大晦日は 毎年ちがうんだと思う。。。
12月31日「大晦日」。。。もう生まれて60回以上になるけど、覚えているのはやはり「紅白歌合戦」を 家族みんなで 一家に1台のブラウン管19インチ型テレビで見ていた頃かな…私が生まれ育って小学校6年生の夏休みの途中まで暮らしていた福岡市の社宅での生活。ずっと核家族親子5人で暮らしていた。両親は二人とも関西人だけど、父親は子ども頃に養子に出されて生きてきたから我が家にはずっと 年末年始は実家で……という過ごし方は ない。。。。。「実家」というのは、一番身近なのは 母方祖母が関西で一人暮らししていた頃ほとんど夏休みに遊びに行く、というイメージしかないそう、あの大阪万博も あの夏休みの思い出だった。父方の親戚? 子どもの頃にすでに 父の姓が変わっていたから事実上 父には2つの家(姓)がある。そういうことは、毎年の年賀状で子どもの頃から だいたい知っていただけど、それだけ複雑だから 実際 行き来が無ければ 関係も関係性もわからないせいぜい 母方の親族のほうが……いや なんとなくしか覚えてない日常ではなく 行事としての「家族」しか 私にはないんだと思う。 だから、今でも 「家族」と聞いても 私の中では 実感的なイメージや感覚がない湧いてこないのだだから、私にとっての「家族」は 親によって作られたのだと思うつまり 母親と父親という両親のあり方生き方で 私の家族イメージが作られたのだと思うその他は 他者の家族や その後様々な形(物語や映画ドラマやマスコミ?)で表現される家族・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やはり時代的に 大正末期生まれの 戦争体験のある親の元で育ったので父親は一家の主だと思う 高度成長期の仕事人間だったけど、父親の生き方そのものが その時代の 日本という社会そのものだったと思うそこから たとえば 年末年始の過ごし方 のようなものも私の家族というものを通して 習慣づけられていったんだと思う。だけど? だから?そのような親子同居の家族像は あくまでも いっしょに寝食を共にしてきたという中で成り立ってきたように思うだから 進学やらで その同居生活から離れてしまうと とたんに「家族」の形 イメージが変わってしまうという もろさ? よわさ? があるのかもしれない家族はこうあるべき なんてのは 自分以外の誰かが作っている概念でしかない正月になると 家に来るのは 親戚ではなく 父親の仕事関係の人だっただから、 お年玉なんて 私は 正月に自分の親族からもらったことは一度もないお年玉は 父親の仕事関係の人がくれるものだった(ちなみに クリスマスケーキは 父親が仕事づきあいの飲み会で、バーだかクラブだかよくわからんけど、 その店のママさん?からもらってくるものだった。。。。 よっぱらって帰ってくる父親の頭に? 三角帽があったような・・・・・)今の私は 人の子であり 人の親にもなったけど正直 私は 「家族」というものを 自分の子どもに 教える? 伝える?ことはできていないと思う。。。。。これを どういう感覚 感情でとらえればいいのか正直 今もわからない寂しいのか 虚しいのか 楽なのかやはり つながっていない という感覚が 実感としてあるかな・・・・・あえていえば 離脱症候群という病が そんな感覚に マイナスの意味しか与えない ことは やはり ほんとうに さみしい