モリエール『女房学校 他二篇』 | 文学どうでしょう

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女房学校―他二篇 (岩波文庫 赤 512-1)/岩波書店

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モリエール(辰野隆、鈴木力衛訳)『女房学校 他二篇』(岩波文庫)を読みました。

6夜連続のモリエール祭りもいよいよ最終夜。代表作『タルチェフ』に繋がるような、社会問題を諷刺的に描いた「性格喜劇」(人物の性格によって起こる様々な出来事を描いた喜劇)を紹介します。

タルチェフ』は、エセ宗教家を信じる男を滑稽に描き、宗教に対する侮辱だとして、上演禁止を命じられてしまったんでしたね。

今回紹介する「女房学校」が取り上げたのは、奥さんにするには一体どういう女性がふさわしいのかという問題。描かれた内容は賛否両論を巻き起こし、モリエールは大分批判も受けたようです。

批判されたら、そのまま黙っていないのがモリエールで、自分の反論をなんとそのまま喜劇にしてしまいました。それが、一幕物(一つの場面だけで成立している劇のこと)の「女房学校是非」。

また、王様に急に劇を命じられ、やむをえず自分たち自身を演じることになっててんやわんやの様子を描いた同じく一幕物の「ヴェルサイユ即興」でも、モリエールは批判への反論をくり広げています。

この岩波文庫には、「女房学校」と「女房学校是非」、「ヴェルサイユ即興」の3編が収録されています。「女房学校是非」と「ヴェルサイユ即興」は、言わばおまけという感じですかね。

さて、ここから「女房学校」の内容に入っていきますが、フランス文学にはある種の伝統があります。フランス文学で有名な作品を、全時代からいくつかピックアップしてみましょう。

ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』、ラクロ『危険な関係』、スタンダール『赤と黒』、フローベール『ボヴァリー夫人』。これらの作品にはある共通点があるのですが、お分かりになるでしょうか。

では正解を。実はどれも人妻との恋愛が描かれた作品なんです。必ずしも肉体的な関係が伴うわけでもないのですが。

結婚は親によって決められた相手とするものなので、結婚した後にいわゆる恋が始まるんですね。結婚相手は、ある程度裕福でなければなりませんが、恋する相手は貧しい青年でもいいわけです。

なので、貴族の夫人が、今は貧しいけれど、将来の成功を夢見ている青年と恋に落ちるというのが、一番多いパターンになります。

みなさんご存知の、アレクサンドル・デュマ『三銃士』の主人公ダルタニャンが恋に落ちるのも人妻で、似た関係性の作品があまりない日本の読者からすると、少し不思議な感じがするだろうと思います。

人妻が恋に落ちているということは、裏を返せば、それだけ浮気されている夫がいるということ。そうした寝取られ夫をさす「コキュ cocue」という言葉は、日本でもある程度定着していますよね。

では、妻に裏切られないためには一体どうしたらいいのでしょうか。

「女房学校」が書かれた当時、美しく、かつ頭の回転が早い才女がもてはやされていたようなのですが、そうした才女は魅力あふれる一方、夫すらも手玉に取って浮気をくり返すおそれがあります。

そこで、アルノルフという中年の男は、美しく、かつ余計なことをあまり考えない女性を、奥さんにしたいと思うようになりました。

つまり、全然無知な女。はっきり云っちまえば、神様にお祈りができて、わたしを可愛がってくれて、針仕事さえできたら、それでたくさんじゃありませんか。(10ページ)


しかし、そんな自分に都合のいい女性がいるでしょうか。そこでアルノルフは、自分好みの女性を育て上げることにします。

アニェスという娘を4歳の時から引き取り、修道院に入れて、物事に無知な女性になるよう育てたんですね。アルノルフの思惑は成功し、アニェスは美しく、かつ何事にも無知な女性に育ちました。

