椎名誠『水域』 | 文学どうでしょう

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水域 (講談社文庫)/講談社

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椎名誠『水域』(講談社文庫)を読みました。

大好評!(だといいな)「どどおんと椎名誠SF三部作特集」第二回の今回は、『水域』を紹介します。シンプルなストーリーなだけに、三部作の中では一番読みやすい作品かも知れません。おすすめです。

そこがまたいいところでもあるのですが、あまり世界観の説明がされないのが椎名誠SF三部作(『アド・バード』『水域』『武装島田倉庫』)の特徴で、『水域』は、陸地がないらしき近未来が舞台です。

ハルという名前の主人公が、”ハウス”と呼ばれる長さ五メートル、幅二メートルに満たない鬼曳舟(きびきふね。組木筏のこと)で、ひたすら漂流する物語。時折、同じように流れている人々と出会います。

ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を彷彿とさせるサバイバル感満載の作品なわけですが、大きく違うのは、『水域』は、辛く苦しい現状をなんとかして抜け出そうという物語ではないこと。

ロビンソン・クルーソー〈上〉 (岩波文庫)/岩波書店

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もう世界中がそんな感じなので、『水域』においては漂流すること自体が現実であり、生きることそのものなわけですね。漂流という非日常が日常になっている所に、この作品のSF的な面白さがあります。

頼りない筏で漂流を続けるハルの特殊な境遇は、ぼくたちの知っている現実とはかけ離れたものながら、よく考えてみたら、出会いや別れがあり、時に騙されたりするのは、現実となんら変わりませんよね。

読み終わってみると、自分の人生が語られた小説のような印象が残る不思議な魅力のある作品。旅はよく人生にたとえられるものですが、人生という旅を描いた哲学的な小説と言っても過言ではありません。

なのできっと誰もが楽しむことの出来る小説ではないかと思います。

『水域』は長編ですが、原型となった短編「水域」があります。昨日少し触れた短編集『ねじのかいてん』に収録されているので、どこがどんな風に変わったのか、興味のある方は読み比べてみてください。

ねじのかいてん/講談社

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漂流の日々が綴られた地味な小説ながら、ハルにどんな運命が待ち受けているのかが気になって、ぐいぐい物語に引き込まれてしまう『水域』。SF的な難しさはないので、SFが苦手な方でも大丈夫です。

作品のあらすじ


一ヶ月ほど前、ディンギイ(小型のボート)から今は住んでいる人のいない”ハウス”を見つけて、そちらの移った男。持ち主がどこへ行ってしまったのかは分かりませんが、生活用品が残されていました。

水が入り込んでいたハウスですが、頼りないディンギイよりはましです。棲みついていた黄泡長虫(アブクダシ)を追い払い、昼は風を入れて乾かし、夜は火を焚いてようやく人が住める状態に戻しました。

双胴カヌーに乗った老人と取引をして双眼鏡を手に入れた時、老人は男のことを「ハル」だと思い込みました。ハウスの入り口に「HARU」と書かれていたから。男はそれ以降ハルと名乗ることにします。

ハウスと双眼鏡を手に入れたことで、今までとは違ういい流れに乗ったような気がしたからですが、それよりもなによりも一人で水域を流れていく者にとっては、名前などどうでもいいことだと思ったから。

大きな獲物を手に入れたものの怪物のような生き物に襲われて失ってしまってからは、食べ物を手に入れられない心細い旅を続けます。そんな時はグロウと名付けた赤眼シイラを懐かしく思い出すのでした。

半年ほど、その赤眼シイラはハルのそばを離れなかったのです。グロウは魚を寄せ集め、ハルは仕とめた魚を分けてやりました。しかし水域が変わるとグロウは姿を消してしまい、ハルは悲しんだのでした。

やがてハルは双眼鏡で《シェラトン・ベイホテル》が流れているのを見つけます。苦労して中へ入りましたが、バスルームの蛇口からは水が出ず、鍵のかかった冷蔵庫の中にあった瓶や缶の中身は空でした。

