シガー・カタログ<トリニダッド・ロミオ&ジュリエッタ・ダビドフ・コイーバなどの一般ブランド>   -2ページ目

THE GLENLIVET(ザ・グレンリベット)

2001年のウイスキー業界の大きな買収における、輝かしい賞品は、スコットランドで最も有名なウイスキーの谷にあるこの蒸留所だった。この谷は、スペイ川に流れ込むリベットという川の谷である。生産地域の中でもリベット谷は山々の一番奥深いところにある谷で、そこを流れる水は、しばしば何マイルも地下を流れる。山岳地帯という環境もまた、ウイスキー蒸留業者が好む天候をもたらす。蒸留が進行している間、冷却器が最も効率よく機能するのは、非常に冷たい水によって冷やされ、なおかつそれにマッチした気候のときである。この地域で造られるモルトウイスキーは、比較的ライトだが、非常にクリーンで、花のような風味があり、繊細、そしてエレガントである。



リベット谷の名声には歴史的な起源もある。それは、ローランド地方とハイランド地方の蒸留に異なる法律と関税が適用されていた時代のことである。大都市に近いローランドのディスティラーたちは合法的な事業として扱われていた。しかし、大都市から遠く人口がまばらなハイランドは、谷ごとに非合法の蒸留所や密輸業者がいると見なされていた。リベット川の谷は密造酒造りの巣窟として有名であった。1824年の合法化の後は、かの伝説的な「グレンリベット産」のスビリットは、南のほうにあった都市の商人たちの間での需要が高かった。



この谷からあまりに遠い数々の蒸留所は、グレンリベットがスペイサイドと同義語であるかの印象を与えるようにこの谷の地名を使ったが、このような名前のつけ方は、シングルモルトに対する関心が高まり生産地の問題に注意が集まるにつれて、次第に廃れていった。谷の(そして、おそらくスコットランドで)一番高いところにある蒸留所は、現在ブレイヴァルと呼ばれている。最近まで、ブレイズ・オブ・グレンリベットと呼ばれていた。この蒸留所は蜂蜜っぽく、オレンジピールっぽいウイスキーを造る。少し低地に行くと、タムナヴーリンがあり、そこのモルトはとくにライト・ボディである(ただし、丘をちょうど越えた隣のエイボン渓谷にあるトミンタウルのウイスキーの方がよりライトな味である)。 この地にある1つの蒸留所だけが、ザ・グレンリベットと名乗ることが許されている。これは政府公認になった最初の蒸留所であり、今や国際的な評判を得ている。「ザ」と定冠詞をつけることは限定され、ザ・グレンリベット蒸留所を所有しているシーバスのオフィシャル・ボトリングだけに表示されるようになっている。そのようなボトリングは、最初にこのビジネスを確立した父と息子に言及して、「ジョージ&J.Gスミスによる蒸留」とラベルの最下部に小さい文字で表示されている。


マクゴウワン(McGowan)のような典型的なスコットランド人の名前におけるように、「ゴウ」と発音されるゲール語の「gobha」は、スミスと訳される。一説では、ゴウ家はボニー・プリンス・チャーリーを支援していたために、後に自分達の名前をスミスに変える方が政治的に安全だと考えたということであるが、この解釈には疑問の余地がある。



ゴードンこうしゃくがウイスキー蒸留業者を合法化するよう提案した時、認可を申請した最初の人物は彼の小作人の1人であり、すでに密造ウイスキーを造っていたジョージ・スミスであった。彼の息子であるジョン・ゴードン・スミスは父親を助けて後を継いだ。近接する2つの敷地で蒸留した後、1858年にスミス一家は現在地である、リベット川とエイボン川の合流点に近いミンモアに移った。蒸留所は、草の茂る渓谷が山々のほうに向かって険しく傾斜し始める地点に建っている。



1880年、「ザ・グレンリベット」は他では使えない名称として法的に認められた。会社は1953年まで独立していたが、同年にグレン・グラントと同じ所有者の傘下に入った。1960年代、かなりの量のウイスキーがゴードン&マクファイルに購入され、その結果、ゴードン&マクファイルによるボトルが売り出された。これらの非常に古く、そして時には蒸留年付きのバージョンは、ジョージ&J.G.スミスのグレンリベット・ウイスキーであると表示されている。



ザ・グレンリベット、グレン・グラント、ロングモーン、そして、ブレンド会社のシーバスは、1977年に北アメリカ及び世界的規模の飲料品グループのシーグラムに買収された。以来、オフィシャル・ボトルが精力的に販売促進されてきている。



