The life is time killing till I die. -87ページ目

Slow~Slow~Stop~Slow

今日は、ダメになった囲いの木を、薪にするために適当な長さに鋸でカット。
半端なく腕だけ酷使。

途中で投げ出した。

そして何年ぶりだろうか、昼寝。
結構寝た。

田舎だからできるんだよなぁ。
もったいなさすぎる時間の使い方。

起きたら両親はそれぞれ飲み会だって。
何もない俺はアッシー。

食うあてがなくなって二日続けて親戚の居酒屋。
エプロン渡されて手伝わされた。

偽マスター(風呂上がり)の出来上がり。

といってもそれほど働いてないけど。
報酬は夕飯とスペアリブ。
車だから酒飲めないのが辛い。

こんな生活も今日まで。

明日は夕方には東京に戻る。
シフトチェンジ。

シフト・ザ・フューチャー。

異文化

今日は朝から全長7~8メートルくらいの丸太を担いで運んでを繰り返し、極限的な肉体労働をさせられた。
でも日頃の運動不足を解消できたのではと思う。

多分。

そして、昼前くらいになって親戚の居酒屋へ行った。
うちの街に英語を教えに来ている外国人(ラッセル)がその居酒屋の常連になってて、今回は彼の両親が訪れているということで、まぁ通訳みたいな役割で、呼ばれた。
海外旅行程度しか喋れませんが何か。
ラッセルも日本に来ているわけだから、それなりに日本語喋れるからいいんじゃないかと思うんだけど。

ただ、店のマスターは、ビートルズは殆ど歌えるのに、英語が全然ダメだし、奥さんに至っては、日本語で突き通そうとするし、ラッセルが凄く大変みたい。
だから、僕の拙い英語と、ラッセルの拙い日本語で、巧く意思疎通を図ると、こういうわけだ。

で、なんで親戚の店に来たかというと、だ。
着物で有名なウチの街は、今日「きものまつり」があったから、ラッセルのママに着物を着せてあげようということになって、脱サラ前は着物屋に務めていて、今も着物を着ている奥さんに着付けてもらうためにやってきた。
恰幅のいいママだった。
なんかこれぞアメリカ人ていうくらいのアメリカ人だ。

髪も結って着物着て、みんなできものまつりへ行った。
ちなみに着物を着たのはラッセルママとマスターの奥さんだけ。

実はウチの街は、今日成人式をする。
だから新成人も振袖を着て街中を闊歩している。
今日はそれが自然な日。

やはり外国人が着物を着ているのは珍しいのか、ラッセルママはカメラマンの標的になっていた。

そして、やっぱり日本だからということで、遅めの昼食は寿司(回るほう)。
でも内陸出身の彼らは魚はおろか生で食べる習慣がないみたいで、ママは全然食べなかった。
パパはなかなかのチャレンジャーで、いろんなネタに挑戦してた。

で、ママはサーモンで、パパは、げそサラダの軍艦巻きがまぁそれなりにお気に召したようだ。

とりあえず、ラッセル(地元の人は発音そのまま「ラソ」って言ってる)は、イケメンでした。
話も割かし面白いし、多分僕が地元じゃまだ喋れるほうだったみたいで、仲良くなれた。

やっぱ英語必要。
絶対そっちのほうが人生楽しくやれる。


ラッセル親子と別れてからは、地元の友達と河川敷でバーベキュー。
何も考えず莫迦やってられるから、気が楽。
単純で楽しい。
自分の土台を再確認した気分。

で、今日は大学の友達から電話がかかってきたんだけど、思わず方言で喋ってしまって、「は?」みたいな反応された。
ごめんなさい。

まぁなんだろな。
やっぱ今日一日で、いろんな文化があるなって思った。
アメリカは勿論そうだけど、地元のゆったりとした空気と、東京の一分一秒感。
会社から最終面接の電話まで来たしね!

どの側面からみても自分は自分。
だけど、見る角度によって全然違う自分が見えてくる。

でもメインは東京かなって思って、逆ホームシックな気分も否めない。

死生観

普段、「死んじゃえばいーのに」とかよく使う。
まぁはっきり言って最悪な一言だ。

勿論、こんな言葉は死なないという前提があるからこそ口にしてしまう。
だから心底死んでくれなんて思っちゃいない。
むしろ生きてはいてくれたほうがありがたい。

ただ、「死ぬ」なんて軽々しく言っちゃいけないんだよね。
「死」ってものの、切なさとか、はかなさ、尊さ、なんてものを感じたことがあるのなら、言えない。

これまでに、やっぱ自分もそれなりに葬式とかあって、それなりに死と向き合ってきた。
そんな身近な状況においては虚無感みたいなものが僕を襲い、いないという事実が悲しくさせる。