腹を立てたハルは、パイプカッターで冷蔵庫を叩き壊し始めますが、ふと、火薬式の銃を持った男が戸口に立っていることに気付きます。

「もうそのくらいで気がすんだかね」
 ところどころ金属片をこするような耳ざわりな声がハルの頭の上を走りぬけた。
「くそ。たのしみやがって……」
 うめきながらハルはいましがた放り投げたばかりのパイプカッターの方向に手を伸ばし、用心深く戸口の男の動きを探った。
「もう一度それをふり回すのはうまくないですよ。こっちにはもっと手っ取り早い武器があるわけだしね……」
 もう夕方から夜になだれこもうとしている危うい時間帯のようだった。大きく割れた窓から見える空はまだいくらか明るく見えるけれど、部屋の中は闇の濃淡で物の見当をつけるのがやっとの状態になっていた。
 闇のドアのむこうから突然あらわれた男は声の調子から五十歳前後に思えた。小柄で痩せて貧相な体格だった。
「そうやってとことんまで暇つぶしに遊ぼうと思っているんなら早く撃て。おれはそんな銃の一、二発ぐらいだったら、死ぬまでにかならずお前の首にくらいついて一緒に連れていくからな」
(39~40ページ)


お互いに害意がないことが分かると、山羊髭の男は食事を用意して、もてなしてくれます。しばらく滞在していると、動力船を使って保存食料を売るビジネスのパートナーにならないかと誘ってくれました。

あてもなく流れる暮らしをやめて、しっかりした家と仕事を持とうかと思うハルでしたが、山羊髭との暮らしは気詰まりなものに思え、取引でボウガンを手に入れると、別れを告げてまた旅立ったのでした。

やがて、騙されてハウスを盗まれてしまったハルは、大事にしていた物をほとんど失い、流されていくしかない状況に陥ってしまいます。生きるか死ぬかの危機を乗り越え流木で出来た島に辿り着きました。

島を抜け出す方法は見つかりませんが、島には実をつける植物があり、生き延びることは出来そうです。寝床を確保すると島を探検し、ハナヅラを捕まえて干し肉にし、充実した日々を過ごしていました。

時折、視線を感じるような気はしていましたが、ある時ついに島の住人に捕まってしまいます。しかしその相手を見てハルは驚きました。

 ハルは一瞬喋る言葉を失い、女の顔と、そのいかにも敏捷そうな全身を交互に眺めた。
「女か……。女なのか……」
 女はハルがそう言うだろう、とすでに予想していた、という顔つきをして白く光る眼をさらに鋭くさせた。長く伸びた髪の毛を強引に頭のうしろに引きつめてきりきりと細い草の蔓で巻き束ねているようで、頭のうしろに二本、闘争昆虫の触剣かなにかのように緑色の蔓がぴくんと左右に跳ねあがっていた。細く長い眉と、あざやかに黒くふちどられた吊りあがり気味の目が女を野生の肉獣のように見せていた。形よくとがった鼻のつけ根のあたりに斜めにひらりと細い傷が走り、それは今しがた切ったらしく、傷のとおりに薄く細く血が滲んでいた。
「女だからと思って何か甘く考えたとき、あんたは死ぬんだよ」(150~151ページ)


やがて、その女ズーに命を助けられたのをきっかけにハルはズーと力をあわせこの島から脱出するための計画を立て始めたのですが……。

はたして、ハルとズーは流木の島から脱出することが出来るのか!?

とまあそんなお話です。こつこつ集めた大切なものも、一瞬で失ってしまう世知辛い近未来世界。流れや水の状態に左右される厳しい暮らし。出会いと別れをくり返して、ハルはどこへ向かうのでしょうか。

ストーリーは地味ながらとてもシンプルで読みやすいです。SFが好きな方は勿論、苦手な方も楽しめる小説だと思うので、流れ続けるハルの冒険に興味を持った方は、手に取ってみてはいかがでしょうか。

「椎名誠SF三部作特集」次回は、『アド・バード』を紹介します。