押すということは押されるということ:対象の捨象 | 科学のために科学を科学的に笑うべし

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手技を使って人の体を押す際、押すことと押されることに区別はない、両者の一体感が手技の向かう先であろうという話を書きました。

では、上記の文章において、
押す相手・押す先から「人」(クライアント・患者・被施術者)という概念を捨象してみましょう。
人体というモノを含め、何かモノに触れるときは、どうあるべきでしょうか?
自明な答えが待っていることと思います。

逆に、人と、人以外のモノで、手技の対象物となった時の違いはどんなことがあるでしょうか?


参考:
捨象とは、ある概念のうちの具体的な部分を捨てることを言います。
具象を捨てると言い換えてもよいと思います。

捨象という言葉を、単に忘れるあるいは無視するという意味で使う人も多くいるのですが、
それは好ましい用法ではありません。

  (なぜなら、そうしてしまうと例えば、
  「捨象」の同意語が少ないので本来の捨象の概念を伝えるのに困りますよね。
  忘れる・無視するという意味で捨象という表現をする人は、
  普段の思考の中で捨象という作業をすることが少ない人なのではないかと疑ってしまいます。)