年ぶりに風邪をひき、鼻水が止まらない状態だったので、今日、今年最初の病院通いをパスしたかったが、何とか出掛けた。

血液検査の結果、点滴による抗癌剤投与の支障はないということで1日病院に居たため、非常に疲れている。

数日は、永久欠番化の記事で乗り切るしかない。


今回は、シリアル・ナンバー「#68」の2部作として1ヵ月以上前に掲載誌した「トータル・リコール」の記事の続編となる<「トータル・リコール」 リメイク作の設定を読み解くための5つのビュー・ポイント>である。

シネマナビ・ブログで「新作映画解説」の1本として2012年8月22日に掲載した記事の復活である。


その時点は、シネマナビ・ブログが開設してからちょうど1年半だった。
驚くべきは、100PV前後でスタートした当該ブログが「お盆特需」のお陰もあって9日連続で5,000PV超えを記録するまでに成長できたことだ。

1年以上経っても100PV台に留まる本ブログとは雲泥の差である。


それでは2012年8月に公開された「トータル・リコール」のリメイク作の本編解説に入ることにする。
適宜、1990年版映画(以下、「オリジナル作」と呼ぶ)との異同についても指摘していくことにしたい。



【NAVI POINT①=なぜ舞台を地球に限定したのか?】
ストーリーの流れに沿って分析を行う前に、今回のリメイク作全体の基本的なビュー・ポイントを整理したい。


1990年版の大きな特色は、後半の舞台が放射能に汚染された火星であり、支配者層に抵抗する革命軍の謎の首謀者の正体と支配者層が火星支配の道具として使った空気の生成メカニズムの2点がミステリー的な仕掛けであったことだ。


今回、この火星における資源確保を巡る対立構造を、地球における主として労働・居住環境を含む経済的な格差を巡る対立構造に置き換えたのは、オリジナル作品との違いを強調したかっただけでなく、次のような狙いがあったからだと思う。


①オリジナル作のように、惑星規模での環境問題が火星という他人事の問題ではなく、今日、地球自身の問題となっていることを示すことでリアリティを持たせたい


②原作小説が書かれた時代の政治イデオロギー的な対立構造ではなく、またオリジナル作の資源確保といった間接的な問題でもなく、より直接的な経済格差を前面に打ち出すことで、今日のアメリカ、さらには世界が直面する問題を強調したい。


③主人公が地球から火星に移動することに伴う中弛みを排するため、舞台を地球上に限定することでノンストップ・アクション映画としてのストーリー展開を可能にしたかった。


④その最大の仕掛けが、富裕層が暮らす近代的な都市と貧民層が暮らすスラム街を直結する、地球を貫く高速エレベーター「ザ・フォール」であり、このトンでもない装置(乗客には過大な重力負荷が掛かるので、あくまでも絵空事の設定だが)が地核に達した時に無重力状態になることも含めて、ホーバーカーなど、すべての移動ツールをアクションの見せ場として利用しようとした。



【NAVI POINT②=なぜ富裕層は「ブリテン国」と称し、スラム街は「中国」風の街並みなのか?】
本作の舞台となる21世紀末の地球は、世界規模での化学兵器を使った戦争により、大半の地域は居住不能となり(地球温暖化や核エネルギーによる環境汚染を原因としてしないところは、旧来的な設定だ。)、わずかに残された居住可能な地域は、富裕層が暮らす「ブリテン連邦」(UFB=the United Federation of Britain)と、その支配下にある貧民層が暮らす「コロニー」とに2分されているという設定だ。 


問題はこの両地域が、お互いから見て地球の反対側に位置するとともに、富裕層の国が、その名前からも、またビッグベンのような建物が登場することからも、イギリスを想定していると考えられることだ。

ハリウッド映画であるなら、なぜ広大な国土を持つアメリカが生き残ったという設定にしなかったのか


この点、かつて「チャイナ・シンドローム」(1979年)という、原子力発電所のメルトダウンを扱う極めて今日的なテーマのサスペンスフルな問題作が作られたが、このタイトルは、アメリカにある原発の炉心が溶融すれば、その影響は地球を突き抜けて裏側にある中国にまで及ぶという意味だった。


コロニーの都市景観やリコール社内の調度・内装をアジアン・テイストとし、同社の責任者であるマクレーンの役名を原作・オリジナル作と同一としながら、わざわざ韓国出身のジョン・チョウを起用しただけに、富裕層の国をアメリカという設定にすると、あまりにも中国を刺激すると考えたからというのは穿った見方だろうか。

主人公のクエイド役にアイルランド出身のコリン・ファレルを起用し、コロニーで暗躍するレジスタンスのリーダー、マサイアスにイギリス出身のビル・ナイを充てたというのも、主な舞台を「ブリテン連邦」という設定にしたことに伴うものかもしれない。


しかし、その裏側にある国が、かつての大英帝国の植民地であったオーストラリア風ではなく、中国風というのは、ハリウッドの本音が鎧の下から覗けて面白い。



【NAVI POINT③=アクションのウリをキャット・ファイトにしたのはオリジナル作へのオマージュだが、ケイト・ベッキンセールが起用された狙いは?】
本作の最大のウリは、ノンストップ・アクション、それもザ・フォールだけでなく、水平・垂直方向に自在に動くエレベーターやホバーカー、さらには主人公の体を張った縦方向・横方向の文字どおり縦横無尽の移動アクションだ。


