雑感1.「草なぎ逮捕」事件

酒は人の中の何かを壊す。
だから、酒の席では会話の潤滑油になる。酒の席でしか話せない本音というものも、ある。

ただ、人は一人でも酒を飲む。日頃の緊張から放たれるために。仕事の疲れをほぐすために。
オレも金曜日には一人で王将に行き、ギョーザを食べながら生を一杯だけ飲んでから帰った。
ほんの少し気持ちよくなったから、駅まで30分、のーんびり歩いて帰った。
最近見たテレビで太田光代社長が言っていた。「酒を飲まないと仕事が終わった気がしないの。」
社長は、一人でも午前2時や3時まで飲むそうだ。なんだか社長の言っていることも分かる気がする。

ただ、飲みすぎはよくないな、と思ったこのごろ。

ところで、なぜ、いろんなサイトでは「なぎ」だけがひらがななのだろうか。
「草なぎ」と出ている。丁寧なサイトでは、注意書きとして、「草なぎのなぎは弓へんに剪」と書いてある。

「彅」

それって↑のことじゃね?
この字難しいから?常用じゃないから使っちゃいけないから「草なぎ」と表記している?あるいは、単純に記事を書く人のPCに入っていなかった?

表記について単純に疑問に思いながら、そういえば昔オレも「いち川ひで行」と書いていたことがあったなぁと思い出した。
この場合は単純に、習った漢字から使っていくからこうなっただけなのだが。

地デジは、なんだかんだで予定日には完全移行できないと思う。

とりあえず、氏の早期復帰を願ってます。けっこう好きなタレントさんなんで。


雑感2.TV広告

土曜の夜。晩ごはんも終わって少しホッとしたかなって頃。
世界各地を非常に興味深く紹介しながらクイズをするその番組のCMは、今日見たところACだけだった。
公共広告機構。
ちょっと前は、とある企業のCMだけが流れる番組だった。

広告撤退。
不景気か、不祥事か。
なんだかリアル。そしてなんだかやはり違和感を感じざるを得なかった。
この気なんのき?気になる。

不思議を発見した土曜の夜だった
true

女性が若い女性に席を譲った時、プレママの「しるし」が目に入った。
座った女性は、オレと年齢が同じくらいか、少し若い。
その女性は、カバンの持ち手の付け根のところに、ちょこんとぶら下げていた。

「マタニティーマーク」
厚労省の旗振りで行われているものらしい。

座った女性は少し頭を下げホッとした様子で席に着いたが、それでもやはり表情は曇ったままだった。
きっと、つわりで気分が優れないのだろう。
きっと、その女性のお腹の中では、命の奇跡が少しずつ少しずつ育っているのだろう。
きっと、家に帰っても体調が優れず、辛いのだろう。



そんな時きっと、旦那さんは奥さんを大切に思っていて、だけど特にどうしたらいいのか分からず、ただただ優しくありたいと思うものだ。
そして、命の奇跡と、自分と、自分のパートナーが、かけがえなく大切に思えるものなのだ。
そして、自分に子供ができると知って、自分が生きていて、初めて自分が存在している意義を感じているのだ。
オレがいなきゃ、彼女がいなきゃ、お腹の中の子は存在しないのだ。


親のすごさを感じて、親のありがたさを感じる。
今まで自分で育ってきて、自分で道を切り開いてきて、そして今、自分の力で生きている気になっていたことに、
少し恥ずかしくなる。
でも、それ以上に、自分の両親とパートナーの両親に、ただただ感謝。
早く元気な「孫」の姿を見せてあげたい。

っと。っと。っと。



…お互いの両親には報告したのかな。
…お互いの友人には報告したのかな。
…それともまだ、ハッキリと確定したと言い切れる段階ではないのかな。



お腹の中で赤ちゃんを育てる世のプレお母さん達に、優しくありたい。
子供、それは宝だ。

宝物を、世の中みんなで大切にしよう。
そしてそんな宝物を内に秘めているプレママを、世の中みんなで守ろう。

マタニティーマークの認知が世の中に広くなって、プレママ達に優しい社会になればいいな、と。


思いながら帰路に着いた、そんな、ふとした一日。

今日も一日、お疲れ様。そして、ありがとう。
最近、土曜日朝刊に折り込んであるbeがマイナーチェンジをした。
昨日のトピックは、
be(青)…宮藤官九郎インタビューと、
be(赤)…特集 椎名林檎「歌舞伎町の女王」。

