生徒がマクゴニガルを読んでいると聞いて手にしてみました。 以前から名前は目にしていたものの遅ればせながらというところです。 TEDでも再生回数が多いマクゴニガルですが、記されていることはシンプルであり、科学的根拠もあれば、 また実践しやすいものであることが支持を受けている理由かもしれません。

同時に、ふとよぎったのが、多くの学生が口にする、「やりたいことがわからない」の言葉。 実は科目や分野、業種に関心があるのではなく、自分らしい生き方なりライフスタイルをどのように形作ればよいのか、 迷っている学生が多いのではないかと考えていたところでしたが、マクゴニガルの主張は大いに参考になるかもしれません。



3つの力


まず1章で、意志力(willpower)には、「やる力」「やらない力」「望む力」の3つの力があると指摘しています。 「やる力」は面倒なことも嫌がらずにやりきる力、「やらない力」は誘惑その他に負けずに自身を制御する力、 「望む力」は目下の面倒なことや誘惑ではなく、将来にわたる理想像をイメージし、そこに向かっていく力のことを指しています。 そしてこの3つの力は各々前頭前皮質で生み出されているのだそうです。



瞑想・運動・6H+の睡眠・ストレス


そして瞑想を行うことで上記の前頭前皮質による自己コントロールや、そもそもなぜそうした行動をとっているのかを理解する 自己認識の力の支えとなる灰白質の増加に繋がるのだそうです。

また継続的に運動をおおなうことで、灰白質と白質の双方が増加するとのことです。

6h以下の睡眠は前頭前皮質の機能を低下させるため、十分な睡眠が重要となるとも記されています。 睡眠不足の状態では糖分の吸収が不十分となり、自己コントロールが利かなくなってしまう、ということのようです。

ストレスが意志力を低下させるとも記されています。直観的に腑に落ちるところではあります。



モラル・ライセンシング


本書で個人的に最も興味深かったのがモラル・ライセンシングです。これは自身が良い事をしたときに、 その分悪いことをしてもかまわないと、無意識に判断して勘違いしてしまう効果のことを指す、心理学上の効果のことです。

つまり自身が良い事をしたと判断できる、がんばった事、成果を実感した後に、その反動を生み出してしまうわけです。 例えばダイエットを成功した後の「ごほうび」としての暴飲暴食から来るリバウンドなどが典型で、 これは学習にも言えそうです。例えば、試験前だけ頑張った「ごほうび」として、その後ダラダラと生活を送ってしまうことなどは まさにこれに当てはまるのではないでしょうか。

本文には面白い事例が挙がっていて、ヘルシーな野菜サラダとジャンクフードが並んでいた場合、 ジャンクフードを選んでしまう人が大半のようです。結局ヘルシーな野菜サラダはいいことと判断し、 心の底では不味いものだと認識しているため、そのような事態が起きるようです。

著者はこの罠に陥らないようにするため、なぜ良い事をしようと思ったのかを考えることを推奨しています。 頑張ること・よい事をしたこと自体に着目するのではなく、そもそもなぜそうしたのかを思い起こせば、 それが「望む力」と結びついて自己コントロールができると言うことです。 身体が望む野菜サラダを食べ続けることは、理想の自分へ繋がれば、今の自分もちょっぴり幸せにしてくれる体験なんだ、 と思えれば、楽しい生活体験を積み上げることが出来そうです。

UI/UX分野で定評のある本書


ドーパミン≠快感物質


既に常識としている一方も多いかもしれませんが、ドーパミンは覚醒・意欲・目標思考行動のレベルを全体的に向上させる物質です。 快感をもたらすのはオピオイド。なおこの事実は別の本(「インターフェイスデザインの心理学」)でも見かけました。

「やりたいことをやる」その動機がドーパミンの放出であるため、快感を感じていなくとも、 ドーパミンの放出を促すような刺激にさらされていると、いつまでもその行動なり意欲の上昇をもたらすことになります。 例えばついつい携帯の画面やSNSを必要でもないにも拘らず見てしまうのは、断続的な通知や目新しい情報が 絶えず入ってきてしまうためです。

これはかなり怖い話でもあり、購買意欲を促すよう、マーケティング上のいろいろな仕掛けが街中にはあふれており、 普段生活しているだけでその目論見に嵌められてしまうという事実があります。

言い方を変えると快感なり満足を伴う対象でなくとも、何かに急かされるように行動を継続してしまうということが 置きうるわけで、しかも当の本人はそうした仕掛けに無意識のうちに、嵌ってしまうということになります。

学生の「やりたいこと」に適用して考えてみると、これもまた怖い話に見えてきます。 「やりたいこと」が自身の理想像と繋がる、つまり「やる力」によって促される、大きな目標に繋がる行動であったり、 具体的にその学生と周辺に望ましい利益や幸福をもたらすものであればよいのですが、

「やりたいこと」が享楽的であったり、実は何ら利益や幸福を自身と周辺にもたらさないものであったとしても、 「やりたいこと」への衝動を止めることが出来なくなってしまうということになります。 この場合、「やりたいことをやる」「やらせている」自由放任の過剰な家庭は、 学生を「尊重」することが果たして正しい意思決定なのか、見失う危険性も大いにあります。



恐怖管理

自身に危険や脅威を感じた状態になると、快感を得ることが出来る誘惑の対象にすがり付きたくなる、という恐怖管理理論 についても言及されています。つまり「やらない力」が弱まってしまうわけです。

そのため恐怖を感じていたことで誘惑に負けてしまった人に対してなすべき善後策は、正しい忠告を与えることではなく、 安心感を与えることであるようです。安心感を与えることで「やらない力」が息を吹き返すためです。



将来の価値/割引現在価値


人は将来の大きな価値よりも、今手元にある小さな価値を優先するという話が展開されています。 これはファイナンスで学ぶ割引現在価値と同じ話で、例えば一週間後に手に入る200円よりも、 今手元にある100円を好む傾向があり、手元に確かに存在するもののほうが価値が高いとみなすためです。 経済学ではこれは流動性選好という言葉でも表現されます。 言い方を変えると、手元にあるものを失いたくないという動機がまず強く働くことも原因しています。

多くの学生は職業観のリアリティが無いため、長期的な見通しを立てた上で手元の科目学習をしていません。 それはペーパーが強く学生であればあるほどそうです。そのため手元で面白いと感じるものにばかり目を奪われてしまい、 すぐに手に入るものに満足しては、そこで辛抱していたならば手に入っていたであろう大きな成果を逃してしまうことが往々にしてあります。

そうならないためにはどうすれば良いのでしょうか?将来の自分の像を繰り返しイメージし、 「望む力」を引き出すことが重要ということになります。 なりたい自分、そこで得られるものが自分をより理想に近づける。そのイメージをしっかりと、 丁寧に作り込み、自分のものとするには、たった今だけ語っていても何にもなりません。 将来に渡る洞察も必要です。

大きなスケールだと例えば世相が人々の感情に与える影響や、学生にとって見れば学校やクラスの雰囲気といったものに 感染するのがその例と言えます。



梅田にて学生たちと


ミラーニューロンが人間理解を促す


ミラーニューロンはドーパミンの効果以上に知る方は多そうです。これがあるからこそ人は他者に共感をしたり、 友人の不幸を我がことのように辛く、痛みを分かち合うことが出来たりするわけですが、 これが悪く働く場合もあり、周囲が誘惑に負ける状況下にあると、その感覚が「感染」し、自分も抗えなくなってしまうようです。

よい雰囲気・環境の中で自身を磨くことで自身を高めることが出来る。そして意志力の強い人の傍らにいることで、 自らも強くなれる。そうした相乗効果が見込めることには、こうした背景があるようです。



やりたいことを学生に見つけてもらう


一通りまとめてみましたが、詳細な事例や説明は本書を是非ご一読ください。ここで改めて振り返りたいなと考えたのは、 「やりたいことがみつからない」と大なり小なり不安に感じている学生達について考えることです。

やりたいことをやるというのは、マクゴニガルの主張によれば、3つの力から構成される意志力によって、その成否が決まると言えます。 他方で多くの学生は、そもそもやりたいことを見つけることに、皆一様に悩んでいます。

冒頭でも記したとおり、多くのこうした学生と話していて最近思うのは、特定の科目や分野、 業種に関心が及ばないがために悩んでいるというよりは、そもそもどのような人となりでいたいのか、といった、 ライフスタイルに即した、人生観そのものの方向性について思い悩んでいるように見える、ということです。 そして自分もそんな一人だったと思います。

尤もそんな風に悩んでしまうのは、やはり科目学習をやらされすぎているからだとも思うところで、 そんな、必要な情報やヒントを与えてもらえる環境にいるわけでもなければ、 その手がかりを掴むにも時間に追われる学生を不憫に思う次第です。

おそらく彼ら彼女たちに必要なことはシンプルで、本書にあった瞑想や適度な運動を継続する習慣で、これによって 意志力が強くなり、自身の生活をより洗練された形で整えることで、学習の対象や進路については必要以上に思い悩むことは 無くなるのではないかと感じました。

