なにやら、哲学と言われるジャンルの本が売れているそうだ。

そこで脚光を浴びていたのが、池田晶子さんのようだ。


おれは、自分が勉強してきた、すなわちある意味教わってきた範囲でしかものはいえない。


この池田さんにしたって、独自で彼女の論法を展開したわけではない。彼女だっていろいろ古典を読み、その感想を述べているにすぎないのかもしれない。いや、本当はそんなものだ。


これまで、哲学なるものは、遠く、古代のギリシャで始まり、その長い歴史で絶えずいろいろな議論がなされてきた。

その議論の歴史は、彼女がよく引き合いに出すソクラテス、プラトンにしたって、紀元前4~5世紀の人だ。

先日、奈良で2800年前の縄文時代のクワガタの化石が発見されたと騒いでいたが、ギリシャでは、もはや文明が興隆しおり、現代でも通用するような、この哲学議論がすでにはじまっていたのだ。人類は同じ時代であっても、地域によっていかに文化の差が大きいかということだ。


さて、このように人類の長い歴史のなかで、常に議論されてきたのが哲学だ。昨日、今日の思い付きで、良いの悪いの判断できる代物でもない。これらの哲学の古典には、これまでもかなりの注釈書、解説書、また影響を受けた経典などなど・・


これらには原典というものがあり、この二千数百年前の人の所が、奇跡的にも、人々の写本という、人が書き写してきた、この間営々と続けられてきた歴史があり、それによって、古代の人々の言葉がこの現代でかなりの正確さで読めるわけだ。これはクワガタ化石一つで大騒ぎしている場合ではない。このクワガタが地下に眠っている間に、人間は絶えず、この哲学というものを大事にし、守り続けた歴史があるのだ。これはすごいことだ。


池田晶子さんが、ソクラテスを現代に呼び戻したたような、パロディー化しした作品を書いているが、私はこのような池田さんの態度は根本的に間違っているだろうし、これにはかなり批判的だ。ソクラテスはそんな簡単な人物ではない。彼女は彼女の自分の言葉で語るべきだ。ソクラテスは実在の人物で、ソクラテスを勝手に自分の書に利用するのは大罪である。

この点、池田さんの勘違いした思い上がりは十分批判されてもいいだろう。すなわちソクラテスはソクラテスなのだ。

(もし、池田さんが生きていたら、きっと、じゃぁプラトンはどうだ、ソクラテスを書いているではないか!というかもしれない。プラトンはソクラテスから直接教えを受けているのだ。ここは池田さんとは大きく異なる。ちょっと読んだくらいで偉そうな気分になるな、と古代の人々から強く叱られることだろう。『ヒュブリスは罰せられなければならない、』という重い言葉があるのだ。きっと。池田さんは陸田さんと一緒に罪人のところでご一緒されていることでしょう・・・(笑))、

ま、池田さんについて、いろいろ書いたが、なるべくプラトンにしてもヘーゲルにしても原典があるので、池田さんの思い入れは別にして、もし哲学にきょうみがあるのなら、原典を読むことをお勧めする。


そちらのほうが正確だ。もちろん、解釈に困難はあるでありましょうが・・・



(^-^)