偶然なのか意図的なのか揃った若手向けの音楽ネタを、少し身近に感じた。


読むと、椎名林檎は、来月でデビュー11周年らしい。

11年前…街へ行けばどこへ行っても小室ミュージックが流れていた当時、彼女の登場は鮮烈だったろうと思う。
とはいえ、確かその前後はMISIA、Cocco、UAなど個性派女性シンガーが活躍していた時期でもあったはず。ギター系女性シンガーにも、既に川本真琴がいたと思う。

しかし、弱冠20歳の椎名林檎は、彼女たちとはまた違う空気を纏っていた。

当時16歳の私は、コンプレックスとプライドを抱えた多感な高校1年生。間近にイギリス短期留学が控えていた。
ドラマもバラエティも観ず、いつもラジオを聴いていたから、夜中23:55から流れる5分間のラジオ番組「椎名林檎の幸福論」ももちろん聴いていた。

デビュー曲、幸福論。

♪素顔で泣いて笑う君にエナジィを燃やすだけなのです。

♪君がここに生きてるという真実だけで、幸福なのです。

布団から顔だけ出して、ぼんやり天井を眺めながら、歌詞を聴いていた。

何も怖くないような、全てが怖いような、真夜中の子供部屋。

確かあの時私は、ふと歌詞に共感して、枕元のメモ帳に書き留めた。
そして、とても充実した気持ちで、その守られた空間で、ぐっすりと眠った。

毎年のことだが、4月1日になると生まれ変わるような気がする。
昨日まで苦しんできたことが、全てウソのような、そんな一日だ。

昨日まで20年下期ということで、期末の積み上げということで数字に追われる日々。それが今日になったら、昨日までやったこと(数字)の確認や締め、本部への報告作業でこれまた別の意味で大変。
昨日までは数字に追われ、今日になったらどこまで積みあがったか、数字を追う。
そしてまた明日からは、いつもの日々に。

なんだか、「今日だけは数字とかうるさいことは言わないから、キチンと昨日までの作業を締めてね。だけど、明日からは、ね。また、ね。よろしくね。」と言われているようだ。
今日は、エイプフリルフール。
ウソは言われていないけど、イヤでも本音がチラリと見える。

昨日まで必死になって「お願い」して、苦労して数字に追われて。
あの日々が、なんだかウソのようだ。
今まで8回の「期末」を経験したが、毎期毎期最後にはあんな生活。

そう言えば、今日から5年目の社会人ライフだなぁ。
前に、「仕事は5年でやめなさい」という本を読んだ。
奇しくも、元々ウチの会社にいた人が実体験を基に書いた本だった。

さあイティカワくん。「5年区切り」の最後の年だ。
いい意味で大きくステップアップしようじゃないか。

仕事も、プライベートも。
春、あったかい季節。
結婚式のラッシュがまたやってきた。
昨日20日、今日21日は二組、明日22日は先輩。
来月には東京で友人の結婚式だ。

昨日の二次会で、友人代表がスピーチをした。
「96を2で割ると答えは何ですか?」
と新郎新婦に問う。
「よんじゅう…はち?」と顔を合わせ、二人は答えた。
「正解です。48は、シアワセ。苦労(96)も二人で分けると、シアワセ。そんな素敵な夫婦になってもらいたいと思います。」
と彼はスピーチを締めくくった。
同い年の彼がこんなスピーチをするのも何だかおっさん臭いなと思ったが(笑)、それでもその場にいてとても心地の良いものだった。

………そんなスピーチをした彼は、去年の11月に結婚した。
彼の奥さんが、会社の同期で仲良くしてた子だから、オレもその時の式に行った。
そのときの彼らは、最高にシアワセそうな表情をしていた。
彼の仕事に着いていき、二人は名古屋で生活を始めた。

先月だったか、同期みんなで淡路島に遊びに行った。
その時名古屋からきた彼女は、驚くほど表情が暗かった。
「今日久しぶりにみんなに会えるの楽しみにしてたんだよー」と。
淡路島で遊んでいる中で、彼女はポツンと言った。
「旦那さまが仕事でほぼ帰らず、私は縁もゆかりもない名古屋で一人。寂しい日々だわ。」と。
それでもその時は皆と遊び、少しは気分もよくなった様子だったように見えたが。。。

昨日の二次会で、夫婦揃って出席していたその彼女の左手の薬指には、リングがなかった。
旦那さまの左手には、リングがあった。。。


苦労は二人で分ければシアワセだろうけど、二人にはもしかしたら危機的な溝があるのかもしれない。
旦那さんは仕事でどうしても忙しいだろうし、同期の彼女は見知らぬ名古屋の土地で不安も一杯。
苦労を二人で分けられず、それぞれが抱えてしまっている。
彼女は昨日、式に出席していた同期の女の子には、「もうダメかも」ともらしていたらしい。