勿論進路選択は、特に理系の場合職業選択に直結することが通常ですから、分野や業種の差異に注意することは重要です。 ただそれをいくら比較考量したところで、自身のライフスタイルや人生観そのものが降って来ることは無いとは思います。

一部の学生たちと、この本を読むことを通じて、「今度フットサルやボルダリングにでも行こうか」という話をしています。 野原で目を閉じて深呼吸をし、瞑想するのもよさそうです。そんな時間もまた指導には大切なはずで、 学生との絆も、学生間の絆もより手ごたえのあるものと変わるものだと考えています。


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開成にまつわる本は手にしたことがなかったので改めて読んで見ました。なお著者は1期前の校長です。 工学部の教授から校長に赴任されたようで、基本的に全編通じて発想なりアナロジーに工学的アプローチが取られています。

またこの本は開成を手放しに賞賛するようなものでは決して無く、むしろ著者が現役生に対して多くの問題を投げかけているのがわかります。 そしてその多くはclassoncloud(coc)の問題意識と重なります。

他方で後述しますが、将来にわたる洞察についてはやや不安が残ります。これについても言及します。 現在の校長とは方針が違うとは思いますし、校長が変わったところで開成の歴史が大きく転換されるわけでもないとは思いますが、 数年前までの校長と現役生との関係なり、中学受験を控える父兄に与えた影響について推測する手立てになります。

 

 

 

リーダーの定義

 

 

 

3タイプにリーダーのスタイルを分類しわかりやすく説明しています。一つはcharisma型リーダーシップ、 一つはservant型リーダーシップで、今ひとつはハイフェッツで言うところの所謂相談役で、リーダーではありません。 ただ、この類型化以前にリーダー全般が担うべきミッションを伝えるべきだとは思います。

 

定義の議論を厳密にしても不毛ですが、どういう人間が社会で求められているかを伝えるかは重要です。 相談役が向いている人間もいれば、状況によってそうなる場合もありますが、 価値を生み出す責務を直接的に負っているのはリーダーであり、リスクテイキングな行動をとるのはリーダーです。

ハイフェッツによるリーダーの定義は、大雑把に言えば、相談役・協力者との信頼関係を構築し、 能動的に働きかけることで問題解決に向けて実践する者ですが、これは性格や能力の高低によって分類された定義ではありません。
なおハイフェッツの授業は以前NHKで放映されました

 

 

リアリティを伴う経験の欠如

 

 

 

リアリティを伴う経験の欠如が現役生に見られる危険についても指摘されています。経験主義的な学びが欠如すると、 将来にわたるリアリティのある職業観と手元の学びが断絶し、 職業と人格を一致させることが出来ない社会不適合や重度のオタクに落ち込む危険を抱えることになります。

 

本書のこの後の項目で、なりたい職業に関する話題が展開されていますが、属性で切り分けられており、 なぜの部分が希薄になっています。職業観が豊かでないのは年齢から仕方が無い面もありますが、 これもまた経験知が不十分であることが原因になっています。 労働から何を学べるかは個人差も職種にもよりますが、 例えばアルバイトを行う機会が実質無いのもこれに拍車をかけています。

 

 

周辺に能動的に働きかけない関係

 

 

 

また時間や期限を守らない学生が周辺にいたとしても、指摘することも少なければ、そもそも互いに干渉しないことに対する 危惧も吐露しています。これについては以下の記事も参照していただけるとなぜ危険の一端を把握することが出来ます。

 

また他校でも見られる多様性(diversity)の欠如についても危惧を示しています。仲間内で固まることが慢性化すると、 大きな価値を生み出す力が失われます。これは全ての一貫校が抱える構造的で最も大きな問題です。

 

 

リベラルアーツ志向の学び

 

 

 

文理の隔たりを意識下に持たない学びの重要性について言及されています。 卑近な例としてあるのは、受験に必要がないという理由で特定の科目を切り捨てることに対する戒めです。 ただし各科目の何がどう重要なのかという議論ははありません。リアリティを伴う経験の欠如の項目でも指摘しましたが、 これはリアリティのある職業観に繋がるので、具体的な職業観に多少触れてもよいようには思います。

 

科目学習は既にわかっていることを整理して頭の仲に格納し運用する力であり、可視化・言語化されていない問題そのものを 捉える力は養われません。むしろ大きな問題というのは学際的な分野や、陽の目が当たっていない分野であったりするのが通常なので、 過度な効率性を求めてはならないという戒めでもあります。

また他の項目で言及されてますが、効率的な学びを受験塾に早い段階から求めるなという指摘もあります。

 

 

学園祭及び旅行での文集

 

 

 

以前現役生に運動会の文集を見せてもらったことがありますが、かなりの分量とコンテンツで完成度もかなりのものです。 段取りや調整する力はこうしたものでも養われているのだろうと感じます。ただ文集は通常外部に公開されるものではないので、 一部でも公開されれば、どの水準まで力がつくのか、具体的にイメージしやすいのかなとは思います。

 

 

 

エリートの定義

 

 

 

ここでもリーダーの定義同様3つに類型化されています。①マネジメント②グローバル人材③創造性(生産性)の高い人材―の3つです。

 

①のマネジメントについては、ドラッカーも言及している通り、これは起業家精神と同義であるため、 大企業志向が強いだけではただの雇われサラリーマンに成り下がりますが、 起業家精神や破壊的イノベーションについては触れられていません。

②のグローバル人材について、所謂英語バカでは通用しない旨が記されています。但しこれについても文化障壁を超える力なり、 文化障壁を立てつつ技術を織り込みイノベーションを生み出すといった議論にまでは踏み込まれていません。

③については自学自習を行うことがそのまま創造性に繋がるとあります。突き詰めて学ぶ力が源泉になることは間違いありません。 ただそのプロセスに周辺との協働性が無いとまずいわけですが、開成の場合あえて言及せずとも運動会その他で 最低限は身につくような気はします(がわかりません)。自学自習=自閉になってしまうと危険な状況に陥ります。

classoncloud(coc)ではよく、「受験エリートはエリートではない」ということを話題にします。 ペーパーが強い人間はhigh achieverと呼び区別します。 エリートの定義は「自身の命よりミッションが重い者」がその定義です。ノブレスオブリージュもその一側面かと思われますが、 日本でエリートを育てるのは、民俗からして難しいのではないかと捉えています。そこでやはり重要になるのは リーダーシップではないかとも考えています。

 

 

「本質からブレない」とは具体的にどういうことか

 

 

 

ブレない、という言葉が本書を通じて繰り返されています。しかしその定義が明示されていません。おそらく言語化されていない 漠たるイメージが著者の念頭にあると思われます。ですがここは言語化しないことは説明責任能力の放棄に繋がるため、やるべきでした。

 

 

 

グローバリズムの肯定

 

 

 

グローバリズムについても言及しています。市場が世界規模で統一され、人材やサービスの流動化が激しくなり起こる格差は よいことだ、と断言していますが、これはまずい見解だなと考えます。実際起きたことは世代間経済格差であり、 そこから火がついたアラブの春やteaparty、その後の社会の不安定化です。

 

著者は技術者であるためやや疎い面もあるかとは思われますが、世界の不安定化を洞察できなかったことは、 少なからず当時の、文脈を捉えようとした現役生にネガティブな影響を与えたはずです。

前項にあった「本質」という言葉は多用すると危険な言葉です。言葉の定義に終始して中身の無い議論になりがちであるためです。 開成の「本質」が、このグローバリズムを肯定する方針をこれまでの歴史や校風に上乗せして運営していたのであれば、 戸惑う学生は少なからずいたことでしょう。

なお開成の初代校長の高橋是清はグローバリズムに対抗する政策パッケージを遂行して日本を救いました。そして リーマンショック直後の世界観は高橋是清の時代と極めて似ていると当時認識していた学者は多くいます。

 

現在の柳沢校長に変わってから、学内に海外進学のコミュニティが育ち始めたとobからは伺っています。著者のスタンスを 引継ぎ拡大した結果かもしれません。多様性を確保する上ではポジティブな効果を与えたといえるかもしれません。 他方でトランプが保護主義に舵を切り始めたため、アメリカについてはどの程度整合性を保てるかは不明です。

 

 

 

開成は生活が運動会中心で回っている子が多く、また学校のサイズが大きく人間関係が見えづらく、学内で生活が閉じていて、 そこで満足している子が多いため、学園祭は別としても、 第三者からは成長のプロセスが意外と見えにくい学校の一つではないかと思われます。

 

 

ここでやはり問題となるのは、多様性の確保とリアリティを帯びた経験知を如何にして身に着けるか、 という2点に集約されるかと思います。この価値を十分に認識できれば、科目学習の質も変容していくと思われますが、 父兄が「安全策」を取るべくあれこれ細かく学生に確認を入れたり、受験塾に通うよう仕向けてしまうと、 前述のとおり学校の中を向いている学生が多いことに加え、 開成は元々官僚志向の強めの学校であるため他校と比しても靡き易く、 よって長期的には失敗となってしまう場合も多くなりそうです。


