の原発事故は、そのものが「原子力安全審査における不誠実」が一つの原因になったのは間違いない。私たちはここで「福島原発事故の教訓を活かして、どんな場合でも誠実な日本人であること」が求められており、さらに教育、医学、行政などの分野でより強く意識しなければならないのは当然でもある。
福島の汚染地帯にいる子供たちは「違法に滞在している状態」である。子供たちは法律を知らないが、教師は法律や規則を勉強して子供たちを守る立場にある。ここに上げた二つの例は、いずれも土壌汚染が1平方メートルあたり4万ベクレルを超える地域であり、学校の先生は法律の規定に従い、学校の放射性物質を除去することを東電に求めて子供を守る必要がある。
法律の制限を約40倍超える外部被曝をさせた文科省、法律の制限を約40倍超える被曝をさせた給食担当者、短い期間だから問題ないといって汚染された地域へ生徒を修学旅行に連れて行った校長先生・・・今回の福島原発事故は教育界の腐敗を示したとも言える.
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「原発は危険だから東京には作れない」といって、東京の電気を福島で作っていた。なぜ、福島の人がそれを受け入れたのだろうか? 東京にはA級国民が住んでいて、福島の人はB級国民だからだろう。お金を持っている東京の人は「電気は欲しいけれど子供は被曝させたくない」と言い、貧乏な福島の人は「ご主人様がそう言われるのだから我慢しよう」と言う。
この先生方の言葉を聞いて、私は福島の先生が子供たちに「被曝は受け入れなさい。ご主人様のご命令だよ」と言っているように聞こえる。「絆」という字がいかにも欺瞞に聞こえるのはその所為だろう。
被曝を避ける子供に「裏切り者、非国民、風評被害」となじる先生の姿は鬼にしかみえない。政府、マスコミも野蛮人に見えたが、実は福島の先生も野蛮人で、被曝を良しとするなら、仕方が無い。
しかし、残念だ。そんな日本に住んでいると思うと残念だ。今まで、なんで先生の言うことを聞き、新聞を読んできたのだろう・・・・・・
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昨日、「医師と被曝の限度」について記事を書いた.記事に対するご意見を医師の方からいただき、今、また深く考えている.医師、教師など社会的に尊敬され、また尊敬されなければいけない職業が危機に瀕していることは確かだ.
福島の保護者も先生も児童を被曝させたいなら、それもそれでよいのだろうか?
今、教育の本を執筆している.どう考えるべきだろうか? 何が起こって、また起ころうとしているのだろうか? 拝金主義の蔓延というそれだけだろうか? このことについて深い考察をすることもまた、将来の日本社会にとって必要なことだろうと思う.
「takeda_20120227no.433-(11:50).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成24年2月26日)