ゴールデンウィークはカレンダー通りにお休み。ありがたい。
昨日は実家に帰り、夜は写真の整理。今朝は中高時代の日記帳を整理。
写真の方は、数年前にアルバムの台紙から剥がして中身をまとめただけになっていた。今回は同じような写真や明らかにピンボケしているもの等をシュレッダーしたり破ったりして捨てた。
今朝は中高時代の日記と格闘。一度3年ほど前に振り返るため読んでみたことがある。特に中学時代の日記は内容が稚拙すぎて残しておきたくない代物だった。今回はとにかく破ってシュレッダーにかけまくった。これで無事闇に葬れた。😛
途中面白いメモやよく書けている文章はところどころ救出。
それにしても、中高生の頃は、親に勉強しろと言われたことはなかった。でも、実際のところはストレートにしろと言わないのに、しなかったら「今日はゼロだね」と言われたりとか、かなりチクチク嫌味を言われていたよう。何かにつけて親に反発したり言い返したり泣いていた覚えはあるけど、そりゃあ湿疹もひどくなるでしょうという感じだった。(高校時代はアトピーがひどかった)
たくさん書いているのに、表面上のことしか書いてなくてそれが今思うと残念。
話題の中心は親や友達、先生から言われたこと、成績、進路、そして唐突に世界平和。間に色々あるはずだけど、原理原則、問題の根本解決につながるような考察はほとんどなかった。
勉強法も気合、根性がすべて。そして減点法(今思えば古典的)。
高校は進学校だったので、成績優秀者は貼り出され、序列がつけられ、模試の結果は自分用に毎回小さい紙をもらう。日記にも毎回のその用紙が貼ってあった。
これで成績を気にしないわけにはいかず、今思えばけっこう辛かったな。。
数学が不得意である意味それ以外はあまり勉強しなくてもそこそこ取れていたのに、不得意なものを克服することしか頭になかった。
おそらく父から自宅から通える国立大学に進学先を限定されていたためだったけど、自宅からか国立大学かどちらかの枠を外せばもっと楽にもっと楽しんで勉強できたかもしれないのに、わざわざ辛い道を選ぶしかなかったことが悔やまれる。
(結局私が行ったのは自宅から通える私立大学。でも学費は奨学金を真面目に取って半額くらいは自分で払った。親は私に生まれた時から学資保険をかけていたからあまり負担はなかったと思う)
あの頃の自分に会えるのなら、表面的に色々覚えても意味はなく、ちゃんと理解しないと何の役にも立たないと言ってやりたい。
そしてやはり仕事でも何でも、減点法ではなく、加点法でちゃんと評価をしてあげること。
無闇に厳しくしても意味はない。