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学生と動画チェック中

1,2世代前と較べても、今の学生は互いに干渉せず、また関心を持つことも少なくなっている手ごたえがあります。 これは多くの学校教師も感じていることであるようです。この事実と豊かさをもたらす上での問題点を少し整理してみます。

 

 

豊かさの底上げの問題を直視する

 

 

 

若年層が貧しくなっている一番の理由は、失われた30年という言葉に表されているように、 親世代以上の大人たちが豊かさの底上げという大きな問題の解決を先延ばしにしてきた― 特に政治的政策論的な問題意識において―ということがまず第一に挙がりますが、学生側にも問題は多くあり、 能動的に他者に働きかけ束ね人を動かす力、つまりマネジメント能力やリーダーシップに欠けているのではないかと 日ごろから感じています。

 

90年代以降に生まれた今の学生たちは、景気がよいという状況がどういう空気を世の中にもたらすのか、 実感することが出来ていません。そのため何をすれば豊かさを生み出すことが出来るのかもまた、 実感できないという状況にあります。

学歴や肩書きがあるから所得に直結するというような時代ではありません。所属や属性問わず、如何に価値を生み出すかが 一人一人に問われ、そのintangibleな問題を自ら探し掘り当て、行動して価値に結びつける高度に統合された能力が問われています。

これにあたり多くの中高や大学でも、「自由な」学びを標榜し、その「才能」を育もうとするわけですが、 改めてそこには一定の罠があることを考察します。

 

 

学生に「やりたいことをやらせる」自由放任の罠

 

 

 

学生が互いに干渉しなくなっている大きな理由の一つは、価値観の多様化です。娯楽や産業の多様化が進んだため、 選択肢が増え専門化が進んだ反面、互いのことを理解するにも情報や知識の量が増えているという現実があります。

 

こうした背景を踏まえ、指導側も「やりたいことをやる」環境を整えることは、 学生の芽を育てる上で大切なプロセスです。 しかしそれを容認することは、自由放任を肯定することでもあります。「やりたいことをやらせる」親も同様です。 自由放任の生き方は市場原理と直結し、ただの市場原理に基づいた需要と供給でしか人を結びつけることができません。つまりイノベーションを起こすことが出来ません。

自分で場なりコミュニティ、市場を生み出せないのは、表面的な属性や日ごろ接触している情報や知識の差異に囚われ、 その奥にある異質な他者の存在・思想・哲学を意識し深く理解することがいかに重要か、 自覚できていないためです。それは関心の対象が狭くなり、他者の視点を排除することを意味します。

相手に対して何ができるのか、本当に相手にとって必要なことは何なのかがわからなくなり、提案も出来なくなります。 アルバイトにしろ、部活動やサークル活動にしろ、利益も出せなければまともな仕事にならなくなってしまいます。

 

 

「きたら喋る」の罠

 

 

 

「来たらしゃべる」というのは、「言われたら仕事をする」とする、いわゆる指示待ち人間と同じです。 これの問題点はその外形的なスタイル自体にあるのではなく、 相手の深い意図やより根本にある問題なり人間を見抜けないことにあります。相手の背景や事情を深く捉えることができません。

 

当たり障りの無い対応や、取りあえず不快感を与えない程度の関係は、 その人物なり関係は互いにかかる当面のストレスを軽減する効果もありますが、 「相手の意思を尊重していて寛容である」ということを意味しているのではなく、 単純に人間が表面的な感情しか受け取れていない、という幼さをもまた意味しています。 よって長期持続的な関係を構築する足がかりが失われた状況が常態化することになります。

 

 

「黒板に書いてもらったらわかる」と同じ感覚

 

 

 

数学の駿台偏差が40くらいの学生が、指導者の板書を見て、わかった気になるあれとまったく同じです。 自分で答案をまず再現することができない、という学生がよくいますが、 こうした学生は学力がまず身についていません。

 

授業を聞いた後自力で答案を再現できるようにできることが大事で、正確に記憶することがまず必要です。 その上でそれよりも難易度の高い問題に対しては、その型を変形させたり、 学んだ認識の仕方や多角的な視点を転用して自力で答案を書き上げられるようになる訓練を積み上げることになります。 当然時間も労力もかかりますが、異質な他者を理解するためにもこの双方が要求されます。

家族や学校の友達といった、距離の近い人間同士の対話を通じて相手を見抜く力を磨き、 その上で学外に出て異質な他者を見抜く力を養っていくことが重要となります。

 

 

食事会ではよく、「一貫校には綺麗に磨き上げられた"部品"のような学生が多い」という話をしています。 きわめて狭い、特定の分野で役割を与え、指示を出せばすばらしい効果を生み出すことは多いものの、 自らの手で部品を集め、物を組み上げ大きな成果につなげることができないという意味合いです。

 

 

言語と計数の両立の大切さが現れるマネジメント能力

 

 

 

文理双方に伸びていく学びがいかに大変で、それが重要か、言語だけだと価値を生み出す源泉となる技術や計量的かつ厳密な論理性が失われ、 科学だけだと人間を見抜けなくなるためです。

 

これを組織として役割分担し補い合うことで妥協するのが、従来型の官僚組織であり大企業であるわけですが、 そのやり方がすでに機能しなくなっており、大企業の不祥事が世界中で業種問わず頻発していることは他の記事で記しました。

 

そのため文理で隔て、「文系だから数学はやらなくていい」「理系だから言葉が弱くていい」という言い訳は通用しない時代となりました。 そしてこれと併せて磨くべきが周辺を束ねるマネジメント能力で、多くの高校生・大学生にとって、サークルや部活動、 短期での就業経験などを通じて原型を身につけるべきものです。

 

まずこのことを多くの学生と父兄が直視できていない、あるいは認めようとしない手応えがあります。 生き方自体が後ろ向きになっているのではないでしょうか。それほどまでに重要なのがバランスの取れた力の上に成立する マネジメント能力です。

 

 

大きくバランスを崩すと障害を患うリスクも

 

 

 

障害にも色々なものがありますが、例えば睡眠障害の場合、極端に偏った頭の使い方を続けているとなる傾向があるようです。 事実周りの学生を見ていても、数学だけはできる、英語だけはスコアが抜群に良い、というタイプには、 睡眠障害をはじめとした生涯を患う学生が多い手応えがあります。障害を患うストレスも相応にかかる 知的労働の多くを、長期持続的にやりきることが難しくなります。これもまた貧困化の引き金となります。

 

双方を大事に鍛え続けていれば30,40過ぎてもなお後々伸ばしていくことも可能ですが、 偏った認識の仕方をしていると一生修正が効かなくなります。 そうならないように中等教育の段階から、まず魂から磨かないといけません。

 

 

科目「指導」という名のレントシーキング

 

 

 

多くの大学生にとって「割のいい」仕事は受講講師・家庭教師のアルバイトです。 直前まで詰め込んでいた情報や知識を吐き出すだけの科目「指導」は、多くの大学生にとって楽な作業であり、 また結果責任を背負う義務も原則無いのでストレスもかかりません。しかしその実態は教育ではなくただのスキルの供与であり、 人格形成に対する責務を負っていない、サービス業です。

 

もっと言えばそれは教育という公益事業とは対極にある、レントシーキングです。 レントシーキングとは本来公的部門が利益を度外視してでも全ての市民に提供するべきサービスを、 民間が競争原理に基づいて提供することでその利益を搾取し、多くの人々の将来に渡る便益を奪い去る行為です。

それがわかってない、「教育に関心がある」学生が多すぎると昔から感じます。家庭教師や塾講師を「割のいい仕事」 と捉えている間はこの罠から抜け出ることができていません。そして家庭側もこうした学生をやとってはいけません。 必ず人格形成を停滞させることになります。

 

 

自然体で時間と労力を割く

 

 

 

自分の世界観だけを愛していると、偏った頭になり、また自分の世界から一歩も抜け出れなくなり、生産性が宿らなくなります。 そのためには苦手としている科目や分野にも能動的に学ぶ必要があります。衝突を恐れず、時間と労力をかけ互いを理解し、 磨き合い、自身の認識の仕方自体を絶えず上書きしていくことで、初めて新たな世界が見えてきます。

 

心身が消耗するプロセスから逃げることを恐れるのではなく、自然体で受容し、変化していく自分自身に喜びと楽しみを覚える姿勢と 実践が大切です。当然そうした変化の中で自身を見失わないためにも、日ごろから表面的な知識や情報に惑わされず、 自他のよって立つ背景や事実が何に即しているのか、そしてより大きな問題はどこに潜んでいるのか、絶えず模索する姿勢も これ以上に重要となります。


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ICU敷地内にあるICUHS

世界の縮図とも言えるdiversity

 

ICUHSは帰国子女枠が2/3,一般受験でもかなりの割合帰国子女がいるという、かなり特殊な採用/選抜をしている学校です。 そのため日本の標準的な学校と比べても相当異色です。

 

一番の違いは文字どおり世界の縮図になっている点です。ハーフ・クォーター・バイリンガル・トリリンガルは当たり前のようにいれば、 それまでの居住地も世界中に散らばっています。