あとは結婚をするだけです。結婚をするだけだったのですが・・・。さて、一体どんなことが起こってしまったのでしょうか。

作品のあらすじ


『女房学校 他二篇』には、「女房学校」「女房学校是非」「ヴェルサイユ即興」の3編が収録されています。

「女房学校」

妻に裏切られ、騙され、こけにされている愚かな男たちを、今まで散々辛辣に諷刺して来たアルノルフが、ついに結婚を決めたというので、友人のクリザルドは驚きます。

ところが、アルノルフには絶対に裏切られないためのある作戦がありました。貧しい生まれながら可愛らしい4歳の子供を養女として引き取り、修道院に頼んで、何事にも無知であるよう育てたのです。

子供はアルノルフの思惑通り、「子供は耳から生れるんでしょうか」(13ページ)と聞くくらい、無知で美しい女性に育ちました。その娘アニェスにアルノルフは大満足。こんな風に思っているほど。

現代のヒロインがた、学問のある奥様たち、やれ愛情だ、やれ恋愛だと騒ぎたてる御婦人連、あんたがたが詩だの、小説だの、文学だの、恋文だの、学問などを束にしてかかって来たところで、このしっかりした操正しい無知な女に敵いっこないのですぞ。
(20ページ)


結婚のためにその娘アニェスを自分の家に引き取ったアルノルフは、10日ほど旅行に出かけていました。

帰宅すると9日前から、アルノルフの親友オロントの息子オラースが遊びに来ていたことが分かります。留守にしてずいぶん待たせたことを詫びて、久しぶりの再会を喜んだアルノルフとオラース。

すっかり打ち解けたオラースは、ここで起こった胸ときめく出来事を話し始めます。ゴシップが好きなアルノルフは大喜び。

オラース ありていに白状すれば、実はここでちょっとした恋の冒険をやったんです。あなたと見込んで打ち明けるんですが。
アルノルフ (傍白)ほい、これでまた面白い話しが聞かれるわい。帳面に書き込んでおくたねになるわい。
オラース ですが、秘密に願いますよ。
アルノルフ 大丈夫!

(23ページ、本文では「恋の冒険」に「アヴァンチュール」のルビ、「たね」に傍点)


オラースの恋物語を笑いながら聞いていたアルノルフでしたが、相手の女性の名前がアニェスだと知ると、驚愕してかたまります。

この土地では、アルノルフは貴族ぶった名前のドゥ・ラ・スーシュと名乗っていたので、ドゥ・ラ・スーシュその人が目の前にいると思わず、ドゥ・ラ・スーシュの間抜けぶりを散々こけにするオラース。

思わぬ出来事に頭が真っ白になったドゥ・ラ・スーシュことアルノルフは、オラースと別れた後、さりげなくアニェスを問い詰め、オラースとアニェスが会っていたことは本当であると確かめました。

しかし、それほど深い関係ではないことも分かったので、アルノルフはアニェスに、そうした恋の楽しみは、結婚してからでなければ罪になるとさとし、すぐに結婚しようと言います。

アニェス あたしたち、結婚できますの?
アルノルフ そうだ。
アニェス でも、いつ?
アルノルフ 今夜にでも。
(中略)
アニェス ほんとに、ありがたいと思いますわ、あのひとも満足でしょうし!
アルノルフ 誰がさ?(41~42ページ)


そう、オラースにすっかり夢中なアニェスは、アルノルフではなく、オラースと結婚するつもりでいたんですね。

アルノルフはオラースとアニェスが会えないように、アニェスを家に閉じ込めますが、アニェスは小石と一緒に手紙を投げてオラースと連絡を取ってしまいます。

ドゥ・ラ・スーシュに囚われているアニェスを救おうとするオラースは、毎回ドゥ・ラ・スーシュその人であるアルノルフに相談してしまうので、アルノルフは裏をかき、2人を引き裂こうとして・・・。

