私たちの役目。 | 暮らしのひとこま

暮らしのひとこま

ご訪問を有り難うございます。
心身に優しく向き合う暮らしのひとこまを書いてます。

こんにちは。

今日はちょっと変な話かもしれませんねー
いや、いつも妙な話が多いのかも。
ニヤニヤ
長いので、気が向かれた方のみ、お付き合いください。

最近、ふと思うのですが
特別やりたいことや、目標がない。

願望はありますよ
「元気になりたい」という。

しかし、元気だった頃に、自分特有の常に何かを追い駆ける的(どうしても叶えたい目標)みたいなものが見つからない。

それで、ふと気づいたんですが
元来気の短い私は、今まで自分の目標を追いかけ回して手に入れて、また次の目標を手に入れて、、、
そんな人生だったような気がします。

これって

一つめの見方としては、

飽き性とか
堪え性がないとか
継続力がないとか
忍耐力がない 
気が変わりやすい

そんな風に捉えることも出来ます。

仕事の遍歴を見てもそうだし、趣味の遍歴を見てもそう。
ニヤニヤ

しかし、考えてみたら、私は自分の仕事や趣味においては、正直に生きてきたのかもしれない

私には何故か2年半というサイクルがあり
大抵の仕事は2年半で次に変わる

1年たてば、大抵の仕事はマスターしてくる
2年半くらいになると、任されるようになるのだけれど

次の進む道の岐路が見えてくる

自分の心の振動数に嘘がつけないから
現象化してしまう

色々なものになってみた
色々な経験をして、感情を味わい、自己実現をした

そんな私の自分の真我に従った選択(経験)は

創造主(意識エネルギー、または万物を創造している素粒子)が私としてこの世に現れた目的を、達した生き方だったのではないかと思います。

生き方はひとつじゃないし
色んな生き方(創造の選択)がある

私もそうであったけど、
たいていはお金を稼いで生活するために
仕事に使われている

でも、本当は、
人間としての満足な暮らしや経験をするために
お金というツールや、お金と交換する価値としての仕事やスキルがある

仕事は価値あるもの
そして、金銭と交換されるに相応しいもの

お金は価値の交換のツール

だから、仕事に使われず
仕事は交換のツールとして使いこなしたいもの

そんな意味付けを仕事にしてみたら

仕事が自分を、ボロボロに疲弊させるものではなく

自分の価値を現す為の、交換のスキルであり
それは自分にとって素晴らしい道具になる

同じスキルを磨き貫く仕事の人生も素晴らしいし

色んなスキルをアイテムに、色んな経験をして自分の視野を広め力量を発揮するのもよし

要は
本来の自分の心の意志に従って、生き方を柔軟にしてみたのは、ありだったなとやっと肯定できたような気がします。

私たちは、つい人と自分を比べる。
それも、大勢多数の生き方と。

それが常識とか、普通とか定義づけて
自分本来の生き方を見失う。

大切なのは、自分として生まれてきたその資質や天性に気づきながら、それを活かし生きていくことかもしれない。

自分を騙しながら生きていくことは
この上ない自己犠牲の選択の連続。

そんな自己犠牲の連続が、いつしか病を作り出し、本当の自分の声に気づきをくれる。

私は仕事や趣味の選択においては、自分に正直に従ったけれど
人との関わりが、実は大変に苦手で不器用であった。
だから、回りで不穏な空気が漂えば、自分を犠牲にすることで、状況を保とうとする癖が幼い頃から身に付いていた。


そこには、本当は自分の意志があったのに、
それを大抵の場合殺し、大人になった。
そんな観念が身に付き、一見人当たりのよい人物として、波風を立てない平和主義には見られるけれど

自分の意志を、犠牲にしていたら
つまるところは、結果大きな病を作り出す。

それは、癌に限らず、様々な心身の病気。

何故なら

私たちの本来の姿は
意識エネルギー(心、または気)であり
それが意志を持つときに、現象としての創造がされていくのだから。

気が病めば、自ずと病気として現象は現れる。

世の中に、病気が溢れかえっている今の時代

本当に必要なことは
自分の心の声をもう少し優しく大切に聞いてあげることかもしれない。
自分を殺してはいけない。自分を活かしてやらねばならない。


そして、人間関係に、自己犠牲ではない思いやりを持てるようになるには、

やはり、まずは、自分の声を大切に聞けなければ、他人を大切に扱うことなど出来ないのではないかと思う。

皮肉にも、私は、病気によってそんなことを気づかされる毎日で

執着からどんどん離れた心をみつける




昨日、久しぶりに欲しいものがみつかった。
食べることに執着はないほうだが、
食べることが出来る今日の命には感謝が溢れる。



仕事帰りに娘が探して買ってきてくれた。

「神✨」おねがいとあがめたら

「はいはい。」えーとたしなめられた。



全てが創造主(神)の現れ。
自分として姿を現している神の願いを、
聞き届けるのが、肉体を持ち人間として生まれた私たちの役目。

私として姿を現している神が
次に願うことに耳を傾けながら過ごしていこう。