これは日本の主要な一貫校とは全く事情が異なる背景を持ち合わせています。中学受験組の世界観は皆均一で多様性などかけらもありません。 他方でICUHSの場合実質インターのような集まり方をしているため、嫌でも能動的なコミュニケーション能力を身につけなくてはならなくなります。

なお240という1学年のサイズであるため、互いのことを強いつながりを持って把握することも、 ギリギリ上限いっぱいではあるものの可能です。

そしてICUHSの子達は皆一様に気持ちの良い子が多くいます。ジメッとした体質や、いじめの類の話はまず聞いたことがありません。 異質な他者へのrespectが根付いているのが、ICUHSにとって、一貫組に持ち得ない、人格形成を行う上での絶対的な競争力です。

 

 

強靭なidentity

 

 

 

ダンス部に見られるように、自分らしさ(identity)の洗練度は眼を見張るものがあります。技術的に面白い、知識がある、ペーパーが強い、 そういう類の競争力はさほど見られませんが、自分だからできること、自分だから表現できることがなんなのか、 その手段も低めて自覚を持って生活できている子が多くいます。

 

そのため殆どの子は誰に対しても臆することがほぼありません。後述するように主に科学面が弱いという弱点があるのですが、 言語で対話を完結させる分には個の魅力が十分伝わる子が揃っています。

 

 

環境要因でのストレス耐性の強さ

 

 

 

コミュニケーション能力や自己表現能力は、必要性が生じるからこそ磨かれるものでもあります。 そしてそれを自覚して磨ける環境にいるというのはとても幸運なわけですが、その土壌がICUHSにはあります。

 

殆どの学生が、日本という生活環境に全く慣れていません。そのため日本の生活・文化・風俗に順応するために 1年程度かかるのが通常のようです。この経験があるため環境要因でのストレス耐性は、 ICUHSの子達の多くは身についているように思われます。

 

 

基礎学力の甘さ

 

 

 

ここから弱点に入ります。まず帰国子女であるため多くの学生は日本の教育を受けていません。 また国内一般受験枠組でも高校受験になるため、一貫組と比べても仕上がり具合はかなり悪い傾向があります。

 

英語と数学には問題のつくりはこだわりは見られ、また入学後もそれなりに力を入れているのはわかるものの、 いかんせん加速期間が短すぎます。ICUHSの名前を学力面で聞くことが少なく、また実績が悪い最大の原因はここです。

 

 

特に数理科学

 

 

 

特に理科の弱さは如何ともしがたいものがあります。生物その他で体験型の授業を大事にしているようですが、 そもそもカリキュラムを十分にこなせていません。異質な他者へのrespectは十分ではあるものの、 科学へのrespectはほぼないのが、残念ながらICUHSの最大の弱点です。 そしてそれを大事なものだとも感じていない子が大半であるように思われます。 同期に突き抜けた数理科学の力を持つ子がまず見当たらないこと、またいたとしてもそれを促す土壌がありません。

 

これは主に帰国子女の家庭が文系・事務方の家庭が殆どであることとも密接なつながりがあり、 異文化理解には力を入れるものの、長期間をかけて関心の対象を突き詰め、 理詰めで成果を生み出す研究や技術開発の世界とは無縁な家庭が多いからであると考えられます。

 

 

文化祭パンフ

 

 

文化祭での展示の弱さ

 

 

 

ICUHSの科学に対する弱さは文化祭でも見られます。ICUHSはダンスとチアが勢いのある部活動2強ですが、 他方で科学系部活動自体が存在しません。個人研究もなく、軒並み教室はがらんとしていて、 一貫校の学生が見たならばぽかんと口を開けるくらいには落差があります。

 

IGS指定されているためそれがらみでの特別授業や、数学甲子園に出る子たちも一部にはいるようですが、 学校単位で見てみれば土壌はないに等しい状況です。科学を通じて力を身につけることができないというのは、 他校と渡り合う上でも大きな弱点です。

高校受験枠しかないため一貫組、 特に関西その他のエリアの学生がその存在を知らないのは当然と言えば当然ですが (そもそもICU自体全国区ではない)、科学への弱さが引き金となって他校から敬意を払われる、 ということは困難な状況にあると思われます。実際一貫組との絡みはほとんどありません。

 

 

推薦枠に逃げる強い傾向

 

 

 

上記のペーパーへの弱さを重々自覚している多くの現役生は、軒並み一般受験ではなく推薦枠での進学を試みます。 当然ながら帰国子女であることの属性を生かすなり、英語その他言語の競争力を売り込む形での採用を狙う形です。

 

 

推薦枠を利用することそれ自体が悪いとは思いませんが、一般で抜けれる地力がないことがわかっているので推薦、 というのはあまり褒められた話でもありません。国内組の学生からすれば、やるべきことをやらずしてうまく逃げ通したと映るでしょう。 ICUHSの卒生の評価が今ひとつなのは、こうした態度そのものにあると批判する現役生もいます。

 

 

 

対象に対するストレス耐性への弱さ

 

 

 

そのため環境要因からくるストレス耐性はあるものの、対象そのもの、 特に数理科学に取り組むストレス耐性はさほど強いものは感じません。これは恐らく女子校よりも弱いと考えられます。 やはり鍛えるべきものを鍛えられている学生、その意味で正当な感覚を持つ子がマイノリティであるため、 全体の空気も勢い任せで捻れていく面は否定できないようです。

 

 

 

常識がない(og談)

 

 

 

国内でも生活年数が少ないため、また人格がある程度固まっている高校入学時点で日本の文化を知らないため仕方がない面もありますが、 常識がない人が多い、と感じる子もまたいるようです。

 

 

 

こうした事情から、無理して推薦を狙いにいくことで中途半端な逃げ方をするよりも、 浪人してでも基礎学力をしっかり叩いてからスタンダードな進学の仕方をした方が、国内組からも多く受け入れられ、 また自身も可能性を広げられると考えますが、学校側としては浪人を薦められるわけでもなく、難しい判断とも言えます。

 

 

手応えとしては異文化理解のために1年を費やし、順応してから標準的な訓練については2年生から始める、という学校です。

ICUHSは主に対人コミュニケーション能力で抜群のものを持つ子が揃い、また育つ学校だと感じます。 多くの国内組の学生が持ってないものを持つ反面、主に地道な訓練を積み上げていないため敬遠されることも多い学校かもしれません。 つまり標準的な国内の学校と比すると水と油です。

しかしいつまでも言語・能動的なコミュニケーション能力の高さだけで押し切れる時代では既になくなっています。 これは他校の父兄に対しても伝えているメッセージですが、親世代が20代30代の頃は今のように生活に テクノロジーが入り込んでいる世界観でもなければ、文理にまたがる理解なり学習が必要とされず、 雇用環境においても技術職と事務職が別枠として採用されるのが当然でした。

しかし今はベンチャーや研究職も含め、事務方だから科学技術に理解がなくても良いという世界でも、 技術者だからコミュニケーションをおろそかにしても問題ないという時代ではなくなりました

この事実からしてICUHS生も時代の変化に歩み寄る必要がありますが、現状ではその受け皿は未だ整っていないように思います。


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渋幕OBOGの著名人

全国の共学人気の台風の目

 

新興勢力ながら首都圏共学トップ校であり、全国の共学人気の台風の目となっている渋幕。 御三家や京阪神の上位校と比しても内部の空気の良さは指折りです。

 

男子校の学生は言語・対人コミュニケーション能力が極端に落ちる傾向があり、女子校の学生は数理科学が弱い傾向が 顕著にあります。共学はバランス型の学生が多いものの、合格実績は男子校/女子校と比して落ちる傾向があるため その意味での人気を落としていたのですが、広義の学力を真剣に捉え始めた家庭を中心にここ数十年で急伸して来ました。

もはや入り口付近では、特に女子はoinと同格であるためポテンシャルは抜群で、 コミュニケーション能力にも問題を抱える子はさほど見当たらないため、その意味でも安心できる子が多いのが 渋幕の特徴であり、主にこの辺りに大きな可能性を感じる学校です。

 

 

御三家落ちのポジション(特に男子)

 

 

 

最近では「oin/JG蹴って渋幕」をよく見るようになってきたため、女子は才能が集まる傾向があると感じますし、 勢いもありますが、男子に関してはまだまだ御三家落ちのポジションの手応えがあります。

 

どこの共学も優秀な女子学生を集めることで、それに引っ張られる形で男子学生を引き上げようとする傾向がありますが、 男子には実績以外の面でも頑張って欲しいなと思う面があります。東大合格者数が全てではありませんが、 理Ⅲの内訳を見ても渋幕の名前はポツポツといった印象です。

もちろんこれは裏表で、東大にこだわらない・ 海外進学組も毎年数名いる・高校受験枠がある・入学時点で帰国子女枠がある・スポーツ推薦もいるーといった出口/入り口での diversityを確保しているのが渋幕の良さでもあるのですが、学校のサイズを考えるとやや寂しい数字です。