それより、普通のテレビドラマで誰か死ぬほうが、なんだか胸にくる。
感情移入しやすく作られているからだと思うけど。
またそれが嫌い。

ドラマは死を美化する。
しすぎる。
生命力を振り絞っていて、非情で。

僕が見てきたものは、もっとあっけない。
衝撃はあっても感動はない。
もっと自然的で、もっと一般的で、もっと普遍的なもんだ。

つまり極当たり前なもの。

少なくとも僕はそう思っている。
だからこれまで葬式で泣いたことや感情が昂ぶったことが全くない。

「死んじゃえばいーのに」とか言って何らかの負荷がかかって死んじゃうのはイヤだけど、勝手に死んじゃったらしょうがないと思うだろう。
とはいえ近しい人が亡くなってしまったら辛いもんがあるだろうけど。

僕は、今死んでしまってもいいと思って日々生きている。
自然の摂理だから。
全然未練とかないし、多分未練がましいことを思う暇もないだろうし。
ただ、命が消滅するという事実に恐怖を覚え、また、死にゆく過程がイヤだから死にたくないと思うだけだ。

だから、みんなは僕がいなくなってから逝ってくれ。
感情を無視した、儀礼的な葬式には出たくないし、息ができなくなるくらい胸に込み上げるものがあって辛くなるのも避けたい。

そうさ自分勝手さ。

そんなの不可抗力だから言えること。
そうなるとは限らないから言えること。


とりあえず、今は今で、今までで一番の今だから、それはみんなに感謝します。

おばさんはどかない。

おばさんはどかない。

猪の如く、進路をずらすことができない。

狭い通路ですら、譲り合いの精神を持たない。
今日僕は、重たいスノーボードを担いで歩いていたのに、ちゃんと肩を狭めて進路を譲った。
だけど軽くぶつかってしまい、おばさんから思いっきり不愉快な顔をされた。

お前もちょい端っこ歩こうとしてたら当たらなかったんちゃうんかい?
ちっ。

おばさんはどかない。
自転車に乗っていると、なおどかない。

街中を、縦横無尽に直進する。
お前は飛車か、それともスーパーマリオの弾丸か。

角を曲がるときも、かなり見切りで突っ込んでくる。
危ない。

阿佐ケ谷はそんなおばさんだらけの街だ。
デンジャラス阿佐ケ谷。

そんなこんなで、今は実家に戻る途中、新幹線の中。
時間がなかったために雑誌を買えなくて、暇だ。
しかも今は東京と上野の間で緊急停車中。

もしかしたら、もう一回、今日はブログ更新するかも。

自分リマスタリング

筋肉痛は続くよどこまでも。
あー痛い痛い。

あーいたい。

逢いたい。
今日はちょっと淡い恋物語を思い出し、ちょっと切なくなりました。

でもそれはそれ、これはこれ。
気にしないでいてくれれば良かったのに。

30℃の猛暑を迎えた5月1日の東京は、慌ただしかった。
予期せぬ夏の寄り道に。

このゴールデンウィーク、フリーで良かった。
自分の時間がありがたい。
久しぶりの解放に、ただ戸惑うばかり。
計画性の欠片もない。
だけど、街に出る。
前日に約束をした友達と、適当な理由をつけて。

禁欲的な就職活動の反動なのか、普段は感じることがなかった欲求までも身体の内側からジワジワと滲み出てしまった。
服が欲しい。
靴が欲しい。
鞄が欲しい。
雑貨が欲しい。
美味いものを食べたい。

物欲を貪る。

乳酸の蔓延した両足を酷使して、新宿~下北沢~新宿~神保町。
とりあえず、服を買った。
そしてイイトコで飯を食べた。

明日は実家へ帰る。
冬を越え、囲いを外さなくてはならないからだ。
今度は木の上に登る。
今度は丸太を担ぐ。

肉体労働は嫌いじゃない。
成果と疲労が単純に比例して達成感を得られるからだ。
さらに自分の必要性を認識している。

なんだかワクワクしている。

終わったら、地元の温泉にでも行こう。
サウナに入り、老廃物を駆逐しよう。

ま、これは明日以降。


それより今日買った服は、我が人生初のジャケット。
まぁスーツは除いて。
そんなとこから少しずつ大人の階段踏み出そうなんて浅はかな思惑があって。

まだまだ着慣れない。
だけどあと10日でコイツを飼い馴らしてやる。

あと自分に帽子は必要。
夢やお金と同じくらい必要。

まだまだ人生のルーキーだ。
考え方があまぁーーーい。


雪は溶けても、水は流れ空に上がり、また辺りを白く染める。
思いはずっと、同じままに。