今、日本で、「いやな奴」として言われるのが『上から目線』で話す奴らしい。

テレビのワイドショーなどでも、よく『上から目線』が批判されている。



しかし、本当に『上から目線』がいけないのだろうか??時に馬鹿には、馬鹿と言ってやるほうが、本人のためにも、いい場合がある、またそれが親切なこともあるという事実もある・・


なんでも、馬鹿丁寧なことがいいわけではない!!

慇懃なことが、かえって本当は無礼なことも実に多い!!

これがわからない今の日本人は実に多い。情けなくなる。





私は昨年、体調を壊し、2週間ほど病院に入院した。その病院は、地域の基幹病院を目指しているせいか、いたって患者に丁寧で、患者を「患者さま」(俺は「患者さま」と呼ばれ、何か気持ち悪かったが)と呼び、ちょっとしたことを看護婦(士)にいっても、婦長(士長)が部屋に来て詫びるという徹底ぶりだった。まさに以前の病院のイメージとはかなり異なっていたのには驚いた。


また、その病院は苦情の投書箱を院内に設けていて、そこに投書されたものは、すべて掲示板のところに張り出されそれぞれの責任者が回答をのせている。入院中は暇なので、かなりその掲示された投書と回答を読んでいた。

最近の患者は実に横柄で偉くなったものだと、思ったものだ。自分の病気を治療指導され、治してもらう患者なのに。『整形外科の○○医師は、いつも上から目線で話しをし、とっても不愉快だ。所詮病院だって、サービス業だろう!いい加減にしろ!』と言う投書など。こんなのがズラっと並んでいる。思わず笑った。所詮、治療してもらうために来ている患者の癖に、尊大な「患者さま」意識丸出しの投書のかずかず。今の日本を象徴している。民衆が偉いという民主主義もここまで来たかという感じ。もし俺が医師なら、「ふざけんな!そんだったらこなくていい!」と追い返すに決まっている。しかし、最近の病院は違う。副院長あたりが「大変申し訳ありません。医師の接遇教育に今後も万全をつくします。」などとの回答寄せている。


医師は自分の治療方針がある以上、それを患者に強制することもあるだろう。上から目線で話すこともあるだろう。医師がなんでも患者のご機嫌を配慮、とるようでは、治る病気も治らなくなる場合だってあるだろう。


また、医師不足の過剰な労働のなかで、ちょっとしたミスも訴訟の対象にもなってしまうこともあるだろう。医師も大変な職業の時代になったようである。


ただ、自分が病気なら、医師に多少の痛い思いをさせられても、上から目線で指導されても、それが本人の病気からの解放に繋がるなら、ありがたいことなのだ。


自分の愚かさも気が付かず、病気になり、そして横柄な態度で医師に接する現在の患者たちの意識は、もはや行き過ぎの感がある。


民主主義の行き過ぎはかえって社会全体を混乱疲弊させることになることは、古代から、歴史的にも、それが指摘されている。


まず、各医師が病気を治せる技量をいかほど持っているかが、問題だが、もし、その技量が確かなら、また信頼されるなら、それが上から目線だろうが、下から目線であろうが、その医師の指示に従い、治ったなら、感謝をしたいと俺は思う。


(^-^)



医師の

Eテレ(NHK教育)の番組表を見ているとニーチェなどの早分かり番組を放映している。安保闘争の混乱期には、何やらサルトルとかカミュがはやり、最近はニーチェやハイデッガーが流行りなのだろうか?何れにせよ、巷に不安や混乱がある時代は、所謂、実存主義、実存哲学、の類いが流行るようである。私も一応哲学にも興味はあるが、これに適切な解説など、私には荷が重い。
そもそも、哲学とは、フィロ・ソフィア、即ち知を愛すること、といわれる。しかし、知を愛するといっても芸能記者さながら、噂やゴシップまで知を愛することしているわけではない。やはり、それは真理探求(本当のこと)こそ、哲学の本道であろう。だから、いかがわしい真理をうたうインチキ宗教など哲学からみればとんでもないものである。また、哲学者と言われる人が、菅直人のごとく、コロコロ発言が変わってしまうのは困ったものである。
そして、毛沢東のように、自分の権力あらそいに、自分の語録を押し付け、世界を混乱させるのも困ったことである。(マルクスも同類かも…)。