結婚式というハレの舞台で、これから始まる二人の幸せな<理想>の生活を思い描く一方で、
結婚してまだ一年も経たない夫婦の<現実>を垣間見た。
奇しくも、昨日結婚した夫婦は、同じように旦那さんの仕事の関係で名古屋で新生活を始める。
新婦には、縁もゆかりもない名古屋だ。
この新郎新婦には、どんな<現実>があるのだろうか。

救いを期待するならば、共に名古屋に縁もゆかりもない奥さん同士、たまには会ってお茶でもしながら気分転換をして苦労を乗り切ってほしい。




昨日二次会の後時間があったので、映画を見て帰った。
ワルキューレ。
自分の<理想>(信念)を追い求め行動するものの、<現実>の厳しさの中に埋もれてしまう人間のドラマを観た。
「おきていることは全て正しい」(by勝間和代)と現実を受け止めるのも、大変な力がいることだ。
だが、どうしてもそれでも現実に納得ができない主人公が起こした行動の結末は、とてもとても悔しい現実だった。それもやはり現実。<現実>とは、本当に厳しいものなのだ。
でも、彼の起こした行動は必ず意義のあったものだと思う。
ハッピーエンドではないその映画を見て、自分の中に残ったものといえば、ただただ「悔しい」という気持ちだった。

この前見たオーストラリアというハッピーエンドものの映画とは、
ワルキューレは非常に、そして非情に対照的だった。

オレはハッピーエンドものの映画やドラマはあまり好きではなかったが、人がハッピーエンドものを好むのには理由があるのかな、と思った。
日々<現実>の中で生きているのだから、せめて映画やドラマの中では<理想>的な世界を見たいと思うのだろう。



<理想>と<現実>

相反するのかもしれないが、<現実>の厳しさを乗り越えなければ、<理想>の境地へは辿り着けない。
その厳しさを乗り越えるための苦労(96)をふたりで分け合うことで、その先にある<理想>(シアワセ、48)を掴むことができるのだ。



友人の結婚式と帰りにみた映画が、「同型反復」していた。
人生は、同型反復だ。(by YゼミのN先生の言葉より)
自宅の扉を開けると、中は真っ暗。
さっき、集合ポストに夕刊が入ったままだった。
推測が、確信になる。
私の方が、早く帰ったんだな。
珍しく思う自分に、呆れて、反省する。

せっかく早く帰ったんだったら、なんか「おかえり」的な
雰囲気を作った方がいいんじゃないかしら。

テレビの音を賑やかに鳴らすとか?
洗濯機が回ってるとか?
温かいお茶が入ってるとか?

そうだ、それだ。
とりあえずお湯を沸かす。

多分、もうすぐだろうな。
玄関の外灯に灯りを付けておく。

でも、廊下の電気は消しておかないと。
「またつけっぱなし!」って怒られちゃうし。

パソコンいじるだろうな。
電源を付けとこう。


10分もしないうちに、ガチャガチャ鍵を開ける音と
キィとドアが開く音。
機嫌良さそうに呼び鈴までブーと鳴った。

ただいまぁ。早かったんだね。
おかえりぃ。遅かったんだね。

世間一般では当たり前な家庭の会話が
我が家では結構貴重だったりするのです。

見ると、手に何か抱えている。

「じゃーん。」
なに、それ?お墓参り?
持ち帰っていたのは、黄色と白の厳かな仏花。

「こんな時間だから、SHOP99しか開いてなかったんだよー。
これでも、一番花束っぽいのを選んだんだけどな。」

一瞬、何のことか分からなかった。
が、カレンダーを見て、あ、と気が付いた。

今日は、私たちの「付き合い始めた記念日」だ。
今年で、丸7年。

旦那さんと一緒に鹿児島に出掛けた。
鹿児島駅でレンタサイクルを借りて、フェリーで桜島へ。
キラキラ光る海と青空に映える御岳を見ながら
魔女の宅急便に出てくるようなカーブを駆け抜ける。
本当に気持ちがいい。

途中、小学校があった。
創立129周年(!)を迎えるその学校-桜島東小学校-は、
屋上に堂々と校訓を掲げていた。

「頑張る・考える・助け合う」。

清清しくも力強い教えだと思った。
特に「考える」と「助け合う」が響いた。
“清く正しく~”といった校訓が世間一般的と感じるが、
環境の厳しい桜島だからこそ、小学生の時から
考えて、助け合って答えを見つけていけ、という道が必要だったのか。

そのマインド、今の自分には最高のサプリメントだ。

------------------------------------

今月半ばで、大きな仕事がひと段落した。
色々な犠牲もあったけれど
頑張った、と思う。

異動して9ヶ月、心から仕事を忘れて休んだ日は
あんまりなかった。
何故かというと、一つは、味方はいたけど、仲間を作らなかったからだ。
それは、おそらく自分がそうしてしまっていたのだ。
結構大切なことなのに、うっかりしていた!

