The life is time killing till I die. -88ページ目

いたい

今日はいつも通り朝7時くらいに目が覚め、そして睡魔に負け12時くらいにReーAwake。

そこからは筋肉痛とのデスマッチ一本勝負。
大リーグボール養成ギプスをつけているのかと思うくらい、カラダの隅々まで思うように動かなかった。

とりあえず外に出てやろうと思って友達にメールした。
そしたらバイトだったから遊べないって。

外出敢えなく一人目で断念。
家にて養生。

テレビの向こうの天皇賞とは反対に、超スローペースで家事をこなす俺。
洗濯しかしてない。

と、突然隣駅に住む友達から電話。
飲みのお誘い。
阿佐ケ谷で飲むっていって漸く外出。
徒歩15分。

無一文だったから借金しました。

返します。

返します。

眠い。

強行スケジュールを敢行するときの自分は、実力を十二分に発揮する。
昨日から今まで、睡眠時間は凡そ1時間。

車を借りて、スノーボードに行ってきた。
もう春も終わりだけど、これが初滑りで滑り納め。
苗場に行ってきた。

はっきり言って、今は極限的に眠い。
早速筋肉痛が全身を襲い込んできている。

だけどさ、絶対楽しいと予測できるものを、しないでいるのは勿体なさすぎるじゃない?
だったらやろうよ!

それだけ。

関連して、「あ~〇〇やりてぇ」とか言う人間はどれくらいいて、その内どれだの人間が実際やったのかキニナル
あと、簡単に可能性を否定する人は、それもやっぱり勿体ないと思う。

あぁー、ねる。

なんとなく

「なんとなく」の意味というか価値みたいなものを、最近ちょっと考えています。
「はっきりしていないが何か」というニュアンス。

この「なんとなく」とかいう言葉は、なんでだろうか、よく聞く。
結構、何気ないことに理由を求めると、そう返ってくる。
これはとても日本人的だと思うわけで。

よく分からない。

「なんとなく」とはいっても、何かしら理由は絶対あるはずだから。
ある意思決定がなされた上でアウトプットされてるはずだから。

ただ具体的に意味を求めることに煩わしさがあるんじゃないだろうか。
有耶無耶のまま、漠然と、どちらともつかない、それでいいじゃんってことになってて、じゃあいっかってことになってる感じがして、それが「なんとなく」日本人的だと思う。

あと、「なんとなく」にはある種独善的なところもあると思う。
「なんとなく~した」とかいう場合には、精神的・物質的に自分にメリットがあるという心理が自分でも気付かぬところであるから為されるような気がする。

で、社会的にそれが悪であったりするために、自衛的に「なんとなく」という表現を用いるのではないだろうか。

ま、そんなとこだ。

しかし、就職活動は、そういった「なんとなく」をすべて排除するところから始まる。
社会では「なんとなく」は許されがたい。

そこで「なんとなく」は子供の特権なのかとも思う。
まだ思考が単純で、周囲もある程度理解できるから許容されているような。

はっきり言って、まだまだこんなのは一面。
考えるのは楽しい、奥が深い。

とりあえずスノボに行ってきます。

いやぁ、良かったヨ。マジであの会社は。

ビーコンコミュニケーションズの志望度が、ぐんと上がりました。

今日は。


社員さんみんなフランクでした。

可愛い人いました。


そういえば男女比5:5ですね。


オフィスを隈なく案内してもらった。

ちょっとスゴイ人紹介してもらった。


でもやっぱりまだただの憧れなんだなぁ~と実感した。

目黒がいい!

オフィスがいい!

制度がいい!

雰囲気がいい!

設備がいい!


とかなんとか言ったところで、「で、自分はなんなの?」って振り返った時に、なんもない。

広告に個性は必要ないって箭内道彦が言っていたけど、広告に携わる人は周囲に何かをサプライできるスキルは必要だなって思った。

ビーコンには、そういう何かしらのサプライが出来る人が集まってる感じだった。

コネ通みたいに「入ってオシマイ」みたいな人はいなくて、全員が絶対必要なんだって、そう言ってた。


仕事はやっぱり楽しいわけなくて、大変だって。

でもお互い刺激し合える人間関係が密に構築されていて、それがとても楽しいんだって。


広告のクライアントは理不尽なものなんだって。

じゃあ圧迫的な面接をされるというのは、ある意味正しいのかもしれない。

ま、女性が多い分D通より人権は守られているそう。


夜景はやっぱり綺麗だった。


多分、デキル人ってのは何処に行ってもデキルんだと思う。

そして、デキルっていう自信を持っている。


生憎自分に自信はない。

前も言ったけど、上ばっかり見てるからボトムだと感じちゃう。


はっきり言って、今、次の面接(5/11)までに何かしないと間違いなく落ちると思う。

何かじゃなくて、何でも、出来る限り、最大限。



社員の人はみんな、ホント気さくで、楽しそうな印象を持った。

サイバーエージェントはよく「サークルノリ」と形容されるけれど、ビーコンは「ファミリー」。

アメリカのホームドラマの「フルハウス」ってあったじゃない?

ホントそんな感じで。

パブにゾロゾロやってくるし、通りがかった人呼んじゃうし、話面白いし。


あったかい。


今日のことは、ちゃんと一言も漏らさないように書き留めて、自分の感情も書き留めて、明日への糧にしよう。



客観的に見直しが必要だと思う。


もう一度言うけど(自分に)、今のままじゃヤバい。

簡単に次で落ちるよ。

今の段階で二十数人だけど、最終的には5人いるかいないかなんだから。


今日懇親会に来ていた学生は、すごい仲良くしてたけど、裏を返せばライバル。

単純にみんなスゴイと思ったからな。

そして社員さんに突っ込まれて、戸惑って、明確な答えが出せなくて、自分ヤバいと思ったからな。


OB訪問とかしてみようかな。

ってもこれからGWだし。

いやいや、ダメでもともとでしょ、やってみよ。

ってもウチの大学のOBはいないんだけどね。

潜在的意識化

あ、目薬さすの忘れてた。

あ、スノーボード持って帰るの忘れてた。

あ、明日の履歴書書くの忘れてた。

歳取るのは恐いな。
記憶力が弱くなってきてダメだ。
いや、養老孟司を否定するわけじゃないけど、意識世界に身を置くのもある意味重要なんだと思った。

多分養老さんとは違う意味で意識世界という言葉を使っている。
絶え間なく身体中を駆け巡る電気信号を意識するなんてことはできないけれど、常日頃何か無意識すらも意識することによって電気信号は発している。

正確に言えば、そういうものだと理解することができる。
そういう理解が常用的になることによって、所謂普通とか常識になるわけ。

例えば0という概念や意識の裏に無意識があるということはそういうこと。

でも実はこんなの誰かに教えてもらわなければ大概気付くことはない。
教えてもらわなければ常識たりえない。

だから知ってなくてもなんら問題ではないと思うわけ。

ただ大多数が共通の了解のもとにあるので、常識として扱われていて、そういうものだということを無意識的に意識しているのだと思う。
0がなければ2980円に対して2980円ぴったし払おうとか思うことはなかったかもしれない。
お釣りの0円という意味が理解できなかったかもしれない。

そうやって社会的共通認識を日常的に意識しているのに、単純なことを忘れている。
一時的とはそういうものなのか。
刷り込む必要がないから無意識どころか記憶にも残らない。

いやいや、ちゃんとこれから目薬さしますよ。