かといってhigh achieverでも女子で数理科学が抜群に強い、というタイプはまずほとんどいないため、 この意味でも御三家や灘神女あたりと比べても、尖り方がやや落ちがちです。

 

 

 

 

文化祭にて

 

 

陸の孤島

 

 

 

渋幕の最寄りの一つである海浜幕張は、圏内では屈指のよく整備された街ですが、さすがに渋谷や麻布十番、 水道橋といった街と比べられるとアクセスの便の悪さは分が悪い面があります。そして移転でもしない限り、これは変わりません。

 

単にアクセスが悪いだけならばさほど問題ではないのですが、残念ながら千葉県内には渋幕と学生の粒の揃い方・ 実績で張り合えるような学校はありません。加えて都内へのアクセスが悪いため系列校である渋渋とすら交流がない学生が殆どです。

これが都内に立地する御三家や駒東、海城あたりであれば事情が変わり、個人単位でも頻繁に接点を持つことができるのですが、 情報が入ってこないという点では大いに劣位にあり、その結果いろんな面でお山の大将になりがちです。

SNS上でも他校の同世代と絡んでいる場面はほとんど見ません。いると思えば帰国子女やディベート・模擬国連の子達ばかりであったり、 極めて限られたタイプの学生に留まっているようです。

 

 

カリキュラムの弱さ

 

 

 

もちろん学校教師にも様々な方がいらっしゃるので一概には言えませんが、灘やJGあたりと比べても、 カリキュラムに特段の強さは見当たりません。とりあえず学校に通っていれば受かるラインには乗るかもしれませんが、 そこで突き抜けた能力を磨くというのはやはり難しさを感じます。

 

その中でも突出した才能が稀に出てくるのは、土壌が豊かであるというよりは個の資質頼りになっている面があり、 物理部のロボコンのように蓄積がされている部活動も少なく、科学オリンピックでも名前を見ることは未だ少ない状況です。

この辺りも日頃から都内の学校との交流があれば、あるいは京阪神の数理科学に強い学校の面々と交流があればまた話は違いますが、 陸の孤島であること、新興勢力であることがマイナス要因になっています。

 

 

塾の選択肢の少なさ

 

 

 

場所が場所であるがゆえに、都内と比べて塾の選択肢が、多様性以前に数がありません。 そのため都内組以外はビデオ講座一択になりがちですが、 垂れ流されるものを一方的に聞いているだけなので合わない子は全く合いません。

 

どんなに歴史や実績に強みのある学校でも、全てを兼ね備えた学校は存在しません。それは各校で自由の定義が異なるのと同様で、 渋幕といえども全ての学生を全方位的に才能を伸ばすことは出来ません。

私塾は学校・クラス・学生単位で見たときに物理的なキャパシティを超える指導を提供することに、 まず多くの家庭にとっての存在意義があります。 その上で学校では提供し得ない、全く異なる場;言わばインターリーグを提供するのが学外で指導を提供する側の大きな目的です。 陸の孤島に留まりがちな渋幕生にとっては、単に科目学習がどうのという次元ではない問題として、 これは大きな課題(後述)を抱えていると考えられます。

 

 

1学年のサイズ

 

 

 

開成・麻布を除く御三家や筑駒、灘・神女・大阪星光・甲陽学院といった上位の学校は、どこもサイズは200前後であるのが通常です。 このサイズがちょうど同期を互いに強いつながりを持って把握できるギリギリの数字であるためです。

 

他方で渋幕は1学年が350とかなり大きいサイズであるため、学校全体での一体感というのはなければ、 同期でも把握していない間柄の学生が多くいるという寂しさがあります。

体育会系や舞台系の部活動は縦のつながりはあるとは思いますが、それも3つ以上離れたならば実質切れてしまうのが通常です。 内部での結束力はいうほど強くない印象です。

父兄からすれば学校のサイズは気にならない点かもしれませんが、 学生からすれば一体感がないというのはもの寂しさを覚えるものもあれば、学校に対する思い入れを低下させる引き金になります。

自身の学力なり能力の高さに相応の自信を持つ学生が集まる渋幕が、しばしばややドライな印象を与える、 時もあるのは主にこれが理由だと考えられます。

 

 

OBOGの学校への愛着/訪問頻度

 

 

決して渋幕に愛着がない、ということではないとは思いますが、陸の孤島状態であるため、 OBOGが学校に帰ることはさほど多くないようです。これも縦のつながりの弱さに拍車をかけています。

物理的な接触頻度が落ちてしまえばつながりが弱くなるのは当然です。同期ではつながりはあっても、縦には繋がりにくいのは、 男子校/女子校と比べても感じます。

 

 

共学であることから異性に対して最低限配慮できるコミュニケーション能力は身につく利点があるのは確かで、 それは男子校/女子校の子たちが持ち得ない競争力です。 他方で男子校には無い種類の幼さを感じることがしばしばあるのは、主に尖り具合が甘く、また自身でもその自覚がある子が大半であるからだと思われます。 その意味では渋幕は外的ショックにいうほど強くない印象です。

 

 

歴史がなく部活単位での蓄積もないため、これだけは絶対に負けない、というものを持っている子が少ないんじゃないでしょうか。 いたとしてもそれを後輩に引き継ぎできる明示的な、あるいは暗黙の制度があるわけでもなさそうです。またこれは前述の通り、 カリキュラムの弱さと裏表であると考えられます。

歴史の浅さからくる柔軟性と、厚みからくる学校全体の競争力の保持はトレードオフの関係にあるものの、 各科目や分野ごとの鋭さは外部の人間に習う必要があるものは多々あるのではないかと感じます。

多様性がある程度確保されている渋幕といえども、内部に6年間留まっていれば同質化されるのは他校と同様です。 恵まれた才能・資質を磨くためにも、郊外にいながらどれだけそれを自覚し、外に出ては渡り合えるかが問われていると言えます。


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ドラッカーとクリステンセンの著作を参照しつつ、中等教育の問題を概観します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殆どの父兄は子供が山のような課題をこなしているのを見ると安心するため、 詰め込むタイプの塾に通わせたがるものですが、 その弊害は恐ろしいものがあります。

 

 

父兄が長期において望むものは何か

 

 

 

父兄は長期において何を望むのでしょうか。ほとんどすべての場合、 長期持続的にわたる収入の安定確保、 と答えることでしょう。

 

多くの進学校に通わせる保護者は資格や学歴を望みます。しかし資格は資産ではあるものの、 固定したキャッシュフローは約束しません。そして資格から得られるキャッシュの出所は国家の資産です。 よって国力が落ちれば資格の価値も減退するわけですが、 国内の経済成長に長期に渡る停滞は誰もが知るところです。 また学歴は学力水準の下限を裏付けても、生産性の高さの裏付けにはなりません。

では収入を安定確保するために必要なことは何でしょうか。公共機関であれば成果を上げることであり、 企業であれば持続的に営利活動を行うことです。ただし利益というのは企業にとって行動基準にしかなりません。 利益がすべての目的ではなく、持続させることが重要となるわけです。

しかしこの持続のためには、単調で均一な拡大成長というものはあり得ず、 大きなきっかけをなす破壊的イノベーションが断続的に必要となります。

 

 

持続的イノベーションと破壊的イノベーション

 

 

 

 

クリステンセンの3部作の一つ。 日本人が大企業信仰から抜け出れないのは、 持続的イノベーションを万能視し、 また破壊的イノベーションを生み出す 教育を受けていないためであることがわかります。

 

ここで学んでいただきたい言葉があります。持続的イノベーションと破壊的イノベーションです。

 

そもそもイノベーション(技術革新)とはなんでしょうか。科学的な文脈におけるそれよりも、 経済学的な文脈におけるそれの方が重要です。すなわち、それが起きることによって人々の生活水準が上がり、 より幸福な生活をもたらす製品や技術の浸透のことを指します。

持続的イノベーションとは、その中でも漸進的な変化のことをさします。 自家用車がモデルチェンジを繰り返してより快適で便利なものと変わるような場合です。 大企業や公的機関の多くが得手とするところです。

他方で破壊的イノベーションとは、インターネットやスマートフォンが出てきたときのように、 それにより産業構造自体が劇的に変化し、人々の生活のありようそのものを変えてしまうようなものをさします。 そのため 破壊的イノベーションはそれまででは考えられなかった範囲と深度で多くの人々に影響を与え、 富の再分配がなされます。動きが速過ぎると今日のアメリカのように社会に不安定性をもたらしますが、 それは政策レベルでの対応の仕方の問題です。破壊的イノベーションそれ自体は 経済成長を続けていく上で絶対不可欠なプロセスです。

 

 

破壊的イノベーションを阻害するオタク気質と内輪意識

 

 

 

しかしここで大きな問題が一つあります。優等生は多くの場合これを非常に苦手としている、という事実です。

 

オタクや内輪で固まるタイプは、組織を維持改善するために、あるいは生活上必要なことでも、 「関心がない」ことは全く学ぶ意欲を示さない、強い傾向があります。主にこれが社会不適合や、 人間関係を苦手にする引き金になります。 外から来る偶発的な事故や不確実性を前にすると、 備えがないのでお手上げになる。これが破壊的イノベーションを阻害してしまうわけです。