ちょうど、来年度の準備でちょっとうまくいかなかったことも
あったりして、困惑していた。
しかも、解決方法が決められなくて、弱ってしまった。

こういう時は、社内の秘密の階段で3分ほど泣くようにしている。
先輩もトイレで泣くと言っていた。女子の、ちょっとした悩み対処法。

しかし、今回は幸いにも泣く前に
「分からないなら、聞けばいいじゃん」と気が付いた。

販売のことで分からなくなったら、販売店に聞く。
これが、短い担当員経験の中で得た答えだった。

気がついたら、階段から戻った傍から当該担当に許可をもらい
販売店へ訪店の予約を取っていた。
あの瞬間、本当に不思議なほど体中がほっとした。

所長さんが仰った。
「いいよ、話をしましょう、担当。お昼用意しとくからね。」

席に戻って、仕事を再開した。すっかり、元気が戻っていた。
とはいえ今日現在、まだ、答えは出ていない。でも、答えを見つけたいと思う。

仕事で悩んだら、逃げずに考えて、仕事の中に答えを探すしかないのだな。
助け合う仲間を自分で作っていけば、いいんだな。

桜島東小学校の校訓を、思い出した。
2月14日バレンタインデー。
今日は、胃カメラの日だ。

朝10:30から検診なので、それに備えて前夜は21:00までの食事。
当日は朝から水もダメ。飲まず食わずで病院へ行った。

胃カメラについては前日会社の人から
「オレもやったことあるけど二度とやりたくない。」
「しんどいよ~がんばってね。」
「そんなことないあんなのスッと行くで~」
などと言われており、なんとも微妙な心持ちだった。

とは言え何事も経験だ、と持ち前の前向きさで臨んだ。

病院に着くと、いつもと違う棟へ案内された。
控え室で、まず血圧を測る。
次に、胃酸を抑制する怪しげな液体を飲ませられる。
おそらく不味いものと思い、一気に喉に流し込んだ。
次に、胃の動きを止める注射をする。
「痛いですよ~」と看護士。
別にそんなこと言われなくても痛いのに、なんだか助長されて必要以上に痛く感じた。
次に、喉の動きを麻酔するために、仰向けになったまま口の奥に変なゼリーを入れられた。
これを飲み込まずになじませる。徐々に喉が痺れた。麻酔が効いてきた。
このゼリー。大変不味い。口に残っていたものを思い切り吐き出した。

さぁ。
奥の部屋に入り、胃カメラだ。
ベッドの上に仰向けになり、そのまま左を下にして寝転がった。
口に器具をはめさせられ、先生が七色に点滅する光ファイバーを一気に喉から入れてきた。。。

胃に到達するまでの詳細は汚い話になるし、書くのはやめておこう。
とにかく胃カメラが中に入ってくる途中は大変苦しいもんだ。

カメラが胃まで到達するとそれほど苦しくもなかった。
ただ、看護士と先生がコンビネーションで攻めてくる。
「はい膨らんで~」と先生が言うと、胃に空気が注入されてくる。
「はい閉じて~」と先生が言うと、胃の空気が抜かれる。
お腹が空いた状態と満腹になった状態を交互に繰り返され、無事に検診は終わった。

胃カメラは胃に入ってしまえばなんともないが、
その途中は大変苦しい。
また一つ経験値が増えてよかったと思う。

懸念されていた胃潰瘍の疑いは晴れた。
ただ、全体的に赤みを帯びているという。
あと菌の検査のために組織を取ったから、その結果を後日聞きに来るよう言われた。

検査後二時間は飲まず食わずでいなきゃいけないそうだ。
昨日の夜からもう15時間近くなにも食べてないし飲んでない。。。



家に帰り家事をしていたら二時間はあっという間に過ぎた。
まず食べたのは、おかゆ。
特に美味しいとは感じられなかったが、とにかく食べられる幸せを実感した。


自分の身体を大切にしよう。
そう思ったのだった。


でも結局あの死ぬほど痛い胃痛の直接的な原因が分からず。
またいつかやってくるのだろうか。恐ろしい。

まぁその時はその時だね。仕方ない。
胃を大切にしよう。飲みすぎないよう食べ過ぎないよう。

人生初の胃カメラ。本日は晴天なり。本日はバレンタインなり。
帰りに寄ったコンビニでチョコをもらって家に帰ったのでした。
2月11日祝日の夜。
明石で晩ごはんを食べた後は、タミコシに運転を代わってもらって楽させてもらった。
途中、第二神明から阪神高速に乗り換えた辺りで、変な違和感を感じはじめた。