それと同時に、アクション映画としての魅力となっているのが、主人公の妻ローリーと主人公の過去に関わるレジスタンスの女性闘士メリーナ(リメイク作独自のキャラと書いている映画雑誌の記事があったが間違い。オリジナル作と同じ名前の同様の設定の謎の女性として登場)の間で繰り広げられる超過激なキャット・ファイトだ。

ポイントは、メリーナに起用されたジェシカ・ビールよりも、ローリー役のケイト・ベッキンセールの方だと思う。

今の日本映画界では、有名な監督と女優というカップルは少なくなったし(日本アカデミー賞最優秀監督賞受賞の石井裕也さんと満島ひかりんさんは離婚した。)、自分の作品のミューズとして妻をキャスティングしている監督となると、園子温さんくらいだろう。


それに対して、ハリウッド映画では、元々のイメージを変えてまでアクション・スターとして妻を脱皮させたのが、本作のレン・ワイズマン監督であり、彼の妻がケイトであることは説明を要するまでもないだろう。

このカップルの強力なライバルとなるのが、最終作が昨年末に公開された「バイオハザード」シリーズのポール・W・S・アンダーソン監督とミラ・ジョヴォヴィッチだ。


イギリス出身でコスチューム・ドラマやラヴ・ストーリーのヒロイン役を演じてきたケイトを「アンダーワールド」の主役であるバンパイアのヒロインでアクション・スターに変身させたのが、同作が初監督作となったレンだった。

夫がローリー役に自分を起用したのは、悪妻と勘違いされるおそれがあるから悪趣味だと冗談めかして語るケイトだが、ミラに負けないアクションもこなせるトップ女優の地位を妻に維持して欲しいという夫の思惑があったのではないかと推測する。


いずれにしても、既に触れたように、女優同士の本格的なアクション・シーンが登場する初のハリウッド映画となったオリジナル作へのオマージュの意味も兼ねつつ、途中で夫に銃殺されるオリジナル作のローリーと違って、前半からラストまで本作のローリーは生き残って夫やメリーナとのより過激な肉弾戦を続けるのが、見所となっているのは間違いない。


それに比べれば、冒頭、ケイトが自宅のベッドの上で小さい下着だけのスレンダーな姿を見せるのも、「バイオハザード」シリーズに対抗したサービス・カットであり、夫が監督であることから露悪的な描写にはなっていない。



【NAVI POINT④=主人公の仕事がロボットを作る工場労働者である意味は?】
先に永久欠番化した記事で書いたように、主人公ダグラス・クエイドの職業を原作のホワイトカラー(公務員)から、オリジナル作では演じたアーノルド・シュワルツェネッガーのイメージに合わせて肉体労働者(建設労務者)に変えた。
今回のリメイク作でダグラスを演じたコリン・ファレルは、シュワちゃんに比べれば、どちらも演じることができるが、ブルーカラー(製造業の工場労働者)に設定した。


その理由は、演じる俳優のイメージに合わせた訳ではなく、ダグラスが作る製品が高性能ロボットであることがストーリー上、意味があからだ。
コロニーでは、UFBの支配に抵抗するレジスタンスによるテロ行為が多発していたが、それは、UFB代表のコーヘイゲン(これもオリジナル作における火星の資源開発を牛耳る総督と同じ名前を流用)がコロニーの支配体制を強化する口実となり、その切り札として導入を計画していたロボット警官シンセティックだった。


コロニーの住人が生きていくために働くことは、経済的に搾取されるだけなく、自由をも奪われることを意味する象徴として主人公の職業が設定されていることは、今日の社会に通じる面があるという点を見落としてはいけない。



【NAVI POINT⑤=主人公はなぜ過去の記憶を消されたのか?】
これは、原作、オリジナル作、そしてリメイク作のすべてを通じて最も重要な点であるが、見掛け上は、リメイク作はオリジナル作の設定を継承しているように見える。
ちなみにオリジナル作でも、リメイク作と同様、ダグラスの本名はハウザーであり、コーヘイゲンの部下で彼が火星の革命グループに潜入させたスパイだった。


そして、ハウザーこと、ダグラスの使命は、二重スパイとして、革命グループの謎のリーダーであるクワトー(こちらはリメイク作では名前は踏襲されていない。)の正体を突き止めることだった。
この難しい使命をダグラスに達成させるためにリコール社から別の記憶を買わせるという複雑な設定を行ったのが、ストーリー展開のキモだった。


基本的には、リメイク作も、このオリジナル作の枠組みを流用しているように見える。
違いは、レジスタンスのリーダーであるマサイアスが、オリジナル作のように意外な人物(正確には奇形のミュータント)を突き止めることではなく、レジスタンスのアジトを暴き、組織を殲滅するのがコーヘイゲンの目的であったことだ。


だが、そこに至るダグラスの職場の親友であるハリー(彼もオリジナル作と名前は同じ)などのサブ・キャラの設定やリコール社でのシーンの設定なとが変えられている
それが、オリジナル作におけるダグラスがリコール社の椅子から立ち上がった時点からラストまでが実はすべて彼の夢想だったというオチまでリメイク作も踏襲してるのかということが一番の問題なのだ。


本作を観る際の一番のビュー・ポイントは、この点であることを肝に銘じて、まだ鑑賞していない方はDVDの再生に向き合って欲しい。
既に観た方の中は、この問題自体を認識していなかった方もいると思うが、もう一度、頭の中で映画の流れを見返して答えを見出して欲しい。
この記事の続編となる「ストーリー分析」編は、まさにこの問題を解明するという観点から行うことになる。