前世紀に西欧は二つの大戦があり、混乱の極みであった。そこで活躍したのが、先に話た所謂『実存』なのであろう。

10数年ほどまえ、ウィーンで私の知り合いの日本女性の家に呼ばれたが、ご主人は幼少期にヒットラーユーゲントに加わったドイツ人だった。彼と話すとさすがドイツ人のインテリ、哲学の話を持ち出された。ただ、彼は、極端なハイデッガーの信奉者で、興味はないかと、色々尋ねられた。このハイデッガーさん、『存在と時間』と言う書で有名だが、色々事情があったのであろうが、ナチスのシンパとして第二大戦期を過ごした。だから、あのご主人がハイデッガーの信奉者であることに不思議はない。

ただ、このハイデッガーさん、後に、大著『存在と時間』の完成を放り出し、なんと親鸞さんの『歎異抄』に帰依してしまう。ハイデッガーさんの、コロコロ変わる心模様こそ、かれの哲学の秘密が密かに隠れているのかもしれない。何れにせよ、有名な自著には救われず、日本の浄土真宗の書に救いを求めたようである。

彼の書が真理であるなら、それに救われているはずである。

ま、あまり、流行を追わないことが、騙されないことの第一歩かもしれない。


ま、受験勉強のような、薄っぺらな早わかり的理解、勘違いなどせず、丁寧に、しっかり、地道にコツコツと学ぶことしかないのである。本当の哲学はそう安直には身につかない。もちろん何事もそうであるのだが・・

哲学など、軽薄な、薄っぺらな早合点こそ、もっとも邪道。もっとも危険なのである。

(^-^)

巷はお盆を迎えることになる。なくなった人が戻ってくると言う。このように、死後も亡くなった人は存在するというのが、洋の東西に関わらず一般的なのだ。先日も、有能だったが若くして亡くなった有名なサッカー選手についての報道があった。ファンや仲間の選手たちは『天国から見守って欲しい』と悲しみとともにTVインタヴューマイクに向かって語っていた。これが率直な気持ちなのだろう。

しかし、あのブラックホールで有名な高度な知能の持ち主とよく言われるホーキング博士は、今年『死後も天国もない』『それは闇を恐れる者たちのお伽噺だ』と言い切った。これは宗教界、とくにキリスト教関係者に大きな波紋を呼んだ。何故なら、ホーキングは宗教の存在を否定していなかったからだ。ただここに来て、ここまで明け透けに言い切ると、宗教界からの反発は避けられなかったわけだ。
ただ、この手の話は、遠い昔からあった。ホーキングは人間の精神をコンピューターから発するものと同等に考え、肉体が壊れるのと、コンピューターが壊れるのと同じことだとするだけなのだ。これはなんのことはない、肉体を物質と考える単なる唯物論者の論にすぎない。この唯物論は遠く古代ギリシャからある一つの考えなのだ。

むしろホーキングは一人の物理学者として、同じ物理学者でも、思慮深いハイゼンベルクなどとは異なり、人間の体も単に物質ととらえたほうが論を展開しやすく、そう思うことにも別段、不思議はない。また最近ではiP細胞からネズミを発生を見、我々も驚かされることも多い昨今なのである。


ただ、ホーキングの場合、地上での物理法則、数学理論に何の誤り、まったくの誤謬がないことを前提に、宇宙論を展開しているだけなのだ。また、iP細胞にしても、まったくの無から発生したわけではなく、生命体からの一部から発生を引き出しているのだ。


要するに。すべてを物質に還元して、すべてを語ることは、古代からの人間の発想の一つであるが、それは深く思考をめぐらせれば、きわめて乱暴な論でもあり、それが否定されてきた事実も一方でもある。それは古代から生命への問いは常に長く、繰り返し問われてきているのだ。


だから、時に、今、ホーキングが唯物論者になろうと、別段驚くこともなく、またホーキングの考えの否定(物質と生命の関係をホーキングのように単にすべて物質に一元化しないとらえ方)も、人間の長い歴史の中では、強力な考え方として一方にあるのだ。要するに、ホーキンスの物質一元化論は物質と精神をいかに考えるかということに、極めて幼稚に深く考えていない、むしろ、そこに思考力の低下を見るような、とらえ方をしているに過ぎない。


古代から、『生命』という常に問われ続けてきている問題も含まれるので、ホーキングの発言がまるで神様かのように、権威があり、あがめる必要などは全くない。確実な信用できる話でもない、また事実でもない。単なるある物理学者の幼稚な論と見ればよい。


さて、もうすぐ、お盆だ。、今年もまた俺は墓参りに行こうと思う。


(^-^)