「胃」だ。

なんだろう。

イヤな予感がし始めたと思ったら、その痛みはみるみるうちにひどくなってしまった。
楽しいはずの旅が、最後の最後で苦しいものとなってしまったのだった。
みるみるうちに余裕がなくなってしまい、息も出来ないほどに苦しくなってしまった。
助手席で苦しんでいる姿を見せてしまい、運転に集中しているタミコシに申し訳なくてたまらなかった。。。

この「胃」痛。
これは、言葉では表現しきれないほどの激痛なのだ。
どうも子供の頃から本当にたまーにだけど、この「胃」痛と付き合わなくてはいけない時があるようだ。
去年も一度あった。
本当に死んでしまうかもしれないと思うほどの激痛。
原因はよく分からない。
ただ何か食べ物が当たったのかもしれないし、でも吐くでもなく。
とにかく死にそうになるほどの激痛なのだ。

しかも今回は悪いことに、あまりの苦しみでハァハァ言っていたら、
なんと過呼吸まで併発してしまった。
意識が遠くなり、手指がしびれてきて、しかも胃は死ぬほどに痛い。
非常に最悪な状態で助手席で苦しみ続けた。
タミコシにお腹をさすってもらいながら、自分で吐いた二酸化炭素をもう一度吸って過呼吸の状態を落ち着かせ、なんとか駐車場から家まで歩いて帰ってこれた。

家に着くなりベッドに倒れこんだのだが、まだ死にそうな「胃」痛が
治らない。タミコシが懸命にお腹をさすってくれた。
救急車を呼ぼうかとも思ったが、徐々に状態は良くなり始めていたので、それはやめた。


そのまま夜を迎えたのだが、あまりの痛みに結局夜も一時間おきに起きて、
結局あまり眠れずに一夜を過ごした。
朝になっても治らないので、結局次の日は会社を休んだ。

楽しい旅が一転、非常に苦しんだ一夜となったのだった。

朝病院に行っていくつかの胃薬をもらったのだが、
念のため検査を、ということになり、2月14日に胃カメラを飲むこととなったのだった。。。

2月11日祝日。
最近お互いに忙しく、なかなかまとまった時間がゆっくり取れていなかったので、
この日タミコシと小旅行に行くことにしていた。

岡山の湯原温泉。車で二時間半。
手軽に日帰りで行ける範囲内で探していた。
車での旅は、とても好きだ。
のんびりしながらも、音楽や会話、そして流れる景色を楽しみながら目的地を目指す。
今回は、初めて中国自動車道でかなり進んでいった。
いつも岡山・広島方面へ向かうときは、瀬戸内海寄りの山陽自動車道を使うからだ。
今回はさらに、途中からは米子自動車道に乗った。
目的地からもう少し進めば、米子。島根県だった。

湯原は、とてものんびりとした温泉街と行った感じだった。
予約していたホテルのオーナーがとても素敵な方で、
色々なアンティークや、古ーいオルゴールをコレクションしていた。
お昼ご飯の時には、そのアンティークオルゴールを鳴らしてくれたのだが、
とても重厚な音に、とてもオルゴールとは思えないほど豊かなものに思えた。
おかげで、日々仕事で神経をすり減らしている1Riversには心地よく染み入った。

部屋でゆっくり昼寝をした後お風呂を借り、ゆっくりと時間を過ごした。
その後は二人で下駄を借りて、温泉街をのんびり歩いた。
地元の名産店や、天然の混浴場を見たり、ぶらりと入ったお店で
スイーツを食べたり、手作りバーガーを食べたりした。
そうしてホテルに戻った。
ちょうどその日からその温泉街では、キャンドルライトアップが開催されるとのことだったが、
帰路もあることを考え早めに帰るプランにしていた為こちらは堪能できず。
オーナーが非常に残念そうに見送ってくれた。
また機会があれば来よう。

岡山からの帰りは、明石で海の幸でも食べて帰りたいとのことで
明石経由にしたが、到着した時間が遅すぎて、残念ながら海の幸は食べれず。
結局こぢんまりとした洋食屋で、ご飯を食べながらそこの店主と一緒に
日本代表対オーストラリア代表のW杯予選を見たのだった。
結果はご存知の通り引き分けとなり、なんとも中途半端な締めになってしまったのだった。

しかし、楽しいはずの旅の終わりには、さらなる悲劇が待っていたのだった。。。