多くの優等生や父兄が望む「安定した」職業というのは、持続的イノベーションを手がける組織であって、 それ自体産業構造を変えません。よって周辺にも大きくポジティブな効果が顕れません。 加えて東大や医学科ばかりを望むのは属性による議論であり、 状況判断に基づくポジティブな判断とは到底いえません。

破壊的イノベーションを起こすためには、学業のみならず、事業全体を見渡せるだけの視野の広さが必要になります。 次に人を動かすリーダーシップ。必ずしも万能な能力は必要とされないものの、 部下や組織内外の人間を生かしながら動かすためには、人の考えを深く理解する力が何より必要になります。 しかし多くの優等生は互いに干渉しない傾向があり、またそのほうが楽であるため (つまり鍛えられていない)、この備えがありません。

第三に技術に対する理解。主に文系側はお手上げで、理系側の人間との断絶も激しく、 十分なコミュニケーションが成立しないことは、東電やJAL,日銀をはじめとする国内の大企業の失敗にも見られます。そして大企業の多くには破壊的イノベーションを起こす力が無いことを示すかのように、これらのいずれもが自力での立ち直りと信用回復が出来ていない状況です。また多くの医療機関においてもビジネスを自ら生み出す力は持ちえません。そのため全くの外野である戦略コンサルに頼り、 更には失敗することも多々あります。

「理系は英語ができなくても通る」「数学ができないから文系」と言った後ろ向きな選択肢を取り、 また学習に時間と労力を割かない学生が後を絶たないため、こうした断絶がもたらす影響は、 持続的イノベーションのみでギリギリ持ちこたえることが出来ていた、 父兄が20代30代だった頃よりも深刻な影響をもたらします。

持続的イノベーションだけでは大企業や組織、産業は持たない、という事実があります。 そうであるがゆえに大企業というのは30年持たずして姿を消していくのですが、 この根本的な問題に優等生はその生い立ちからして解を持ち得ないのです。

当然、多くの父兄の期待に応えることもできないでしょう。また運良く持ちこたえたとしても、 自らその手で多くの人々を幸福にすることはできません。

 

 

中高一貫で量産されるオタクと醸成される内輪意識・同質化された共同体

 

 

 

では教育現場の実態はどのようなものなのでしょうか。

 

 

多くの中高一貫では、高校受験組と比して進学実績は圧倒的に良いですが、 反面オタクや狭い仲間内としか付き合わない学生が、 公立組と較べても量産されている事実がまずあります。

 

優等生やオタクの場合、大企業や官僚機構に順応するのは得意ですが、意識が集中する方向にばかり向いているため、 破壊的イノベーションを起こすベンチャーや小規模の組織で十分に機能することを不得手としています。

破壊的イノベーションにはリスクテイキングな行動と、水平的な視座からマクロや業界内の動向を丁寧に把握する力が不可欠で、 そのためには異質な他者との対話が必要になるわけですが、いずれをも苦手としています。

またそのプロセスにおいて創発的破壊(マネジメントが意図せずして起きる、 顧客からのポジティブな反応による事業の変化)も起きますが、過剰適合で視野が狭く、 それはそれとして活かせず、看過してしまいます。

 

 

破壊的イノベーションを実現するための教育の不在

 

 

そして現状中等教育においても、学部教育においても、 その旨の十分な教育は提供されていません。学校教師の許容範囲を大幅に超えることでもあれば、 父兄もそれを望んでいない、というよりはむしろ、 その重要性に気づいていないためです。

肩書きや属性を確保するため、進路選択においても保身に走りがちです。保身に足りうるだけの収入を、 手前の私的な投資の見返りとして得る分には批判を浴びない筈ですが、 そもそも多くの場合国の投資やら、 経済格差の固定化からくる優位な私的財産を投じられているにも拘らず、波及効果の弱さを実現してしまうため、 大多数の第三者からは不信感が募ることになります。

勿論そこには故無き嫉妬や怨嗟が絡むこともありますが、 国民経済を実現しうる程度の、言い方を変えると高度成長期からバブル直前期にかけてかつてあったような、 富の波及効果を生み出していない事実に変わりはありません。

他方で(教師・学生共に)当事者は自閉傾向が強く自覚が無かったり、あるいは逃避している場合も多々あります。 そもそも学校教師は科目指導が主なミッションでもあれば(向き不向きもあれば)、 それ以外にも山のような仕事があり、上記のような重い課題にまで 手が回らない状況です。更にいえば、 進学校の多くの子たちが自身の表情を表に出したがらないことも、こうした背景と無関係ではありません。

なすべきことは長期にわたる経済成長を実現するための、破壊的イノベーションを断続的に産み出す人材を育て上げることなのです。

 

 

多様性;人と向き合う意識と環境ーが価値を生み出す

 

 

 

そこで重要となるのが多様性(diversity)です。多様性が文化障壁を立て、価値を生み出す土壌を備えさせます。 しかし中学受験の頃から同質化された社会を温存している中高一貫や、 その先にある東大その他でこれを確保するのは不可能です。

 

そしてその空気に嫌気がさした一部の子は、海外進学をしたり、私どものような、 異質な他者との対話の場を重視する共同体に属することになります。

多様性が確保されていないと、どこに文化障壁を立てるべきかがわからなくなり、 よって価値を生み出す力を失ってしまいます。誰が何を欲しているか、そしてどのような組織を誰を対象として作り、 維持し、拡大すれば良いのか、わからなくなってしまうわけです。 それも小学生の頃から、 同質性に満ちた環境で形成されたidentityと深く結びついたレベルで。そして人格形成は高校卒業時でほぼ終わってしまいます。

人間関係が希薄なタイプは人を束ねることができません。よってマネジメントができず、 この人材は人を導かないということになります。ついているポストがどのようなものであれ、 周辺と連携するには誰もがマネジメント能力を必要とします。

制度や属性で切り分け、問題を解決するのではなくなんとか自分だけは回避しよう、という姿勢をやめ、 如何に問題を直視し、これを乗り越えていくかというポジティブな姿勢が父兄にも求められています。


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最近プレゼンスを落としてる麻布ですが、灘とも先代の校長同士が懇意の関係にあったこと、最近麻布に接点が出てきたことから 手にとって見ました。

 

 

 

 

 

 

麻布文化祭にて

 

 

公立に近い一貫

 

 

 

まずこの本自体がさほど整理がついていません。インタビュー形式で手を入れていない良さもありますが、 やや冗長です。またありがちな話として、 タイトルに「謎」の一言がつけられていますが、 いうほど謎な部分はありません。

 

教師の純粋培養率(obが占める比率)が1割というのは、diversityを確保する上で絶対的な競争力になります。 麻布の一番の強さはここにあると思います。純粋培養率が高すぎると自ら体質を変えるドライブがかからなくなり、 特定の方向に弱点が深化していきます。(たとえば教師に理系の変人が多すぎると常識が無くなり、 頭の固い文系が多すぎると実態を生み出すための思考なり技術をが身につかなくなります)

 

 

 

プログレス21

 

 

 

麻布がプログレス21を使ってるのは前から知ってました(市川の評判の悪い以前の校長が麻布出身で、麻布を真似て導入した話も知っている)。 プログレス21の一つの利点はnativeが書いているためよりシャープなスタイルで身につけることができることですが、 果たしてそもそも対話が苦手な男子学生に合うのかという問題があります。

 

ただ麻布は国語ではかなり書かせるので、書き言葉には耐えられるかもしれません。 他方で話し言葉はまた別の能力なのでこの点は下記にもある通り耐えられるかは疑問。 周辺の麻布生を見ていてもそれは感じます。

 

 

高校受験枠の不在

 

 

高校受験枠を増やしてdiversityを確保したほうがいいのは他校と同じです。中学から入ってきた子供達は居心地は良いでしょうが それに浸かりすぎて幼児化します。純化されすぎると不確実性によるショックへの耐性が急激に落ち、 また器が小さくなります。

その点開成、渋幕、灘といった高校からの枠がある学校は、そこに異質な人間、それも雑な扱いをされがちな公立で 生き抜いてきた子を加えることで違う空気を齎すことができるようになります。人としての強さも備える高校受験組みの大半は、 確実に一貫組が持ち得ないものを持ち込めるため、学業以外の面で大きなポジティブな影響力を発揮します。

 

 

アルバイトOK

 

 

アルバイトokなのは高評価。職業体験がないと人格形成上生きていく上で何が必要かがわからなくなるものです。 幸い港区には優れた企業がゴロゴロあるので、 その辺りも活かせるようになったら学校としては相当強いと思いますが、そこまで気が回ってるようには見えません。 この辺りの対応はSFCHS辺りが強さを備えています。

 

 

「勉強しなくても受かる」は強調しなくても

 

 

