ダウト〜あるカトリック学校で〜 2008年アメリカ映画 その3 | 半兵衛のブログ

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ダウト~あるカトリック学校で~ 2008年アメリカ映画 その3


この映画はある疑惑に対して答えを探る映画ではなく、その答えは神父と黒人の子供のみが知っており、視聴者には決して分からないように作ってあります。
なぜならば、この映画の一番重要なポイントはその事の有無よりも、その疑惑に対してとったそれぞれの行動を見て何がが正しかったのかを視聴者が考える事なのです。

エンターテイメント性皆無であり、全編会話だけで成り立っています。


●登場人物
校長 シスター・アロイシアス(メリル・ストリープ)
神父 フリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)
若い教師 シスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)
黒人の母親 (ヴィオラ・ディヴィス)


●物語
1964年ニューヨークにある厳格なカトリックの学校に、初めて1人だけ黒人生徒を受け入れました。
校長はシスターの報告により牧師と黒人生徒ドナルドの間に性的な関係を結んだのではないかという疑念を抱きだします、やがてその疑念は強烈な敵意に変わって行きます・・・


●時代背景
ケネディ大統領暗殺やキング牧師の公民権運動やビートルズに代表される若者文化の台頭等により古い価値観が壊され新しい価値観が生まれようとしている正に激動の時代。
厳格な戒律を守るカトリック教会にも時代の波が押し寄せ、聖職者たちの“閉ざされた世界”をも変えようとしていた。


----------以下ネタばれ---------------------------------------------------


●何もかも正反対の校長と神父


<校長 シスター・アロイシアスの人物像>
古い時代の保守的象徴としての人物像が描かれている。
強い信念をもち、厳しい規律を課し曲がった事を決して許さず、嫌われる事を恐れない孤高の女性、独裁者でありながら情熱や高潔さを秘めかつては旦那がいた過去を持つ。
神の意に沿う行為をなす為には、神より遠ざかる手段をとることも辞さないという考えを持つ。
食事:厳格で質素 会話に笑いはない。
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<フリン神父の人物像>
新しい時代の革新の象徴的な人物像として描かれている。
冒頭の説教からも分かるように、知的で雄弁である。
寛容性があり優しくどんな生徒からも好かれている。
爪は長くても、きれいにしてさえいれば良いという合理的な考えをもっている。
食事:ビールを飲みステーキを食べ、煙草を吸い、快楽的な性格が伺える。


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<シスタージェイムズの人物像>
疑うことを全く知らない、純粋な女性
人を疑うのは神様から遠ざかる事だと思っている。


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校長は悪い事を見つけ正そうとする。それは校長にとっての正義です。
悪い事は目に見える事だけではなく、鼻血をだして、帰宅した生徒のことを「彼は授業をサボるためなら自分の足に火をつける子供」だといい、疑うことを知らないシスター・ジェイムズに純粋過ぎると忠告します。
すなわち、悪だくみを知る事が重要であり、そのためには頭から疑って考えるのが彼女の基本的なスタンスです。


冒頭の神父の説教で、「疑う」ことを題材にした説教は、実は校長個人に向けて発した説教です。
あまりにも生徒たちを疑ってかかる校長に対して、彼は宣戦布告したといえます。
説教の中で、「苦しみを共有できず、一人で苦しむ女性はつらい」と、暗に校長のつらい立場をのべました。

そして、自分のことを批判されていると敏感に察した校長は敵意を抱き、食事の席でシスター達に日曜の説教は「何を意味していたか?」を問いかけ、不安を感じている事を告げ、神父に対して用心するように言いました。


降誕祭の打ち合わせで、楽しいからポップなナンバーを入れようと「雪だるまのフロスティ」を提案しますが、校長は「異教徒の歌で放送禁止にするべき」だという・・突然メモを取り出した神父が説教のテーマを思いつく、そしてそれは「不寛容について」だと言う・・・つまり、説教のテーマは校長に向けられている事がここで明確になります。


