モテの終了から、平和を願う話まで | ★頑固で石頭*Black無糖のカレ vs そんなカレに恋したワタシ★

★頑固で石頭*Black無糖のカレ vs そんなカレに恋したワタシ★

あづきの日常★★独り言★★恋愛★★南米Blackアールとの恋の軌跡を主に綴ります。

ただの小太りのオバはん、すっぴんで10年単位で同じ服を着て、ネイルもしない原始人な私であるが、

無双と呼ばれたこともあり、謎にモテ人生を歩んできた。(すみません)

 

が、最近は、めっきりモテなくなってきた。

 

いまが、人生で一番体型もしまっていてお尻も上がっているし

幸せなため、肌艶も、表情も、これまで以上に最高に可愛いと思うんだけど(本当にすみません)

 

アールと付き合って、もうすぐ丸3年。

あづきは黒人と付き合っているらしい、という噂は、小さな田舎町の地元に瞬く間に広がり

また、去年から今年にかけては、「まだあのガイジンと続いているのか」と聞かれることが多かった。

 

なので、とうとう

 

ちょっと(何かの間違いで)付き合った

とかでなくて

 

しっかり、付き合っている

と認知されたもようで

 

セフレや愛人探しをしている既婚者

彼女を探しているバツイチ男性

軒並み、遠くに去って、久しくなり

すっかり、周囲が静かになり、過ごしやすくなった。

 

 

そしてなぜか

言語アプリでマッチする人たちも

妻を大事にしている良き夫さんが多くなり

言語交換でさえも、平和そのものなのである。

 

 

 

 

 

さて、私の人生初のプロポーズは

 

ルワンダ人のDからの

 

セカンドワイフになってほしい

 

という言葉だったが

 

 

 

そんなふざけたことを言ってきたDにも

その後、日本語と英語の言語交換を続け

 

「日本人の友達がいない」とぼやくDを

趣味のバレーボールサークルに招待し

 

そのサークルの飲み会にも誘い

(私は4時間、通訳状態で、へとへとになった)

 

よく、友達を続けてあげたよね?

あづきって、ほんと面倒見がいいよね?

 

と、親友Sは(同じバレーボールサークルにいる)

出会いからプロポーズ、その後も会うたびにプロポーズ、という

Dのこれまでの言動を全て知っているので

 

たびたび私にそう言った。

 

 

面倒見がいいのだろうか?

面倒を見てあげよう、と思ったりしたわけではなく

 

 

ただ

求められること(日本語の練習や、友達づくり)に応えてきただけで

応えられないことは、拒否するのみ。

 

そこに損も得もなく

 

プロポーズは、されたら断ればいいだけだし

それ以上の危険も迷惑もなかったので

 

たまたま、関係が途切れなかった、、、

ただ、それだけのことである。

 

 

 

そんなDは

アフリカンムスリムで

 

私をたびたびモスクでのイベントに誘ってくれるが

 

平日だったり、予定ありだったりで

いつも

残念!また今度!

と断ることが多かった。

 

 

Dと知り合って3年になるが

私が平日なのに断らずに行ったイベントは、いまのところ、唯一

 

モスクから駅までの、デモ。

ガザへの攻撃を即時停戦を訴えるデモである。

 

これは、開催されれば、必ず、都合をつけて参加している。

 

初めてこのデモに参加した日

Dと私は、行ってみると、偶然にも、おそろいのアフガンストールをつけていた。

 

 

 

その日は少し寒くて、私はキャンプイベントのビンゴでもらったそのアフガンストールをマフラーがわりに巻いていたのだけど

 

Dの妻は、仕事で来ておらず

 

おそろいのアフガンストールをまとって、仲良く並んでデモに参加するDと私。

 

 

私が何を考えたかって

 

知り合いに見られたら、これが私の恋人と思われるだろうなぁ…と。

 

まあ、、、いいんだけど。

 

 

Dとの縁をばっさり切らなかったから、いま最も私が参加したいデモに参加できたわけで

 

やはり、どんなご縁にも

感謝、なのである。

 

 

 

 

ちなみに、

ガザへの攻撃を今すぐに止めてほしいと願うのは

 

地球上で起きる全ての戦争、紛争、侵攻、なんと呼ぶにしても

 

どの〝戦争〟にも、反対なのは変わりない。

 

経済のため、とか

正義のため、とか

報復とか制裁とか

 

戦争に、正当な理由など、ない、と思うから。

(ただ、「抵抗」が必要なことはあると思う。)

 

 

中でも、最も、緊急性が高いと感じるのが

ガザへの非人道的な攻撃であり

それは戦争などではなく、ただの虐殺

 

私は、ガザへの支援と行動を、今、最も優先している。

 

 

こういうデモに行くと

「ウクライナ戦争には反対しないの?