この本を通じて再三出てくるフレーズであり、おそらくは少なからぬ割合の現役生がプライドを持っている、 「麻布生は勉強しない」と、「集中力がある」の二つ。そもそも中学受験で下地を作っていることは 他の一貫生と事情は同じなので、さほど強調しなくていい気はします。そしてこれが公立に近いと感じる一番の理由です。

「来るべくしてきている上の1/3」「受験勉強頑張った真ん中の1/3」「なんでここにいるのかわからない下の1/3」 と分けられる東大生ですが、売りにしてる競争力の中核がこれであるならば、真ん中寄りの子は多いのかなとは思います。 文化祭の展示の完成度もグダグダなので、集中力を売りにするのであれば高い完成度のものは見たいところです。

 

 

対話の強制ができるかどうか

 

 

英語指導について過保護との記述がありましたが、要するに対話を強制できるかどうかにかかってるんじゃないでしょうか。 書き言葉では限界もあれば自分から逃げられるので成長しません。スキル以前に姿勢の問題かなとも思います。 そしてそれが徐々にできなくなっているであろう点がかいま見えるところに、今の麻布の限界をやや感じます。

野生を残しているのが麻布の良さだと個人的には認識してますが、言葉が丁寧に出てこないなり、 対話の経験がさほどないことは他の男子校と大差ないようには思います。政経の授業の冒頭で、 「センターで点が取りやすいからよく聞け」と学生の注意を集めるよう仕向けるとの記述がありますが、 難易度が低かったのも数年前までの話で、今はそれで通用しません。

尤も学校側もわかってるとは思いますが、他者との対話の基礎を身につけるのは倫理政治経済くらいでしか期待できないので、 ここは頑張ってほしいなと。

 

 

生徒との距離の近さ(とはいえ全員は無理)

 

 

学校の先生側が生徒一人一人を見ている強度が違う、というのは実感としてあります。 とはいえ1学年300近くいる生徒の全員を把握している教師はまずいないと思いますが。 麻布がまだ持ちこたえている一番の理由は、 体制側にあるのかなと思います。(生徒側は環境要因でいくらでも大きく影響を受ければ、 自分を客観視できている子は、通常欧米圏の海外進学を考えている子+アルファくらいだとも)

麻布の受験者数が落ちてるのは、はっきり言ってしまえば親の器の狭さが直接の原因だと思われます (受験指導を望みすぎて学生が幼児化しても構わないと言うスタンスにシフトしています。当然これが学生を甘やかし、 人を束ねる力を失わせ、器を小さくさせる大きな原因となります)。

さほど気にする必要もないかと思いますが、それで粒が揃わなくなり始めると学校の競争力として相応の危険はあるのかも。 JGも一時期不人気になりましたが盛り返してきたのも、あの文化が絶対無二のものであり何物にも変えがたいと認識されているため。 ですが、根がプロテスタントの麻布ではあるものの、今はその翳はありません。麻布の「自由」を定義するためには 歴史を振り返る必要があります。そこを見失いかけている気もします。

 

 

自校を客観視する姿勢を

 

 

「最終学歴・麻布」で十分やっていける教育、というのはさすがに言い過ぎです。他校を見ればその言葉はまず出てこないでしょう。 どこの学校の学生も自校を万能視して外の学校の事情を知ろうとしない傾向があり、 そこから盲目的な万能感が生まれがちだという話は常々していますが、麻布はその典型に見えます。

この本全体に言えることですが、科学の要素が話に出てきません。つまり麻布らしさという要素の中核に、 科学の競争力が挙がることが少ない、 ということを意味しています。自由は各校の歴史に裏打ちされ、その積み重ねの上に定義される固有のものですが、 それ以前に物理的な限界を理解させる科学への理解が表に出てきていないのは弱点と言えます。


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読みなれていないなら選り好みをしない


男子学生、特に男子校生の中には、「生まれてこの方新書や小説など読んだことがない」 という学生がゴロゴロいます。また女子学生でも新書を読まない子は沢山います。 そうした学生にとって何を読むべきかというのはきわめて難しい判断でもあれば、 裏を返せば自分以外が住む世界のことを 全く知らない、ということを意味しています。 そしてこれこそが、「キモい」「人の気持ちが判らない」 と批判されるような人間が量産されてしまっている、大きな原因の一つです。

こうした学生にとっては読む対象を絞って手に取ることは得策ではありません。 ここではとりあえず、思いついたものを5冊程度挙げました。 ジャンルもテーマも全くランダムです。一週間弱で1冊程度を読むことを想定しています。 また翌月別の5冊を取り上げる予定です。



同世代である主に10代の女子学生の日常を描いた短編集。角田光代や島本理生といった、どこかで名前は聞いたことがある、 かもしれない(有名な)作家の名前が並ぶ。「こんなもの何が面白いのかわからない」と決め付けるのではなく、 同世代の女子がどういう感覚でものを見ているのか、そういう視点が新鮮に映るはず。多数の作家が短編を寄せているため、 話も短ければ各々のカラーが出ていてとっつきやすい。テーマがテーマなので複雑さもさほど無い。


世界大戦で連合国側が敗れていたら、という世界観のもとで展開する群像劇。作品全体を通じて易経で意思決定を下す場面がある。 ユダヤ人はユダヤ人であることを伏せ生活し、易経も連合国側に日本が押し付けたものである、という前提。武器・骨董商人、詐欺師、 柔道の講師の女性、日本の将官と言った主要な人物が各々互いに交錯する。
なおこの作品はamazon primeでドラマ化された。amazonが手がける作品としてはトップの売り上げとなっている。




プロダクトデザインからはじまり大企業のコンサルティングまで手がけるIDEOのケーススタディをまとめた本。 ファインアートに関心があるのであれば適切ではないものの、多くの学生の「デザインとは何か?」と言う問いに対する 現場での例示を示してくれる。classoncloud(coc)の授業でもサブテキストとしてしばしば利用。




清朝末期から文化大革命にかけての親子3代にわたる伝記。著者は言語学の博士号取得者。 全3部作だがいずれも壮絶なドラマを描いている。祖母が将軍の側室となったときの話から始まるが、 纏足をはじめとする当時の習慣が以下に理不尽であったものか、その苦労ぶりも描かれている。 この辺り宮尾登美子の「櫂」を彷彿とさせるが、それ以上の過酷さ。 不安定化するアジアを考えるにあたり、その主役である中国を理解するうえでも役立つ本。


著者はMIT sloanの経済学の教授。2000年代以降続く、技術革新の性急な導入が、 2000年代後半から露わになる、雇用環境を破壊し続け9%にまで及ぶ、 高い失業率が変わらない状況に警鐘を鳴らしている。コチラも授業で使うテキストの一冊。 ちなみに表題はrage against the machine の parodyと思われる。



classoncloud(coc)ではしばしば各自が読む書籍を持ち寄り、それを互いに紹介することで、新たな出会いの機会を提供しています。 互いに関心がある分野で評価が高い書籍を紹介しあうことで、アンテナの感度を保つことも出来ます。

理系の学生・男子校生は特に、自分の世界を凝視しすぎて周りが見えなくなりがちです。自分とは全く違う時間軸を追体験できる 優れた作品が、自分の立ち位置と人間に対する理解を深めてくれるはずです。学力以前に人間そのものの魅力を磨く 後押しをしています。


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こんにちは、灘68回で現在は都内で浪人中(^^;)の原です。今回の記事は先の開成文化祭に(気分転換に)お邪魔した(with鈴木さん)際の twitterでのまとめを元にしたものになっています。
僕は灘では化学部に属していたのですが、いろいろと大きな違いが見られ、新鮮さと驚きを感じました。 是非ご一読ください!

 

 

 

 

 

開成文化祭!

 

 

 

 

 

 

 

今回は、駿台実践トップ5入りしてたしりあいや、灘での後輩といった知り合いを見かけることができたo(^_^)o

 

後輩さんは文化祭で交流があり、招待されてわざわざ開成に来ていたようです(鈴木)

 

 

物理部

 

 

 

 

 

 

 

物理部は電子工作に関する展示が殆どで、現象を説明する器械はほぼゼロ。親子連れが長蛇の列を作っていた (恐らく一番人気)。体験版の展示が多く、それで遊ぶ子の親が座って待つよう、イスを用意するという心遣いに感動した。

 

 

 

自作の電光掲示板!

 

 

 

 

満面の笑顔!

 

皆が木製やダンボール製のプラカードを掲げて宣伝する中、なんと物理部は自作の電光掲示板をヘルメットやプラカードに貼っつけて 宣伝していた!うちのクラブもこういうユニークな宣伝をしても良いのかも!?