アメリカの巨大市場で最も販売量が多いシングルモルトであることから、ザ・グレンリベットは平凡なウイスキーであると思われているかもしれないが、実際は質感に富み複雑さがあるウイスキーである。このウイスキーは少し硬度の高い水で蒸留され、麦芽のピート香は軽いほうである。使用されるカスクの3分の1は、シェリーカスクだが、ファースト・フィルの割合はかなり少ない。

LAPHROAIG(ラフロイグ)

これは最も薬品のようなモルトである。病院のガーゼの臭いがするというべきか?薬品くさく、口内洗浄剤や消毒薬を思い起こさせるのだろうか?すなわち、ヨード香がして、海草のようなアイラ独特の個性である。



この有名なラフロイグのアタックは、近年若干弱くなっているが、その結果、モルトが本来もっている甘さは、よりはっきりとしたものになっている。しかし、それでもなお、個性豊かなウイスキーであり、他とははっきり異なるオイリーなボディをもっている。ラフロイグは、アイラ島に自らのピート採掘場を所有しており、キルブライド川に自らのダムがある。そして、蒸留所でフロアモルティングを行い、比較的小さなスチルをもっている。その熟成庫は海に直接面している。



この蒸留所は、1820年代にジョンストン家によって建てられ、その家系の名前は依然としてラベルに印刷されている。1847年に、創業者が造りかけのウイスキーの大樽の中に落ちたあとに亡くなった。1950年代後半から1960年代前半まで、ミス・ベッシー・ウィリアムソンという女性によって所有されていた。この女性は、壁に掛けられた肖像写真から判断すれば、魅力的な婦人であったと思われる。この地のロマンスに因んで、蒸留所の中では時々結婚式が行われるほどである。蒸留所の一部は村の公民館としても利用されている。

CAOLILA(カリラ)

2002年のアイラ・フェスティバルで、所有者のディアジオによって粋な箱に入れられた3種類のカリラが「ヒドゥン・モルツ」という新しいシリーズの一部として発売された。フェスティバルに参加した人々は、ウィスキーライターとともにテイスティングする機会を与えられた。現代風マーケティング手法が明らかに存在していた。しかし、それだけでなく、アイラモルトが世襲されていることもまた明らかであった。イーラッハ(アイラの人)である所長のビリー・スティッチェルは、業界に関わってきた家系の4世代目にあたるが、素晴らしいスピーチを行った。公にスピーチをするのは彼にとって初めてのことだった。


このとき、カリラでもう1つの発表があった。ヒドゥン・モルト・シリーズはディアジオの他の3つの蒸留所、クラインリーシュ、グレン・エルギン、グレン・オードからも登場することになるということだった。当分はそれぞれの蒸留所は1つの熟成年数のものだけを発売するということだ。


このように公式発表という形で、また、暗黙のうちに新しいシリーズの中心的商品としてカリラのオフィシャル・ボトルが発売されたことにより、カリラは隠れてなどいなくなった。近年、このモルトはより容易に入手できて、さらに堪能できるようになった。


正確には「クル・イーラ」と発音される蒸留所名は「アイラの海峡」を意味している。ゲール語では、「caol」より「kyle」という方がより一般的であるボート・アスケイグ港の近くの入り江にあり、スチル・ハウスの大きな窓から、ジュラ島まで音をたてて走るフェリーが横切るアイラ海峡が見下ろせる。蒸留所が一番よく見えるのはフェリーからだ。


1970年代に造られた外観は、以前は粗野であると思われていたが、現在は時代の傑作として認められ始めている。中に入ると、蒸留所は機能的であり、かつ、魅力的である。たとえば、仕込み槽の上の銅製の覆い、真鍮色のふち飾り、平べったい玉ねぎのようなウォッシュ・スチル、洋梨型のスピリット・スチル、オレゴン松のウォッシュバックである。建物の中には1879年に遡るものもあるが、蒸留所は1846年に建てられた。


蒸留所の背後にはフクシア、ジギタリス、野ばらに覆われた丘が迫り、その丘は蒸留所の仕込み水を引いているピーティな湖に向かってそびえている。その水はきわめて塩辛く、ミネラルを含み、石灰岩から湧き出たものである。いくつかのブレンディッドウィスキー用のウィスキーを造っている現代的で機械化が進んだ蒸留所として、カリラは長年にわたってピート焚きに様々な段階をつけてきた。それはインディペンデント・ボトリングに明白にあらわれている。