映画 「 レヴェナント: 蘇えりし者 」 2016年 | 半兵衛のブログ

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映画やドラマ好きなので映画やTVドラマのレビュー、ビートルズ関連の曲紹介や、古い洋楽ロック、気になるJポップスのレビューをしています。ペタは見ません、いいねを中心に訪問しています。

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

脚本:マーク・L・スミス(英語版)
撮影:エマニュエル・ルベツキ

原作:マイケル・パンク(The Revenant: A Novel of Revenge)

出演者:レオナルド・ディカプリオ/トム・ハーディ

音楽:坂本龍一
おすすめ度 ★★★☆☆65点 実話の大切な部分を改変しているので微妙ですがディカプリオの迫真の演技は必見!

お子様:熊に襲われるシーンが残酷なのでトラウマになるかも。

 

<ストーリー>

アメリカ西部の原野、ハンターのヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は狩猟の最中に熊の襲撃を受けて瀕死(ひんし)の重傷を負うが、同行していた仲間のジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)に置き去りにされてしまう。かろうじて死のふちから生還したグラスは、自分を見捨てたフィッツジェラルドにリベンジを果たすべく、大自然の猛威に立ち向かいながらおよそ300キロに及ぶ過酷な道のりを突き進んでいく。 シネマトゥデイより

 

◆鑑賞前のあると便利な豆知識

1822年、『ミズーリガジェット』紙と『パブリックアドバイザー』紙にウィリアム・ヘイリー・アシュレー将軍の名で募集広告が載る。「毛皮貿易を目指しミズーリ川を船でさかのぼる探検隊の参加者100名公募」この募集はアシュレーとヘンリーが創設したロッキー山脈毛皮会社(英語版)の仕事を請け負う罠猟師を集めるためで、この会社は1822年から1825年にわたり当時の北アメリカ西部の未開地でなんどか大掛かりな罠猟をしている。wikiより。

 

映画中での説明がなかったのですが、これはインディアンの土地に無断で侵入し、インディアンの食料であるバファローなどを殺して毛皮にして持ち帰るという毛皮会社の仕事です。当然生活を脅かされたインディアンはやめさせようとしています。

当時月収10ドル程度ですが、ビーバーの毛皮の帽子が欧州で高値で取引されていて一匹、2匹捕まえると月収ぐらいの収入になったらしいです。

 

 

感想(ネタバレを含む)・・・作品鑑賞後みてね

 

この作品はディカプリオが初受賞という事で、おめでとうの意味を含めて鑑賞しました。

前知識はその受賞のみで、ほぼ前知識が全くない理想的な状態での鑑賞となりました。

 

見終えた直後感想としては、映像はめっちゃ綺麗で、極寒の中での撮影での役者根性は凄いと思いましたが設定のリアリティーが無い感動しづらい作品でした。

 

鑑賞後にいつものパターンでいろいろ調べる事にしました。

するとまず驚いたのが、ヒューグラスが実際の人物でありその伝記小説が元になっていること。米国では有名人らしいです。

音楽を担当したのが坂本龍一さんだったこと。

 

◆実話

グラスは意識を取り戻したものの、重傷でひとり取り残され武器も旅の道具も盗まれたと気づく。片足は骨折、さらにアメリカ領でいちばん近いフォート・カイオワまでミズーリ川沿いに320キロ。折れた足に添え木をしたグラスは仲間が棺おけ代わりに体にかけた熊の皮を体に巻きつけると、這って進み始める。骨にまで達した背中の傷が膿んでただれると壊疽 (えそ) にむしばまれないよう、腐りかけの倒木にもたれて傷の膿んだ部分をウジがすっかり食いつくすのを待った。wikiより。

 

東京から320kmと言うと大体宮城県に到達する距離になりますが、それを骨折した足でたどり着いた事になります。追い続けたインディアンも凄いですね。

 

◆実話との違い

気になるのが、実話を元にしているので実話との違いです。

実話を都合よく改変してしまえば実話の意味が無くなります。

・ヒューグラスには子どもがいなかった。

・悪役の名前はフィツジェラルドではなくフィッツパトリック。

・熊を倒したのは一人ではなく2名の狩り仲間の助けがあった。

・劇中では駐屯地に戻ったヒューグラスはすぐさまフィッツジェラルドを追いかけて行った事になっているが、実際には、傷が治り疲れを癒やしてから。

・フィッツパトリック(フィッツジェラルド)は陸軍兵士になっていたので兵士を殺すことは重罪なので復讐をあきらめた。

・実際の死はフォート・ユニオンの駐屯地で仕事を見つけ、兵士たちの食糧を獲りに出かけた1833年の冬、イエローストーン川の近くでアリカラ族と遭遇し落命。

 

◆家族の物語にすり替えた

最近シン・ゴジラで話題に上がるのが好き嫌いが別れるポイントで、家族愛が描かれていないから嫌いという意見です。

物語に感情移入させるためにハリウッド映画がよく使う手、家族愛。売るためのご都合主義以外の何物でもありません。ハリウッド映画に毒された人びとが、それらをきっぱり切り捨てきった映画「シン・ゴジラ」を批判しているのです。