校長は黒人生徒の母親を学校に呼びつけ、神父がもしかしたら誘惑をしたかもしれないと打ち明ける。


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しかし、そこで、意外な事実が浮かび上がる。
それは、ドナルドの神から与えられた「性質」です。
校長はそのことでさらなる確信をし、神父を追い出しドナルドを退学させようとします。
母親は、この学校に入学した事情を説明し、父親からも生徒からも嫌われる息子にたいして、神父だけが気にかけてくれ、時間も割いてくれる、そして将来への道を示す教養のある優しい人であるから、そこで何があったにせよ、卒業までそっとしてあげてほしいと懇願します。


校長室に戻った校長と神父のやり取りがクライマックスです。

(この場面省略)


結局神父は礼拝で別れの挨拶をすませこの神学校を去る事になりますが、神父は別の神学校へ移り主任司祭へと昇格してしまいます。
それは、カトリック教会がフリン神父の功績を認め、さらに教会の礼拝で雄弁に語りかける有能な聖職者として再評価したに他なりません。


兄弟の看病から戻ったシスター・ジェイムズはかつてフリン神父と二人だけで話したベンチにて、今度は校長と二人きりになります。そして留守の間のいきさつを聞き、校長がフリン神父を追い出した事を確かめ 「前の教会で前歴があった」という嘘をついたことを責めます・・・・・校長は「悪を駆逐する為なら神から遠ざかることもあるその罪は償います」と言いながら、十字架をに手をやります。

まさにこの瞬間、シスタージェイムズが神であり、罪を告白するひとりの人間の姿がありました。

その姿は、まるで、校長がシスタージェイムズに”告解”をしているようにみえました。

そして、校長は感極まり 「疑いが・・・言いようのない・・・疑いの気持ちが・・」といい泣き崩れます。

かつてのフリン神父の説教で「苦しみを共有できず、一人で苦しむ女性はつらい」と言われましたが
シスタージェイムズに告解することで、ひとりで悩んできたことへの重荷が解けたのです。


ここでで映画は幕を閉じます。


この「疑いの気持ち」とは一体何だったのか?

私の解釈は、自分がしてきたことへの"疑念"だと思います。


結果的に思い通りに神父を学園から追い出し、全てが丸く収まったように思えますが
「我々は、あまりよく眠ってはいけないのかも」の言葉の通り、実は眠れなくなってしまう程になやんでいる事をしめしています。
自分のとった行動は本当に正しかったのか?
戦っている時はそれが正義だと思い無心であったが、
もしかしたら疑いを持ち始めた動機は進歩的で人気がある神父に対するねたみだったのでは?
そして、神父を追放したが残ったものは何だったのか?
革新は実行されず、保守的な自分の考えが今でも学園全体を支配し何一つ変わっていない。
「悪を駆逐する為なら、神から遠ざかる事もある」と言ったが、神は嘘を望む訳もなく、ただその事に対する償いだけが残ってしまった。


●十二人の怒れる男たちとの共通点
12人のは、状況証拠がそろって、目撃者もいる、しかも犯人はスラム街のワル
12人の陪審員たちは、みんな、黒だと思っていた、ところが「5分で人の命をきめてそれが間違っていたら?」彼の提案で1時間だけはなしあうことに・・・
しかし、徐々にいろいろな事が分かってきて、最後には全員が無罪で一致する。
曇った眼鏡で人を判断すると、真実は見えないという映画でです。


●似た映画

天使にラブソングを・・・(コメディー) お勧め度★★★★☆ すごく楽しいよ!

厳格なカトリック学校で、ハチャメチャな主人公が先生となり、シスターや生徒たちの価値観をつぎつぎに変えていく・・・


●演技
メリルの演技はもう、すごいの一言(過去アカデミー賞16回ノミネート)
猜疑心の塊となった校長の存在感がこの作品の全体の暗いイメージをつくっています。
とりわけこの作品は、81回アカデミー賞で主演女優賞・助演男優賞・助演女優賞(2名)主要出演俳優が全員ノミネートされるという快挙を打ち立てました。
これだけ見ても、この作品の売りは演技である事が分かります。



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