 それの活動や募金も、もちろんするんだよね?」

 

ウクライナにせっせと募金したり支援している人から言われるのだけど

 

もちろん、ロシアとウクライナの戦争にも反対です。

 

 

でも、私の身体はひとつしかないので

月に一回、デモに参加するのなら

ガザへの攻撃を止めるデモのほうを選びます。

 

 

なぜなら、最もひどいことが起きていることから

何とかしたい

 

そう考えるから。

 

 

さまざまな角度から、伝えたい話はたくさんあるけれど。

 

イスラエル軍が、ガザへの攻撃に使用している武器について、少し、語ってみたい。

 

500ポンド爆弾Mk82

2000ポンド爆弾Mk84

 

これら〝大型爆弾〟と呼ばれる兵器

地上を広範囲に破壊する。

 

500ポンド爆弾は、半径約20m

2000ポンド爆弾は、半径約365mの範囲に

甚大な被害をもたらすと言われている。

 

「衛星写真では、これらの大型爆弾が落とされた時にできた大きなクレーターがたくさん確認できた。

 ガザとウクライナの被害には、(比べるものではないが)比較すると大きな差があった。

 

 所かまわず破壊する、殲滅する、そういう目的で、イスラエル軍がガザを攻撃していることがわかる」by渡邉教授(ガザやウクライナなどの、戦禍を衛星写真の解析により調査している。東京大学の渡邉研究室の渡邉英徳教授)

 

殲滅(せんめつ)する…皆殺しにする、根絶やしにする、という意味。

 

 

住宅地に、病院に

重要なインフラである貯水施設に、

学校の校庭に、

日本のポランティア団体や日本政府が支援して建てた教育施設などに

 

大型爆弾によるクレーターが無数にできている。

 

その周辺にいた人々は、子ども達は、どうなっただろうか。

 

これらの兵器を、少なくとも、ロシア軍はウクライナに対して、使用していない。

(ロシア軍は、ミサイル攻撃が主)

 

たとえば、ロシア軍が、ウクライナの病院や学校を破壊したら、結構大きなスポットニュースになる。

ニュースになるくらいの頻度、ということである。

 

しかし、イスラエル軍が、ガザの病院や学校をどれだけ破壊しても、全くニュースにならない。

 

 

 

2000ポンド爆弾Mk84という、甚大な被害を生む大型爆弾を、

ISIS国との戦闘で、米軍は1発のみ、使用した。

 

このMk84という大型爆弾をイスラエル軍は、2023年10月7日以降、2024年1月までに、

ガザの市街地に、200発以上使用している。

 

 

それから

イスラエルは、爆撃の半数近くを「無誘導」の爆弾を使っている。

 

爆弾には通常「誘導装置」をつける。

誘導装置をつけることで、ある程度正確に標的となる目標物に爆弾を落とせるという仕組みらしい…が

 

・・・これが結構、高価らしい。

 

その装置が高価だからなのか、

そもそもどこか(ハマスの軍事施設を攻撃するという建前)を狙ってなどいなくて、ただ「ガザの人々」の上に落ちればいいのか

 

 

ロシアでさえウクライナに使っていない

大型爆弾を

 

しかも無誘導で(どこに落ちるかわからない)

 

世界有数の人口密集地である

ガザに

 

毎日毎日、落としている。

 

 

〝戦争〟ではないんです。

 

〝虐殺〟なのです。

 

国際社会は、黙っていない。

でも、日本は?

 

アメリカはイスラエルのスポンサーとなっていて

この攻撃はもはや、イスラエル&アメリカによるガザ攻撃であり

 

また、日本は常時、アメリカのスポンサーとなっているので

この戦争に加担していると言えると思う。

 

だから

他人の、他国の、可哀そうな話、ではないのです。

 

私たち、日本人には

自分たちの税金が、ガザの人々を殺すことに使われている

 

そういう罪があるのだと、私は感じているのです。

 

 

 

かつて、ベトナム戦争があった時

日本は、枯葉剤によってのちに被害を受けた方々への

治療という国際貢献をしてきた、という面しか報道では語られなかったけど

(ベトちゃんドクちゃんが有名ですよね)

 

沖縄などの、日本の米軍基地からは、ベトナム戦争中

毎日毎日、枯葉剤やナパーム弾を満タンに積んだ戦闘機が

ベトナムへ向かってたくさん飛び立ち

夕方には、すっかりカラになって帰ってきたのである。

 

この80年弱、日本はそういう、アメリカの戦争(侵攻、侵略)を

支え続けている国であり

 

爆弾の降ってこない日本にいて

 

無関心だとか

興味ないとか

日本は平和でよかったとか

 

 

そう言ってしまうのは

あまりに罪深い。

 

そんな生き方をしたら、死ぬ時が怖い

 

自分の人生を振り返って

罪しか感じないんじゃないだろうか

 

と、震えながら思う、、、

 

どちらかというと、正義感なんてものよりも

罪滅ぼしの精神が、こういう活動の動機である、私なのです。