 

本当の復讐の動機は瀕死状態のグラスがフィツジェラルドに置いてけぼりにされ銃を奪われたことが復讐の動機だったのですが、監督はそんな陳腐な復讐劇じゃ動機が足りないと、架空の登場人物である息子を登場させ、ハリウッド映画で喜ばれる家族愛にすり替えてしまい、そもそも復讐劇であるにもかかわらず、その根本である個人の復讐から息子を殺された為の復讐に変えてしまい、インチキ作品にしてしまいました。

映像にいくらリアリティーがあっても話自体が作り物感がすごかったのはこのためでした。

復讐自体もこの作品では成し遂げられますが、実際には兵士になったフィッツジェラルドを殺すと重罪になってしまうので、自分の身に危険が及ぶとなると、きっちりと復讐をあきらめてしまいましたので、映画のクライマックスシーンも完全な作り物で残念です。

 

◆超人的な回復力

流石にあれだけ熊にやられた(全身噛み傷、引っ掻き傷、骨折はもとより、喉笛まで穴が開いている)となると仮に命が助かっても、骨折した足で何度もインディアンの追跡から逃れ、320kmも離れた駐屯地についた途端にフィッツジェラルドを追いかけ死にそうな病人なのに格闘・・・あまりにもリアリティーに欠ける演出でしたね。

 

◆インディアンの恐怖

インディアンの登場映画となれば、先住民族としてのインディアンの描かれ方も、気になるところです。なにしろ、アメリカは先住民族であるインディアンを大量殺戮して奪い取った土地です。しかし、いわゆる西部劇ではインディアンは悪者扱いです。この作品でもインディアンの恐怖はしっかり描かれていましたが、白人の残忍さは描かれていないような気がしました。

 

白人目線で描かれ、売るために家族愛にでっち上げインディアンの恐怖を描き先住民族を悪者にしてしまった罪深い作品で、結局は、売るために都合よく美談にすり替えてしまった商業主義主体の作品なので、好き嫌いはそれを受け入れる事が出来るか出来ないかです。

 

◆熊に襲われるシーンがすごすぎる

ここ場面CGなのはわかっていますが、現実とまったく区別つかないほどの特撮技術で、米国の凄さが分かります。
よく、山で熊に襲われるという話を聞きますが具体的にどのように襲われているのか見るのは初めて・・・圧倒的な力の前に見るも無残に押し倒され、爪で引っ掻かれ、噛みつかれ何も出来ないままやられまくり、それでも尚、執拗に攻撃してくる・・・

一旦攻撃がやみ少し熊が離れたところ、力を振り絞り銃をやっと手にし再度向かってくる熊に銃撃を浴びせますが、デカすぎる熊に致命傷を与えられず再度攻撃され、押し倒されながらもナイフで果敢に反撃し熊はヒューグラス(ディカプリオ)に覆いかぶさったまま絶命・・ヒューグラスもほぼ絶命状態・・・

プーさんに慣れてしまい熊が怖いものだと知らない子供たちが見たらショックを通り越してトラウマになるかも知れません。

 

◆演技

作品の善し悪しは別にして、セリフが少ないヒューグラスを演じなければならなかったのですが、渾身の演技でした。ベジタリアンのディカプリオがバッファローの肝臓を食いながら吐きまくるシーンや-20度の極寒のでの川に入りるシーン、実物の馬の体で寝るシーン、インディアンから逃げ惑うシーンでのほぼスタント無しで繰り広げられるシーンなど命がけとも思われるシーンの数々。今まで何度もノミネートされては夢と散った賞をとうとう受賞することが出来ました。あの穏やかな表情とは裏腹に想像もできない程の闘志が宿っているようです。日本の役者はサラリーマンすぎるので見習って欲しいです。まぁここまでヤルと逆に怖いぐらいですね。

 

◆撮影監督:エマニュエル・ルベツキ

3年連続でのアカデミー賞受賞の快挙を達成しました。

今回での撮影では、マジックアワーでの撮影にこだわり一日で撮影できる時間が極端に減ったそうです。

マジックアワー:日没後に数十分程体験できる薄明の時間帯を指す撮影用語で、光源となる太陽が姿を消しているため限りなく影の無い状態が作り出される状態となり、色相がソフトで暖かく、金色に輝いて見える状態 wikiより

 

◆その他

私の場合は11月にキャンプに行ってシュラフ2枚重ねて寝ましたが、あまりの寒さで寝られなかったのを覚えています。あの人たちは雪が積もっているのに、平気で川に入りその濡れた体でなぜ、平気で寝ることが出来るのだろうか?根本的な体の構造がちがうようですね。

 

他の人のレビューを読むと、実際にあった実話の部分より監督によって作られた虚構の部分に感動する人が多いように感じました。つまり、リアリティーを無視して家族愛に仕上げ超人的な回復力を持たせた事が監督の思惑通りの反応を示してくれた事になります。