(今回も、私小山田が感じたことを雑多につづっていきます)

 

88. CarpentersのOnly Yesterdayの歌詞における倒置

 

2023年は、1970年代を中心に活躍したアメリカの兄妹デュオ・グループ、カーペンターズのヴォーカリストだったカレン・カーペンターさん(1950~83)の没後40年です。

今回は、1975年に発表したOnly Yesterdayの歌詞を取り上げます。この曲は、孤独に耐えた主人公が、ようやく巡り合った人によって悲しみを過去に捨てて前向きに生きようとする内容です。

 

その中で、「倒置」の用法が使われている歌詞があります。倒置用法とは、通常「主語+動詞+目的語か補語」の語順が、強調や長い主語を避けるために語順を変えることです(以下、通所の語順→倒置の語順)。

 

例1.All you need is love.

→Love is all you need.(愛こそがあなたが必要な全てのものです)

(~All You Need Is Love, The Beatles, 1967)

 

例2.The man who finds wisdom, the man who gets understanding is happy.

→Happy is the man who finds wisdom, the man who gets understanding.

(知恵を求めて得る人、悟りを得る人はさいわいである)

(~Proverbs 3:13)

 

例3.I never dreamed such a thing.

→Never did I dream such a thing.(そのようなことは決して夢に見なかった)

 

例4.A large tree is in the garden.

→In the garden is a large tree.(庭に大きな木があった)

(注1)

 

例5.If he had woken up earlier, he could have caught the bus.

→Had he woken up earlier, he could have caught the bus.

(もう少し早起きしていたら、彼はそのバスに間に合ったのに)

 

カーペンターズのOnly Yesterdayの歌詞には、次の3ヶ所に倒置用法が見受けらます(作:John Bettis and Richard Carpenter、訳:筆者)。

 

(1)Waiting was all my heart could do.

(私の心が出来たのは、待つことだけだった)(注2)

(2)Hope was all I had until you came.

(あなたが現れる前は、希望しか持っていなかった)

(3)No one else on earth I really rather be.

(この地上のどこにも、あなた以外に私がいる場所は無いでしょう)

 

(1)(2)は、主語が長いことから補語のwaitingとhopeが文頭に移動したもので、元の文はそれぞれ次の通りです。

(1)'  All my heart coud do was waiting.

(2)'  All I had until you came was hope.

(All I had was hope until you came.やUntil you came, all I had was hope.も可)

(3)も補語の文頭移動ですが、否定語が文頭に来ていることと強調による倒置だと思われます。

(3)'  I really rather be no one else on earth.

 

また、サビの

(4)Only yesterday when I was sad and I was lonely.

(私が悲しくて孤独だったのは、ほんの昨日のこと)

は、詩や歌詞に独特の用法で、名詞や名詞節の羅列ですが、

be動詞を補って

(4)' Only yesterday was when I was sad and I was lonely.

とすると、次の文の倒置とも考えられます。

(4)'' When I was sad and I was lonely was only yesterday.(注3)

 

こうした倒置用法によって、この曲の歌詞に込められた意図がドラマティックに表現されるという効果を生み出していると思いました。

 

(注1)通常は突然不定冠詞から始めるのは好ましくないので、There is a large tree in the garden.

(注2)実際の歌詞は、waitin'のように語尾のgが脱落しています。

(注3)It isを補って次のようにすれば、It is〜that…の強調構文で接続詞がwhenに変わった構文とも考えられます。

It was)Only yesterday when I was sad and I was lonely.

 

(今回も、私小山田が感じたことを雑多につづっていきます)

 

最近、サッカーや野球の掛け声で、Vamos!という言葉を聞きます。

これは、スペイン語の動詞ir(行く)の1人称複数形の活用で、「行くぞ」「頑張ろう」などの意味です。

活用は、1人称単数ー2人称単数ー3人称単数ー1人称複数ー2人称複数ー3人称複数の順に、

voy-vas-va-vamos-vais-vanとなります。

スペイン語やイタリア語などラテン系の言語は、主語や時制によって活用が変化するので、強調でもしない限り通常は主語が省略されます(生成文法では「pro-drop言語」という名称があります)。

 

英語も、西暦1000年頃の古英語では活用が豊富でした。例えば、goの活用は、

gā-gæs-gæð-gāð(複数形は共通)でした(ただし、主語は省略されません)。

 

その後、現在形では3人称単数のみにsがつく活用が残って、現在に至ったというわけです。

 

(今回も、私小山田が感じたことを雑多につづっていきます)

 

次の日本語は、おそらく違和感が無いと思います。

 

1.私はその扉を閉めたが、閉まらなかった。

2.私は彼に帰宅するようを説得したが、帰らなかった。

3.その男性は川でおぼれたが、何とか助かった。

 

ところが、これを英語に直訳すると、おかしなことになります。

 

4.*I closed the door, but I couldn't.

5.*I persuaded him to go home, but he didin't go home.

6.*The man drowned in the river, but he was saved by the bell.

 

closeは、実際に閉めて閉め切るという動作が完結するので、「閉まらなかった」のはありえません。

peresuadeは、相手を説得してこの場合は「帰宅させる」ところまでの意味を含みます。

drownは、Longmanによると to die from being under water for too long(水中に長くいることで命を失う)なので、命が助かるのはおかしいのです。

 

 

日本語で言いたいことを英訳するなら、1~3はそれぞれ次のようにすれば良いでしょう。

 

7.I tried to close the door, but I couldn't.

8.I tried to persuade him to go home, but he didin't go home.

9.The man almost drowned in the river, but he was saved by the bell.

 

7と8の場合は、「試したが実現しなかった」を表すtried to~をつけます。実際、1はbut節が無くても扉が閉まらなかった意味になります。

9は、almostをつけて「おぼれて死にそうだった」とします。

なお、「何とか助かった」の、by the bellは、ボクシングで劣勢になったボクサーが、ゴングのベルによって救われる、というところから来ています。他にも、but had a close callなどとも言います。

 

このように、日本語では動作が完結していない動詞でも、英訳したら完結した動詞になることもあるので、注意が必要です。

 

参考:影山太郎(2002)『ケジメのない日本語』(岩波書店)