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専門職が立ち上がって欲しい(2)

専門職が立ち上がって欲しい(2) 実は、私の家は岩手県・一関のお米を食べていました

あるテレビ番組で私が「一関には放射性物質が降下した」と「事実」を述べたら、一関市長と議会から猛烈な抗議を受けました。一関市が抗議するのは私でなく、放射性物質を飛散させた東電(当て字で恐縮ですが、本当は「盗電」と呼びたいぐらいの気分ですが)と、一関の汚染を知らせなかった文科省や国交省と思います。

危険をお知らせしたので、感謝されると思ったら思わぬ反撃でびっくりしました。公的な活動も制限されましたが、それだけ一関市の人は震災や汚染で苦しみ、切羽詰まっていたのでしょう。

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ところで、私の家では一関の信頼できる農家の方から送られてきた汚染されていない(ベクレルの測定された)お米を食べていました。

今回の事故で東北の農家の方が苦しんだのは、「風評」ではありません。むしろ「風評」を創り出したのは、政府、自治体、そして東北の農業関係者でした。消費者はもっと素直で「汚染されていなければ食べたい」という気持ちであり、「東北の人を助けたい」という日本人だったのです。

本当の意味で「東北の人を助けたい」と思っている人を東北の自治体が裏切ったように私は感じます。日本人はそんなにダメな民族ではありません。

一関のお米が食べられないのではありません。ベクレルが測定されていないお米が「危険」だからです(もちろん1キロ40ベクレル以下です)。ものごとは「それを作る過程が問題ない」か、「そのもの自体が測定されている」ということによって「安全」になるのです。「それを作る過程で問題があるのに、測定されていない」のを無理矢理「安全」といって「風評」を作り出したのは自治体と農業の方だったのです。

一関のお米は実に美味しいので、汚染さえされていなければもちろん食べたいのは当然です。私たち食べる方が「汚染されていない」という確信を持つことができるのは、「農家の方が安心して食べることのできる農作物を作ろうという意思があり、汚染地域ではベクレルを測定している」という2つの条件が必要だからです。

法律で定められた被曝限度をねじ曲げたり、「政府が1キロ500ベクレルまで安全だと言っているから、それでよい。我々は自主的に決める力はない」という農業団体も問題です。「農作物が供給できないから、健康を損ねても良いから被曝限度を上げる」とした食品安全委員会のメンバーはさらに責任が重大ですからすぐ辞任し、原点に戻り、風評を無くすように努力してください。

私の知り合いの「安心して食べられる農作物」を目指してきたある福島の農家の方は生産をおやめになりました。安心して食べられる農作物を作ることができないからです。このような本当の意味でも農家の方は「被曝しても大丈夫。汚染された農作物をみんなで食べよう」というねじ曲がったキャンペーンで苦しむのです。

汚染を測定すれば、一関の農作物の10分の1も汚染されていないでしょう。そして信頼されていたはずであることを考えると、実に残念です。

でも、日本は本来、官僚が支配する国ではありません。善良で誠実な日本人の国です。農家の方がもっと意思を強くして、「目の前にお米が二つある。一つは汚染の心配のない鹿児島のお米、一つは10分の1だけれど汚染されている一関のお米。どちらを選ぶお母さんが日本のお母さん?」という問いをここでもう一度、考えてください。

日本人の農家らしい善良で誠実な農家になってもらいたいと思います。日本国は私たちのものです。原子力の通常予算(約5000億円)は汚染された農作物を全量買い上げても、その6分の1以下にしか過ぎません。農家が頑張れば測定して、汚染された農作物を通常価格で全量、買い上げることができるのです。

今こそ、大切な日本の食材を提供している農家の方、立ち上がってください! 消費者、子供を被曝させないでください。



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中部大学武田邦彦
(平成24年3月6日)

専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理

専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理

(まだ子供の被曝が止まりません。場所、焼却、セシウム再飛散、給食、先生の態度などいろいろあり、事態は複雑になっています。そこで、少し厳しい内容を含みますが、各専門家の方に私の見解を示して、子供の被曝を減らすのに是非、ご協力いただきたいと思うからです。)

福島県の医師ばかりではなく、日本の多くの医師が福島の子供36万人の甲状腺の超音波検査を担当しています。もともと、医師は普段からものすごく忙しく、労働基準法違反ではないかというぐらいに働いて患者さんの命を守っています。そのなかでさらに福島の協力をするのだから、それは本当に大変なことと思います。