「女房学校是非」

ユラニーとその従妹エリーズの所へ、様々なお客がやって来ます。

『女房学校』を見て来たばかりのクリメーヌは、「いやしくも淑女なら、傷つけられずには見てはいられません。けがらわしさといやらしさでいっぱい」(115ページ)の作品だったと言います。

一方、ユラニーとエリーズは、女性に対しての様々なあてこすりはあるものの、純粋に楽しめる喜劇だったという感想を述べました。

しかし、芸術に詳しい詩人のリジダスは、アリストテレスやホラチウスによる喜劇の法則に反していると、批判を展開し始めます。それを迎え撃って、リジダスに反論したのが貴族のドラントでした。

「法則に従っている戯曲が面白くなくて、面白い戯曲は法則に従っていないとなると、必然的に法則というものが間違っているということになるのです」(142ページ)と言うドラント。

観客の好みを押さえつけるような屁理屈よりも、観客の心を動かしたそのことの方が重要ではないのかと言うんですね。集まった人々は『女房学校』について様々な議論をくり広げていって・・・。

「ヴェルサイユ即興」

王様から急に劇をやるよう命じられたので、一座の者は大慌て。モリエールは後2時間あるから、早速稽古を始めようと急き立てますが、皆は戸惑うばかり。

何しろ、劇のタイトルも内容も分からず、どんなセリフを言ったらいいかも分からないのですから、一体何が出来るでしょう。ベジャール嬢はモリエールに、こんな提案をします。

「あなたが受けた悪評の事で喜劇を書けというお上の御命令なんですから、いつぞやあなたが前から話していた『喜劇役者の喜劇』を書けばいいじゃありませんか?」(160ページ)と。

モリエールは、そんなものはやる価値がないと言いながら、自分を揶揄したブルゴーニュ座の俳優たちの物真似をし始めて・・・。

とまあそんな3編が収録されています。「女房学校」で、アルノルフの友人であり、才女の妻を持っているクリザルドが、妻に対する望ましい態度について、こんな風に言っているのが印象的でした。

わたしの云いたいのはですね、女房をもらうのは運なんだから、賽子を振るようなつもりでやるべきだというんです。願った通りの目が出なくても、器用に、心静かに勝負をし、上手に導いて災難の穴埋めをするべきですよ。(76ページ)


「賽子」は「サイコロ」です。賭事で思わぬ損失をした時、慌てて取り戻そうとすると更に失敗しますから、慌てず騒がず事に当たるのがよく、妻に対しても同じような態度がいいと言うんですね。

なるほどそういう見方もあるんだなあと、面白く感じました。複雑な恋愛模様やどたばたする展開の面白さだけでなく、こうした様々な結婚観が書かれることにも面白さのある喜劇です。

アルノルフの理想の妻育成計画は成功するのでしょうか、それとも失敗に終わってしまうのでしょうか――。アニェスをめぐる結婚話に興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

これにて、6夜連続モリエール祭りは終わりです。いかがだったでしょうか。モリエールに興味を持ってもらえたなら嬉しいです。

モリエールは喜劇作家なので、どの作品もとにかく楽しいですし、落語に近い親しみやすさがあるので、かなりおすすめですよ。この機会にぜひ、何かしらの作品を手にとってもらいたいと思います。

代表作はやはり、嘘や欺瞞が大嫌いな青年が、まさに嘘と欺瞞に満ちた社交界の花形女性に恋をしてしまう傑作『人間ぎらい』です。

ただ、この作品はブンガク的と言うか、単なる喜劇ではない複雑なテーマ性を持っているので、やや分かりづらい作品でもあります。

なので、『人間ぎらい』をいきなり読むよりも、エセ宗教家の登場する痛快な喜劇『タルチュフ』などを先に読んで、モリエールの喜劇世界に馴染んでから読んだ方が、より楽しめるかも知れません。

明日からは、少し続けて日本文学を。佐藤春夫『田園の憂鬱』を紹介する予定です。