 

 

 

サイレン

 

このサイレンなんかも、遊び心がありますよね。それ自体何の意味があるの、ということではなくて、純粋に見てて楽しい。 お客さんを楽しませようという気持ちが顕れています。そんなわけで、毎年物理部は投票でも上位に食い込んでいます。
ものづくりの精神の根幹である、楽しんでもらうという気持ちが中心に根付いている物理部は、 大概理系は奇人変人の巣窟になりがちである中、全国レベルで見ても中々無い、僕も好きな部活動の一つです。(鈴木)

 

 

 

生物部

 

 

 

 

食用ゴキブリ

 

三宅島の植物採集と飼育している生き物の展示。タランチュラを飼育しているのは驚いた…。あと食用ゴキブリって羽根ないんやね。

 

特に女子学生はぎょっとすると思ったため、引いた写真を上げておきました。実際のところはそんなグロテスクなものではないのですが。 写真にはありませんが、タランチュラも中々の迫力があります。普通にクワガタなんかも展示していましたが、完全に食われてました。 ここまで多様な生物を管理できるのも、学校が生徒を信頼していることの一つだと思います。

 

 

化学部

 

 

 

 

 

開成の化学部は、昔は班ごとに分けて研究していたらしいが、ここ最近は個人で研究している。が、 また以前のようにしようという話が出ているらしい。 自分達の日頃の研究成果の部内に発表するのと勉強会と旅行を兼ねた合宿が毎年あるらしく、うちもやれば良いかも、と思った。

 

灘の場合、部活によらず個人プレーの色が強くあります。そのためチームで何かを作り上げるという展示・発表はまず見ません。 学生の体質の違いが色濃く出ているとは思います。

 

 

 

化学部の展示は、太陽光電池(のハズ)、銀鏡、銅鏡、エステル、ガラスと高校範囲に収まるようなものだった。 研究成果を発表するのも良いなと思う反面、子どもウケは厳しいなとも思った。 液体窒素を使った演示実験をしていたが、改めてお客さんにウケる実験の少なさを実感した。

 

おそらく化学部の子達は生真面目なのだと思いますが、実験が終わってしまった後のせいもあったものの、 客足はさほど多くはありませんでした。
部誌のバックナンバー。しっかりと後輩へと蓄積が受け継がれている。

 

化学部に限った話ではないけど、どの部活の部誌も、所属する部員のフルネームが全員分記載されてた。 開成では体育祭がかなり盛り上がるというし、体育会系の仲間意識の強さみたいなものが反映されてるのかな、と思った。 科学部全般で後輩への教育がなされてるのも、それが一因?

 

開成の運動会の本気ぶりは良く知られているところで、たとえばあれを灘でやろうとしてもまず無理でしょう。 運動会で培われる組織力がまずあり、その意識が自然と後輩への教育もなすべき、という方向に向けられるのだと考えられます。

 

 

折り紙研究会

 

 

 

 

 

 

初音ミク

 

折り紙研究会。駒東と比べて、完成度の高いものがたくさんあった。ほとんどが一枚の紙から折っているらしいが、 どう見てもそう見えない…。(°Д°;)初音ミクが折り紙で作られたの、初めて見た。

 

 

 

俳句部

 

 

 

 

 

俳句部。男子校で部として存在するのは、ココだけかも。俳句甲子園にて今年初めて優勝を果たしたというのだから、更に驚き(゚o゚;;

 

人数が多い分、うちでは見ないようなクラブが沢山あった。

数年前の世代は京都の洛南が強かったのですが、開成がとったというのは驚きでした。 開成は1学年400人程度いるため、様々な部活を維持存続しやすいというのも、懐の深さの一つの要因だと思います。 他にも社会科学研究会や数研、マジック、天文などもあります。

 

 

ポケモン同好会

 

 

 

 

 

 

イーブイ系の人気投票!
僕はブースターに

 

ポケモン同好会。有志が文化祭限定でやってる。的当てだけでなく、ポケモンのタイプ相性を使ったじゃんけんや絵しりとりがあり、 面白いなと感心した。部員達とのポケモンバトルができるブースもあり、学校内でバトルすることを公的に認められているのは羨ましかった笑

 

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

・人数,クラスが多い分、色んな展示があり、規模が大きい

 

・体育会系の仲間意識が文化部にも反映されてるように感じた

・親子連れやJKが多い

・灘と開成は比較されがちだが、クラブの運営方針や生徒の雰囲気など違う所がゴロゴロある。

首都圏随一の知名度、立地のよさ、生徒数の多さ等からプレゼンスの高さを維持している開成。運動会に限らず、 全体として縦の意識の強さを随所に感じます。灘や筑駒ほど自身の関心の対象を突き詰めていく学生はさほど多くはない印象は あるものの、内面に入れ込んでしまう子は少ない傾向があり、よって父兄の皆さんとしても、 通わせていて安心感はあるのかもしれません。

他方で学校のサイズが大きいため、同学年でも知らない子が100人以上いるという学生が多いようです。 これは少し寂しい現状です。それを半ば補う形での運動会での組制度等があるのかもしれませんが、 外から見ると組織単位で、運動会中心で回っているため表情が見えにくく、部活問わず、実績がどうのということではなく、 HPやfbページ、ブログその他での交流を通じて、日ごろから外部に情報を発信する活動があると良いのではないかとも感じます。

浪人率もやや高く、一概に悪いとは言えませんが、サイズの大きさからやや生活が冗長になってしまったり、 ありそうであまりない学外との接触の機会などが原因で、矛先を見失いがちになりそうであるならば、 自分らしさを養うという面において、開成もまた一定の課題を抱えているといえそうです。


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受講生ob(岡山医1年)

 

英語が苦手な2人

 

 

 

 

受講生が受講をはじめて3-6ヶ月ほどが経過しました。授業回数にして、数十回を積み重ねています。 国語・英語両方を受講していただいている生徒さんは30回近くになっているかと思います。  先日、授業の終わりに受講生2名に簡単にインタビューしました。 

 

 

Sくん:筑波大附属駒場高校3年(63期)。東大理Ⅰ志望(その後現役で合格)
Kくん:灘高校2年(68回)。京都府立医科医学部医学科志望(その後現役で岡山医合格)

 

 

少人数指導では、受講生から直接感想や要望を聞き、できるだけ指導の改善を図るとともに、 ここは譲れない、という講師側からの要望や主張もはっきりと行い、双方の折り合いをつけていけることが利点です。 これにより本人の感覚レベルで最適化され、修正のため生徒への深い理解で下支えします。

 

 

 

 

自然体で習慣を定着

 

 

「受講をはじめて数ヶ月が経ちました。国語・英語どちらでもいいので、感想があったらいただけないかなと思います。」 

S「放っておいたら何もしない国語に、コンスタントに取り組む習慣がついたと思います。」 

K「やはり部活を終えて疲れていても、部屋でゆったりと学習に取り組めるので、頭に入りやすいです。 英語を読んでいても、スラスラと読みやすくなったなと感じることが多いです。

 
 

数ヶ月の指導で成績に効果が

Sくんのスコアの変化

 

「ふたりとも理系だから、文系科目はどうしても疎かになりがちですね。その中で、 課題を無理に大量に出したりせずとも、 週一回の集中した学習で効果が上がるような指導になるように、つとめています。 具体的に、成績向上が見られたという出来事はありましたか?」

 

K「センター英語について、受講前の夏には140点程度だったのですが、先日の模試では 170点に上昇しました。」 

「模試で170あれば、本番レベルでは9割安定すると思います。順調ですね!」

 

S「理科で失敗したのですが、いつものように文系科目が足を引っ張ることはなく、 国語の校内偏差値も60を超えました。  むしろ、古典では上位に食い込んでいました。東大実戦模試でもA判定が出ています。」 

 

 

学校の授業との相乗効果

 

 

「ふたりとも順調で何よりです。。学校の指導と比べていかがでしょうか?」

 

S「学校の国語では、教師それぞれが個性的な授業をなさるので、受験に向けて正統的な学習ができるので安心できます。」

 

K「英語は、学校ではスピード・処理能力重視の授業が行われているので、 classoncloud(coc)でのじっくりと単語を眺めて考える読解は役に立ちますし、 学習スタイルのバランスがとれています。 なにより、英語に取り組む時間が増えました。」 

 

 

総括

 

 

基本的な立場として、丁寧な訳読(※1)を行うことを心がけています。訳読方式は古めかしい、 時代錯誤的であるといわれていますが、文章が含意する微妙なニュアンスまでを正確に汲み取るためにはこの方法が最適であり、王道です。

(※1 授業では定型文を丸暗記させたり、文法用語を片っ端から覚えたりということはありません。※)  毎回読み進める量があまりに少ないので、心配になるかもしれませんが、『細かいレベルで見たときにあいまいな読みでも、 充分だろう』と妥協を続ければ、いつかはぼろが出てきます。

この方針は二人が現時点では英語が得意科目としていないからであることがその理由ですが、 受験をすぐ先に控えているSくんに対しては、今後はスコア確保のためのスキルも確認するようにしていきます。)

 

毎回の歩みは少しずつですが、大した詰め込みをすることなく、精神的負担もかけることもありません。 10回以上受講された生徒さんからは、成績向上の声が聞かれています。  当然、これらの受講生は既に一定の学力を有しており、 持っているものが非常に優秀ですが、 そこからまださらにレベルアップを図ることができていることは注目に値するでしょう。  このように実際的な力の伸びを積み上げていくことで、次に繋がるより積極的な姿勢を後押しすると思います。


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