『知性の構造』・真理への渇望 | くらえもんの気ままに独り言

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 西部邁氏の『知性の構造』の感想というかまとめの続きですが、今回はいよいよ本編に突入します。(というか、前回は序章と第一章をやるつもりでしたが、内容が難しすぎてついてこれないといけないので序章だけにとどめておきました。)


 それでは、さっそく始めます(^-^)/


第一章『真理への渇望』


「日本人はなぜ議論が下手なのか―

それは、その方法を知らないからであろう。(P25)」


 西部先生曰く、日本人は言葉を感情吐露の道具として使っているだけで、議論・討論としての言葉はおろか会話にすらなっていないケースがあふれていると。確かに日本人は公の場であろうが、家庭であろうが議論することを避けたがる傾向にありますね。衝突を好まない国民性によるものなのか、それとも・・・。


 さて、真理に近づくことを可能とする唯一の方法が「言葉」だということらしいのですが(言い方を変えると真理とは何かと問うための「仮説」が「言葉」だと)、その何かよく分からない真理を追い求めようとするのが人間の習性なのだと。


 人間は何かを選択するとき意識的にしろ無意識的にしろ、よりよいものを選ぶはず。より良い選択の果てにあるのが真理(=絶対の選択基準)であり、人間が生きるということは真理を願望し続けるということなのかもしれない。


 真理というのは何かよく分からないですが、真だったり、善だったり、美だったりを含んでいたりするのでしょう。ともかく、真理を追究するというのが人間の精神にとっては健康的だってことです。


 西部先生は真理への追究を回避する手段について4つ挙げられています。


①虚無

 「真理などないのだ」とかいう奴。真理などないという真理に到達しているつもりになっている。真理への追究を破壊することでしか生きていくことができない。

②狂信

 「これが真理なのだ」と信じて疑わない奴。このタイプの人との会話も難しいが、健常者は狂信者の言説も一つの仮説と思ってあしらっておけばよい。

③衝動

 感情の赴くままに表現をしていれば、選択という行為をする必要がない。が、思いつきで行動する(つまり一貫性がない)ことに人間の精神は耐えられない。また、未来という不確実なものに対し、全て衝動で動けるようにも人間はできていない。

④打算

 技術(未来の確実性を高める)を信奉する。技術に適応することによって、選択を避けていこうとする。が、技術が直線的に進歩するという前提がなければ、やはり行き詰まってしまう。


 真理から遠い虚無・狂信・衝動・打算ですが、実は真理とはこの4つの要素を少なからず含んでいるのです。真理を追い求めるのは、それがあると信じたいが、どこか疑っているから「仮説」なのであるし、不確実性も含むし、しかし仮説をより真理へ近づけるには論理も必要ということである。つまり、虚無・狂信・衝動・打算が病的なものであるとしたら、それを脱したものは懐疑・信仰・感情・合理となるわけですが、懐疑・信仰・感情・合理のバランスこそが真理を追究するのに必要な基盤であるというわけです。


 人間は真理・真善美を追い求めるようにできているという話が出ましたが、虚偽・偽悪醜を求める人間というのはいないのでしょうか?


 無秩序という状態は秩序があって初めて成立する概念であるように虚偽というものは真理というものがあって初めて成立します。


 では、虚無・狂信・衝動・打算へ走る人間は「虚偽を追い求めているわけではない!」ということでしょうか。実はその通りで、真理を追い求めるのに必要な懐疑・信仰・感情・合理のバランスが欠けると虚無・狂信・衝動・打算といった状態に陥り、真理から遠ざかってしまう(つまり、生きていけなくなってしまう)というわけです。


懐疑の過剰→虚無

信仰の過剰→狂信

感情の過剰→衝動

合理の過剰→打算


 というわけで、バランスが欠けて何かの要素が過剰になると病的コースへ転落というわけですね。


 では、この病的状況から復活するにはどうすればよいのでしょうか?


 たとえば虚無から脱出したいときには過剰になった懐疑を抑えればよいのでしょうか?

 いえ、懐疑真理に到達するのに必要な要素であり、これを抑えることは真理から遠ざかることを意味します。


 ということは虚無から脱出したいときには、懐疑とは反対にある信仰を高めるとよいのです。


虚無からの脱出←信仰を高める

狂信からの脱出←懐疑を高める

衝動からの脱出←合理を高める

打算からの脱出←感情を高める


 懐疑・信仰・感情・合理の4つを共存させることによって人間は真理を追究するという健康な精神活動を送ることができるというわけですね。


 では、最初の話に戻って、日本人の場合はどうでしょう。もうすでに虚偽に染まっているのでしょうか?でも、日本人が狂気や絶望に駆られて行動しているようには見えないので、虚偽に染まっているわけではなさそうです。


 西部先生によれば日本人は真理を追究しようとする心構えは持っているが、言葉によってそれを紡ぎ出そうとすることをしないとのこと。どうやら、日本人は信仰感情合理懐疑の結びつきは強いが、信仰合理感情懐疑の結びつきは弱いということのようです。つまり懐疑・信仰・感情・合理のバランスが歪んでいて、それを自覚していないのが問題だと。


 いやぁ。こんな話は初めて聞いたし、私もまったく自覚しておりませんでした(;^_^A


 本書では西部先生が長年温めていたという図をたくさん使って「知性の構造」についての説明がなされています(全部で85個の図が登場するらしいです。)が、第一章では5種類の図が登場してまいりました。これを全部紹介するのは大変ですので、この5つの図を参考に私が、この章のハイライトを1つの図にまとめてみました。

 懐疑・信仰・感情・合理の4つのバランスを保ちつつ、それらを戦わせながら上り詰めていった先に真理があり、真理を追い求めるということが人間として生きるということである。反面、バランスを崩し、どれかが過剰になってしまうと、山を滑り落ち、虚偽ゾーンへと転落してしまう。虚偽ゾーンから復帰して山を登りなおすには、反対側からロープを引っ張ってもらわなければならない(たとえば虚無に落ちたら信仰側へ引っ張る)。また、日本人のように信仰感情とより結びついて、合理とは結びつきが弱いみたいなことがあると山の形がいびつになり登れなくなってしまう。ということを表してみました。


 というわけで、本日のまとめ

・人間は真理を追い求めるようにできている

・真理を追い求める仮説が「言葉」というもの

・「言葉」による懐疑・信仰・感情・合理のせめぎ合いの果てに真理が待っている


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