The life is time killing till I die. -103ページ目

知識の笑い

最近、いろんな業界(マスコミ中心)の話を聞いていると、自分の適性はともかく、やっぱり広告会社は魅力がいっぱい詰まってるなぁって思う。
ただ、ITは現実のダイナミズムが感じられないので、どうにも好きになれないんです。
ビジネスとしてはいいと思うんですがね。

今日は、笑いについて。
笑いというのは、大きく分けて、2種類ある。
バカをして笑わせるというより笑われるタイプ、ギャップを用いて知的に笑わせるタイプ。

知的に笑わせるというのは、すごく高度なテクニック。
知識がなければ、アタマに?マークが出てくるだけだが、知識があれば、ただバカをするよりか笑わせることができる。
まぁ知識のない者同士だと、前者が適切なんだろうが。
面接なんかで対峙する大人には、本当に知識でとる笑いというのは有効である。
話題性や時期というような制約もあるけれど。

これ、でも年齢差があるコミュニケーションでは、絶対必要なんだ。
そのコミュニケーションは必ずあることだからね社会では。
やっぱり一般教養や、ニュースなんかは普遍的だからね、万人に共通する知識なわけで。

そんな笑いを求めるために、ニュース見よう。
新聞とらなきゃ。

最近犬を見ると無条件でときめいてしまいます。

意識の構造改革(痛みを伴う)

切羽詰まらないとなにもしないこの性格をなんとかしないといかん。
世の中は待ってはくれないですからね。
時間は誰に対しても平等、1時間は60分で3600秒。

しかしね、能力には個体差があるじゃないですか。
運動能力にしろなんにしろ。
一つの仕事に対する処理能力のスピードも違うわけです。

その個体差を各自知っていなきゃだめんですよね。
自分は何が優れていて、何が劣っているのか。
それを的確に判断して、的確に時間を配分できる人は、優秀だと思うのよ。

どれだけ要領良くても、切羽詰まって結局タイムオーバーじゃだめなの。
余裕を持って、早く終わったら勿体ないの。

あくまで適性配分を。

自分ならやれると思って怠けてオールで麻雀なんかやってはいけません。
口車に乗って二次会なんて行ってはいけません。
気分転換のほうが時間かかっているなんてありえません。

あくまで適性配分を。

俺はなかなか他人本位な人間だけどね、ちょっとくらいわかってくれよ。
ジコチューになる時間も作らなくちゃいけません。

キット

今日乗った中央線、キットカットの広告で全体がデコレーションされていました。
コピーは、「きっと、サクラサクよ。」

受験シーズン、受験生を応援する広告でした。
車両の外側には、キットカットのロゴの周りに満開の桜が花開いていて、内側には、受験生に対して集めた多くの応援メッセージがありました。
全部は見れなかったけど、受験生の母親、ドラゴン桜の作者、東進ハイスクールの講師なんかがメッセージを寄せていました。

こんなのを見ると、否応無しに自分の受験生時代を思い出します。
自分の受験生時代は、鬼気迫るほど勉強していなかったので、この「努力は君を裏切らない」的なこの広告は、大して共感することがありませんでした。
タナボタだったので。
まぁ高三のその時期は、勉強が楽しくて努力という感じがしなかったのと、実際、東京に来て兄貴の家に寝泊りしてるときは、兄貴がいなかったので、一足早い一人暮らし気分を満喫して勉強は二の次だったんだ。
ちなみに今の大学の入試の前々日くらいに丸井に言ったら、店員に25歳と言われてちょっとショックでした。

でも、今日この広告を見たとき、就活の自分がメッセージと重なる感覚はありました。
夢は固まってるのか?
将来への不安?
弱音を吐くのはこのブログだけ。
今はとにかくやるしかない。

一言一句が、まさに自分自身。

悪いが、受験なんて、4年契約の所属事務所を決めるだけのこと。
少なくとも、目標のなかった僕は、そういう意識が強かった。
潰しがきくから法学部だった。

今は、これからの40年を決める最初の一歩を踏み出そうとしている。
キットカットで受験生に対して訴求していたことは、僕にとっては、受験では感じなかったが、就職活動におけるそれだった。

最終的に、キットカットの購買意欲に結び付くとは思わなかったけど、感じるものは大きかった。
車両全体が、キットカットでデコレーションされいたわけだけど、車内の人は、それほど注目していなかったようだった。
でも、なにかしら苦境を乗り越えてきたであろう乗客それぞれに、何か感じるものはあっただろう。

また電車という媒体がいい。
受験会場へ向かう中々落ち着けないその状況に、勇気を与えてくれると思う。
受験の帰りに感じる不安を解してくれると思う。

暖かくも、身を引き締める広告だった。

地震があった日

昨日学校から帰るときに、駅にクワイエットストームがいて柄にもなく興奮してしまった。
マジで格好いいって。
やっぱクワイエットストームもこんなとこ来るんだ。

それはいいとして、今日は同じ会社の別のセクション2連発でセミナーだった。
まぁ朝日新聞なんですが。
新聞社が行なっている新聞発行以外の事業と、広告媒体としての新聞に興味があったので、長丁場ではあるけれど、行こうと思いました。
あと、こういうところに集う人間にも興味があった。
面白そうだった。
さすがにオールドメディアは危機感を持っているんだろうな。
広告を積極的にクライアント側に持ち込んでいるのが窺い知れた。

そして既存の巨塔を誇示すべく行なわれている多角的事業。
どちらも育ちすぎたその体躯を維持するために、一生懸命のようだった。

終始自由性を強調していたけど、ぶっちゃけそこまで感じなかったよ。
とりあえず今はジャーナリズム宣言で、威厳を保とうとしてるんだろう。

一方で、自由性を強調するその愚直さが自分に合ってるような気がしたのも事実だけどね。

今回の収穫は、なんとなくだけど、メディアと広告会社の関係がわかったということかな。

原因究明…できませんでした。

なんで俺は結論から先に言う癖がついたんだろう?


多分法学部だからだろうか。

というより法律討論会を見てきているからだろうか?


関東学生法律連盟(全日本もある)が開催している法律討論会。

立論者は大体こんなことを言う。


「本文を述べるにあたり、まず結論から述べる」


なんて法学部的!

主文!!


ってよく考えたらこれが原因とは思えない。

そんな参加してないし、たぶんそれ以前からそういう癖だから。


そうだなぁ、ちょっと思いついたのは、読む本かな。

まぁ基本的には活字は大嫌いな俺だけど、とりあえず雑誌はよく読む。

でも雑誌はビジュアル重視だからあんまり関係ない。

ただ、雑誌以外で活字といえば、小説は全然読まず、評論本が多い。

簡単にいえば教科書みたいな本。


与えられた教科書は読まないのに、興味を持った教科書はワリカシ進んで読んじゃう自分がいる。

で、教科書だから、まず整いすぎともいえるくらいにロジカル。

そして結論から述べることが多い、気がする。


うん、多分それだ。

多分。


でも中学高校のときからそんな結論先行の自分だった気がする。

まてまて、その時代読んでるのは週刊少年ジャンプくらいだよ。

それ以外は部活しかしてない毎日さ。


わけがわからん。


謎は深まるばかり…。