政治家やマスコミなどが、いま社会に影響を与えてる。

政治家、マスコミの人々は、この国を何とか復興させなければならない。



それに引き替え、一般の人々は日々生きてゆかねばならない。


マスコミや政治家の人々はまだまだのんきである。それに引き替え、一般の人々は、この大震災、原発事故による影響はかなり、これから徐々に、生活の中に目立ち始めるかもしれない。


一般の人々にとっては厳しいこれからが待っているかもしれない。それでも頑張らなければならないよな。


今の政治家を見ていると、がっかりばかりさせられる。そういう時は民衆が地道に頑張るしかない。


正直、先の衆院選挙、私はイメージだけ、宣伝ばかりして、実際は実現不可能なことばかりと民主党をみていた。その政権交代という看板宣伝で大勝利をもたらした。あれは嘘っぱちのマニフェスト、宣伝文句を並べただけだ。それを国民は軽々信じてしまった。

私はペテン師に国家を取られた印象だった。


案の定、いまがある。


国民は反省しなければならないと思う。


私は思う。


『カッコだけのまがい物をつかまされませんように!!』と・・・


『もう、やるき、元気だけの、お粗末な政治家などは、いらない!!のだ』



『全体をしっかり眺められ、大きな計画をしっかりたて、それを着実に進めてゆけるだけの、知恵と力のある政治家を選ぼう』





(^-^)

最近哲学の書がうれるということはいった。


しかし、哲学は宗教とはちがう。あくまでも、哲学は真理(本当のこと)追求だ。宗教は信仰(信じること)なのだ。


ここははっきりさえなければならない。


ところで、宗教本や哲学関係の書が売れているということは、やはり異常だ。


一般の民衆など,本来哲学など無縁な存在だ。既存の学問では知的に十分満足できない一部の人間が興味をもつジャンルだ。また、一般民衆は、これまでの既存の宗教で十分であり、日々の生活に求めて書をあさったり、祭りや葬式はなどは別に、自ら務めて宗教団体に積極的に参加することなどはあまりなかった。


シュペングラーは社会が没落期に入ると不安が社会に広まり、新興宗教など、宗教などに民衆の関心は移る。と言ってたような気がする。


崩壊期には、この人なら大丈夫という安心できるという有能なリーダーがいなく、民衆は無意識に安心できない不安を抱えることになるわけでありましょう。


そもそも、民衆は一人ひとりを見れば、優れた判断能力などほとんどない。そのほとんどない人間が、民主主義だといわれて、それぞれの判断をしなければならず、昨今では裁判所の裁判官にもならなくなっている。はたして民衆にそれらを押し付け判断できるとでも今の政治家は思っているのだろうか??また一方で自己責任だとか、日々の判断の失敗は自分が負わなければならず、人に頼れない。また結婚しても、昔の家族制度は崩壊し、家庭にもリーダーはいなくなり、みな個人個人が個々の判断を常に要求される。


こんな大変だ時代に民衆の精神は耐えられるのであろうか??


その反動で、一時に不安解消、気晴らしの幼稚でお粗末なナンセンス文化が街に蔓延し、それでも安心が得られないものは宗教関係に関心が向く。そこで待ってましたと現れるのが、インチキ宗教家など類の登場だ。

もうすでに、現実に日本の社会を不安に陥れた、新興宗教は存在し、みなの十分知るところとなっている。


遠く、政治はまつりごととして、人々の不安を取り除くものであった。


しかし、その政治家がお粗末で、とても民衆が安心できないとなったら、やはり新興宗教が暗躍しても全く不思議でない。


本j来政治は誰でもができるのではない。高度の知識、洞察力、問題処理能力を持った人間が当たるべきだ。


しかし、今の日本、インチキお粗末ナンセンスの文化花盛りの状態。民衆はそのインチキ文化に心が汚染され、政治家の本当の能力を見抜けない。一見かっこだけみせる演技、パフォーマンスに騙され、そんな実力のないパフォーマンスだけのインチキな勘違い政治家ばかりを当選させる。実際やらせれば何もできない無能な姿をさらすだけを見せつけられ、民衆はその被害を受けるだけ。


だから、民衆の生活はさらに不安定、不安の増大があり、人々は哲学書、宗教書を求めることになる。。。ってわけだ。


こまった時代だ!!




なにやら、哲学と言われるジャンルの本が売れているそうだ。

そこで脚光を浴びていたのが、池田晶子さんのようだ。


おれは、自分が勉強してきた、すなわちある意味教わってきた範囲でしかものはいえない。


この池田さんにしたって、独自で彼女の論法を展開したわけではない。彼女だっていろいろ古典を読み、その感想を述べているにすぎないのかもしれない。いや、本当はそんなものだ。


これまで、哲学なるものは、遠く、古代のギリシャで始まり、その長い歴史で絶えずいろいろな議論がなされてきた。

その議論の歴史は、彼女がよく引き合いに出すソクラテス、プラトンにしたって、紀元前4~5世紀の人だ。

先日、奈良で2800年前の縄文時代のクワガタの化石が発見されたと騒いでいたが、ギリシャでは、もはや文明が興隆しおり、現代でも通用するような、この哲学議論がすでにはじまっていたのだ。人類は同じ時代であっても、地域によっていかに文化の差が大きいかということだ。


さて、このように人類の長い歴史のなかで、常に議論されてきたのが哲学だ。昨日、今日の思い付きで、良いの悪いの判断できる代物でもない。これらの哲学の古典には、これまでもかなりの注釈書、解説書、また影響を受けた経典などなど・・


これらには原典というものがあり、この二千数百年前の人の所が、奇跡的にも、人々の写本という、人が書き写してきた、この間営々と続けられてきた歴史があり、それによって、古代の人々の言葉がこの現代でかなりの正確さで読めるわけだ。これはクワガタ化石一つで大騒ぎしている場合ではない。このクワガタが地下に眠っている間に、人間は絶えず、この哲学というものを大事にし、守り続けた歴史があるのだ。これはすごいことだ。


池田晶子さんが、ソクラテスを現代に呼び戻したたような、パロディー化しした作品を書いているが、私はこのような池田さんの態度は根本的に間違っているだろうし、これにはかなり批判的だ。ソクラテスはそんな簡単な人物ではない。彼女は彼女の自分の言葉で語るべきだ。ソクラテスは実在の人物で、ソクラテスを勝手に自分の書に利用するのは大罪である。

この点、池田さんの勘違いした思い上がりは十分批判されてもいいだろう。すなわちソクラテスはソクラテスなのだ。

(もし、池田さんが生きていたら、きっと、じゃぁプラトンはどうだ、ソクラテスを書いているではないか!というかもしれない。プラトンはソクラテスから直接教えを受けているのだ。ここは池田さんとは大きく異なる。ちょっと読んだくらいで偉そうな気分になるな、と古代の人々から強く叱られることだろう。『ヒュブリスは罰せられなければならない、』という重い言葉があるのだ。きっと。池田さんは陸田さんと一緒に罪人のところでご一緒されていることでしょう・・・(笑))、

ま、池田さんについて、いろいろ書いたが、なるべくプラトンにしてもヘーゲルにしても原典があるので、池田さんの思い入れは別にして、もし哲学にきょうみがあるのなら、原典を読むことをお勧めする。


そちらのほうが正確だ。もちろん、解釈に困難はあるでありましょうが・・・



(^-^)