前回「あしたの少女」は137分と長尺でしたがそれを超える殆ど2時間半(146分)の大作を…北朝鮮もどきの架空の国家を舞台に激しい濡れ場を交えて描きながら単なる愛欲映画とは片付けられない逸品…「愛に奉仕せよ」

 

炊事兵シン・ムグァンが収穫したネギを抱えて勝手口を開けると竈の上に「人民に奉仕せよ」と刻まれた木牌が置かれている。ムグァンはネギを地面に取り落とす…シン・ムグァンは朝薄暗い内に兵舎を出て公邸に向かうが、既に師団長はグラウンドをランニングしている。炊事に長けたシン・ムグァンは1976年5月1日付で師団長ピ・チョルジン公邸の炊事兵に任命されたのだ。こうして故郷に残した妻と幼子のため何としても昇任するべく炊事だけでなく掃除・洗濯など公邸の家事一切に懸命に取り組む日々が始まる。そんな汗まみれで働くムグァンを公邸のベランダからオペラグラス越しに見つめている者がいる。師団長の妖艶な妻リュ・スリョンだ。ある日師団長は秘密の任務で1カ月公邸を空けると言う。こうして公邸にスリョンとムグァンと二人きりになるが、ある日スリョンはムグァンの目の前で、いつも食卓に置かれている「人民に奉仕せよ」と刻まれた木牌をわざと床に落とす。ムグァンは慌てて拾い上げようとするが、そんな彼に女主人は”この木牌が本来の場所になければ用がある時なので2階に来るよう”と命じる。そしてある時その木牌が階段の手すりに置かれている。師団長から”決して2階には上がるな”と命じられているムグァンの妖しくも苦悩の日々が始まったのだ…

 

警備中隊炊事兵シン・ムグァンに、最近では「夜明けの詩」での主演が光る二枚目ヨン・ウジン、師団長の妻リュ・スリョンに、「罠(原題:陥穽)」でマ・ドンソク相手に妖艶な演技を見せたチアン、師団長ピ・チョルジンに、実に渋いチョ・ソンハ、ムグァンを指導する指導員に、今回なシリアスなチョン・ギュス、ムグァンの故郷で義父でもある地方幹部に、最近名演が続くチャン・グァン、故郷の古参生産隊長に、韓国映画界の重鎮85歳ユ・スンチョル。

 

何故にたかがエロメロ映画に2時間半もかけるんだろうか、何故に“北朝鮮もどき”の国の話にしたんだろうか、とか思いながら観ていたわけですが、観ている間には重厚な風格が次第に強くなっていきますし、観終わった時の感覚に一番近いのが巨匠デビッド・リーン監督1965年「ドクトル・ジバゴ」だったりするので実に意外な作品だといえるでしょう。それらの疑問はエンドロールを見ていて一気に氷塊するわけですが、この作品には原作があって、フランツ・カフカ文学賞を獲った(前年受賞者は村上春樹)中国作家の閻連科(イェン・リェンコー)の小説だったということです。しかもその「為人民服務」(邦題「人民に奉仕する」)は未だに大陸では出版を禁じられた反体制作品だということで、勿論読んだわけではありませんが、装丁とかから想像すると毛沢東という絶対権力下での軍幹部夫人と下級兵士の絶望的な不倫を描いているんでしょう。その意味で、“北朝鮮もどき”は舞台にうってつけだったということだと思いますし、ソ連共産党にノーベル賞を辞退させられたパステルナークにもつながるといえるでしょう。観終わった感覚は大河小説に近いんですが、物語は1976年の僅か179日の出来事を若干の回想と後日談を交えて描いていて、それでいて2時間半だれる暇を感じさせない実に濃密な語り口だと感じます。それは原作の力もありながら、究極スプラッター「ビー・デビル」スパイ・エンタメ「シークレット・ミッション」を撮ったチャン・チョルス監督の腕前でもあるんだと思います。エロ映画もどきの序盤、夫・上司である師団長が帰ってきたらどうなる、みたいな緊張感の中でのロマンス・ファンタジーとしての中盤、そして…と序破急のリズムに乗った物語を首領様の肖像や語録に埋め尽くされた公邸とのどかな農村風景のいびつなアンバランスの中に展開する手腕は一級品でしょう。

 

観終わったときは、五つ星か、とも思いましたが、確かに演出も役者も頑張ってはいながらも、思惟的で重厚な後味の8割方は、細部まで練りに練った原作にあるんだろう、と思い直しました。大きなぼかしが入る激しい濡れ場さえ気にしなければ、領袖(首領)様と私的な情愛の激しい相克を描く、政治的カリカチュアと愛憎映画の絶妙のハイブリッド、もっといえば、ある種哲学的な物語として観ることも可能かもしれません。但し、何せ長いので余裕のある時に観る必要はあるでしょう。

 

ちなみに原作小説、本作原題「人民に奉仕する」(爲人民服務)ですが、wikiによれば、1944年9月8日毛沢東の演説から生まれたスローガンだそうです。劇中では、ただの逢引の合図、という所が洒落てます。

 

もっと余談ですが、スリョンがムグァンに、4歳しか違わないので”사모님(奥さま)”ではなく”누님(お姉さま)”と呼ぶように言うシーンがありますが、相当に色っぽいシーンになってたりします。