映画 「マディソン郡の橋」 1995年 | 半兵衛のブログ

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『マディソン郡の橋』(マディソンぐんのはし、原題: The Bridges of Madison County)は1995年のアメリカ映画

監督・制作 クリント・イーストウッド
原作    ロバート・ジェームズ・ウォラー
出演者   クリント・イーストウッド メリル・ストリープ

おすすめ度 ★★★★☆ 不倫は悪なのか?

<ストーリー>
1989年の冬、フランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリープ)の葬儀を出すために集まった長男のマイケル(ヴィクター・スレザック)と妹のキャロリン(アニー・コーリー)が母の手紙と日記を読み始める場面からストーリーがはじまる。「火葬にしてローズマンブリッジ(Roseman Covered Bridge)から灰を撒いてほしい」というもので、平凡だと思われていた母親の激しい恋を知ることになる。 Wikiより


人は幸せになりたいと思って生きています。

しかし、人は失敗を重ねながら成長していきます。

もしかしたら、家庭での役割をこなしているだけで幸せだと思っていませんか?

結婚後に重要な人があなたの前に現れてしまったらあなたはどうしますか?

本心が求めるものがそこにあるとしたらあなたならどうしますか?





最近ベッキーの不倫騒動が何かと話題になっています

私は母子家庭で、離婚というものがもたらす結果として、どれだけ、子供が痛手を負うか、身を持って知っています。不倫=悪 だという考えは当然ながらもっていました。
不倫という言葉に嫌悪感さえ感じます。

映画「マディソン郡の橋」をみて、何故倫理的に悪いことだとわかっていても何故人はそれに向かっていってしまうのか?その気持が分かるようになりました。

全てをかなぐり捨ててまでもそこに行きたい気持ちは、そこには今よりも大きい愛の力があると感じるからにほかなりません。

離婚すれば、法律的には、養育費の問題や慰謝料が発生しますし子供に悪影響をあたえる事も事実です。しかし、人は幸せを求めて生きる生き物なのです。

もちろん火遊びとしての不倫は断固糾弾しますが、もしかしたら人生を左右する出会いがそこにあったとしたならば? 離婚して再婚するにしても、選択肢として不倫という入り口しかない場合もあります。

毎日喧嘩ばかりして、お互いに愛し合っているとも思えない。一生不幸のままでありつづける結婚生活よりも、お互いに幸せになるために離婚するのはあり得る選択肢です。

たった一度の人生をどうやって生きるのか?それは本人が決めることです。




ネタバレを含む感想






フランチェスカは一見して幸せな家庭の主婦のように見えます。
夫も精一杯、彼女を愛したでしょう・・・
しかし、彼女にとってはロバートとの4日間はかけがえのない思い出だったのです。

何故ならば、彼女は、主婦であり、妻であり、母親であり、様々な役割を家庭生活でこなしているわけですが、それは決められた役割をしているだけで、その前提条件として役割をこなしている人物がいるわけです。
最も大切なその部分は決して満足できなかったのです。
そして、ロバートだけがひとりの女性として愛してくれたのです。

追伸
書き方が、挑発的な文章で悪かったと思いますので、反省しないといけませんが、家庭生活の中で、例えば、「主婦として君は完璧だし、料理もうまい・・・だけど、僕が本当に愛してるのは君という一人の女性なんだ、そして僕にとっては、生涯をとおして、守るべき、かけがえのない存在なのだ」と言ってあげるだけでも、きっと、奥さんはキュンとくるかもしれません。
決して不倫を推奨しているのでは無く、本当に奥さんは幸せなのか?何を求めているのか?夫婦生活をもう一度考えなおすことの出来る貴重な作品なのだとおもいます。