さらに日常的に患者さんから被曝について相談されるので、医師は個別に説明しています。給食などからの被曝についてもできるだけ被曝を防ごうとアドバイスをしているのも医師です。


一部の医師が「国際的な勧告や法律で定めた基準など関係ない。1年100ミリまで大丈夫」などと言っていますが、このように被曝を減らすことに尽力している医師がほとんどであることもまた事実です。

このブログで私は「医師は国民の健康に関することについて、自由に発言することは許されない。医師という専門職は社会の合意を大切にしないと、医師に対する信頼性を失う」と再々、指摘してきました。特に1年1ミリと決まっている被曝限度を医師の判断で「法律違反するように」指導することは許されないと言ってきました。

これに対して多くの医師は賛同してくれましたが、「医師に辛すぎる」とのご批判もいただいています。ただ、私の子供も兄も、また甥も医師で私の身の回りには医師が多いので、医師の仕事の厳しさなどはよく知っています。でも、私のような教師、医師はやはり自らの限界を良く理解して決して社会から糾弾されるようなことをしてはいけないのです。

裁判官は人の命を左右し、医師は人の体を左右し、そして教師は人の魂を左右することがあるからです。その意味で、これらの職を持つ人は日本社会に残された「専門的な雰囲気を持った聖職」であることは間違いありません。

医療関係では医師は患者さんの被曝の限度を自分で決めてきました。それが少しルーズだったのではないでしょうか。それも含めて見解を示したいと思います。

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福島第一原発事故で、一部の医師が「被曝は危険では無い」と言ったことで、チェルノブイリでも実施した「国家のバスによる緊急避難」や「1年5ミリシーベルト以上になる地域の強制移住」などがされませんでした。

それなのに、福島36万人の子供の健康診断や、福島医大に被曝の特別治療部隊をそろえるなど、「安全だけれど危険」、「避難は不要だが、診察や治療は必要」というスタンスをとっています。

これはきわめて分かりにくく、「安全だ」といって避難させず、「患者を大量にでるのを期待している」と見えます。さらに「被曝を心配するよりストレスの方が影響が多い」ということで、「被曝させてストレスをため、さらに心理治療のチームを送る」というマッチポンプとも言うべき状態が発生しています。

医師が「レントゲンはとらないに超したことはない」という指導をしてきて、法律で「1年1ミリ」と決まっているのに、「1年400回の胸のレントゲンに相当する1年20ミリの新基準」を支持して「不安になる方が危険」というのもあまりに身勝手です。

今からでも遅くないので、医師会は「法律を早急に変えるべきという声明」と、病院のレントゲン室の標識と防護(管理区域の標識やレントゲン照射中に医師が別室にいるシステム)などを変更し、言っていることとやっていることの統一をとらなければならないと思います。

私は逆の方向に進むべきと考えます。医師は「集団の健康維持のための予防原則」をよく勉強し、「科学的に不明な場合は、十分に安全な基準を守り、科学的に明らかになった時点で規制をゆるめる」というこれまでの人類の知恵を理解した言動に出てもらいたいと思います。

同時に、福島原発関係で「1年1ミリ以上の被曝は問題がない」という趣旨の発言をした医師は、自ら非を認めて引退してください。福島医大は放射線関係の組織を解散してください。医師が自らの意思で判断できるのは医療行為に関わる被曝に関してだけで、原発からの被曝については医師はその権限外にあるからです。

医師の倫理を破っているのは少数の医師であることは確かですが、医師は専門家集団を形成していることによって職を全うしているのですから、このような危機のときに集団としての力を発揮してください。


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中部大学武田邦彦
(平成24年3月5日)

考える練習(3) なぜ、人は眠るのか?

考える練習(3) なぜ、人は眠るのか?

眠れない夜。絶好の「睡眠薬」があります。たとえば「人はなぜ眠るのか?」と考えてみます。

地球ができたとき、まだ地球が若くて元気だったので1日は4時間半だったと考えられています。それからさらに40億年の年月が経って多細胞生物が海の中に生まれた時にはすでに1日が20時間を超えるようになり夜も8時間ぐらいになっていたでしょう。

やがて陸上動物が活動し始めます。昼の活動中は老廃物が体の中に蓄積し、最初はすぐ肝臓などで処理したのかも知れません。でも、夜行性の動物は別にして昼に活動するものは活動できる時間をフルに利用し、どうせ活動できない夜にまとめて老廃物を処理するものが登場してくたことも容易に考えられます。

簡単に数字で示しますと、活動しながら老廃処理する場合は1時間に1.0しか行動できないとすると、1日の半分を活動し、1日の半分は寝ていて老廃物を処理するだけに使う動物は1時間に2.0の活動ができることになります。2倍の活動量ですから、「寝る動物」が「寝ない動物」より競争力があり、次第に「寝る動物」ばかりになったとも考えられます。

人間の睡眠時間はほぼ7時間ですが、4時間半が老廃物の処理、2時間程度が頭脳の情報の処理、そして30分ぐらいがその他の調整と考えられています。

かつて人間は毎日、畑にでて朝から晩まで力をふるい、あるいは家事に追いまくられて生活をしていました。その時の昼間の活動量は今の2倍はあるでしょう。そこで蓄積された老廃物を処理するのに4.5時間ですから、今では3時間もあれば十分と考えられます。

一方、頭脳活動の方はやや盛んになったとはいえ、かつては「天気はどうか?」、「不意に盗賊が襲ってくることはないか?」など考えることも多かったのですが、今ではスイッチ一つ、命令一つでそのまま動けば良いのですから、頭脳もほとんど使わなくなったと思います。それでも一応2時間程度その他の活動も含めて割り振ってみます。

そうすると{老廃物3時間+頭脳2時間}で5時間睡眠が適当ということになります。いずれにしても、現代ほど肉体労働が少なければ体の老廃物が蓄積することは無いのかも知れません。「泥のように眠った」と昔はよく言いましたが、体が疲れていると「バタンキュー」だったのです。

ところで現代人は昼間の老廃物が夜に残ることがあるのでしょうか? 食べ過ぎて消化にエネルギーを使う場合は別にして、健全な生活をしていたらもしかすると老廃物をとるために夜、寝る必要が無いかも知れません。

30年ほど前、ある実業団のテニス部の部長をしていたことがありました。ある時、キャプテンが並外れた体力を持っていて、練習中は若干老廃物がたまっている感じがしましたが、ベンチで休んでいるとみるみる回復していくのが判るのです。合宿などに行くと毎日3時間ほどしか眠らないのに、体の切れが変わらず疲労が蓄積しないのです。

その時、私は「ああ、活動中に回復する人もいるのだな」と感心したものです。人によって違うと思いますが、もしかすると「現代風の訓練」をすることによって活動中に老廃物を処理できれば寝るのは2時間ということになります。

さらに頭の情報を処理するのも最先端のコンピュータのように「活動量が減った隙に処理する」という並行処理を行えるようになれば、寝なくても良いのかもしれないのです。

ところで「眠る」というのはどういう状態を言うのでしょうか? 目をつぶってベッドで横になっているのは「眠る」とは言いません。意識がなくなり普通の意味で「眠る」状態にならないと眠ったとは言いません。

でも、体の老廃物を処理するなら、横になって目をつぶり体の力を抜いて「基礎代謝」だけにすれば、むしろ意識があるので体の老廃物の処理速度は速くなるでしょう。そして老廃物が処理されてから、おもむろに頭の情報処理をするために「眠る」だけで良いのかも知れません。そうすると「横になっている時間が5時間から3時間ほど」で、「眠る」のは2時間で良いということになります。

「眠れない」と悩むときには、まず第一に「考える練習」をして、それでもイライラするときには、「横になっていれば体は休まる。頭はどうでもよい」と思えば、不眠症も緩和されるでしょう。

ところで、アメリカ人90万人、日本人10万人(別々の調査)を対象にした睡眠時間の調査によると「睡眠時間7時間」がもっとも長寿で、短くても長くても寿命が短いとされています。

このような結果は何回かでているのですが、「睡眠時間が長い人はなぜ短命か?」という疑問があり、病気の人は睡眠時間が長いかも知れないということで、病気の人を除いた調査を行っても、同じ結果が得られました。そこで、どうも「眠っている時間」は代謝が少ないのでその間に細菌などの攻撃を受けるのではないかと考えられています。

・・・・・・すやすや・・・・・・
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中部大学武田邦彦
(平成24年3月5日)